社長コラム 石のことば
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2018/07/24
第157回 「アテネの霊園」

次には34年前にはもっと考えられなかった、ギリシャの一般人のお墓、霊園への訪問です。

近代オリンピックスタジアムから程近く、パルテノン神殿のあるアクロポリスの丘も見えるアテネの一画に市営の霊園があり、公務員らしき管理人さんに挨拶して中に入りました。

 

ギリシャのほとんどの埋葬法は土葬で、それなりの場所が必要ですが、その霊園に入ってすぐの一番いい場所は歴代の首相や政治家、大実業家などがその土地を所有(購入)して埋葬、その上に名前や業績、場合によってはその人の石像を飾って、全体を白大理石(おそらくペンテリコン系統)で作ってあります。

 

さすがにこれだと、墓地事情がかなり窮屈になって、いずれ市内の墓所はいっぱいになるだろうと思われましたが、詳しく聞くと墓地の使用には大きく二通りあって、一つは土地購入による所有(日本でいう永代使用か)ともう一つはレンタル(賃貸使用)があるとのこと。

 

そのレンタルについて興味があり現地の人にさらに詳しく聞くと、政治家や富豪など稀には墓地を所有して同じ場所で埋葬お参りするが、一般庶民は墓地を永代で所有せずに3年間のレンタルで埋葬し、3年後に掘り出して集め、洗骨して入れ物を別にして壁墓地や一族の集合墓に入れるとのこと。

 

つまり、火葬しない代わりにそのレンタル埋葬地がお骨の製造地であって、その後にきちんと行き先があり、その場所はまた別の人に貸し出されるという流れのようです。

 

ギリシャ国内にも霊園事業者というのがいて墓地購入も、レンタルもそれなりの金額のようですが、公営霊園の場合は一人当たりのお棺が埋められる面積の3年間のレンタル使用料は350ユーロ、日本円で5万円弱です。

かなりリーズナブルで、かつ土地利用の観点からすれば合理的と言えると思います。

 

ただ、合理性だけでは考えられないのが、さすがに石の国だからか、わずか3年の仮墓石であっても、その石碑はたいそう立派であり、かつ故人を偲ぶ、供養する気持ちからか、永久の所有墓石なのか3年の限定墓石なのかわからないくらい、きちんとした石のお墓を建てていることです。

 

おそらく3年間が日本でいう三回忌や七回忌、或いは十三回忌のような役割で、その間は絶えずお参りし目印となる石碑にも凝って作るのではないか。

その後は集合墓に安眠してもらうという考え方があるような思いを受けました。

 

まさに、その日もたくさんのお参り客とすれ違い、花を手向ける姿を見続けました。

 

34年前には考えられない霊園見学を終えて出口に戻ったら、手足のいたるところが赤く腫れて痒くて、、、、

入口ガードの公務員守衛さんが、今年は蚊が特に多いんだと言っていましたが、それなら先に言ってよ、やっぱりギリシャの公務員は仕事しないなとあきれながら、かゆみ止めを買いに薬屋探しも、昔と違う行動パターンとなりました。

 

 

 

 

 

2018/07/04
第156回 「2度目のギリシャ」

今から34年前、初めてヨーロッパに行ったのが実はギリシャでした。

アテネ、ミケーネ、エーゲ海のクルーズなど、当時はワインもオリーブもそんなに得意でなく、食事や気候に苦労したことを覚えています。

 

その後、大理石の仕事でイタリアやスペイン、ポルトガル等 ギリシャと気候、風土の似ている国々に何度も行くようになり、ヨーロッパはかなり身近に感じていましたし、またギリシャ産の白大理石も年に数度の割合で購入していたりしたので、もっとギリシャに行っていたように勘違いしていましたが、何と今回の訪問が実に34年振りとは、我ながらビックリでした。

 

アテネでは当然ながらアクロポリス、そしてパルテノン神殿、確か34年前にも工事中だったように記憶していますが、今回もクレーンと足場がかかっており、まあパルテノンはいつも工事中という評判通りの風景でした。

 

でも34年前と違ったのは、当時は石屋になる直前、つまり石には興味はあったものの、その石の材質や工法、歴史としてとらえる視点はあっても、専門家としての視点はまだ未熟だった私の経験の差です。

 

パルテノン神殿に使われた石の多くはペンテリコンという白に薄いグレーの模様のあるギリシャ産の大理石、一部にはギリシャ北方の薄茶の大理石や緑系大理石、またエーゲ海で採れるライムストーン(石灰岩)等も見受けられましたがきわめて僅かです。現状は薄いベージュ系の色に見えますが、空気や水分、酸性雨などの影響によるもので、中味は完全な乳白色です。

また、女神を模した柱の彫刻も、女神像を作ってから柱にしたのではなく、柱として設置した石からのちに女神像を彫り出したもので、頭部は割と詳細に作ってありますが、体や脚部は柱の一部として割りと簡易的な彫りとなっているように見えます。

 

尚、パルテノン本体の柱には世界史で習ったドーリア式やイオニア式などありますが、それ以上に専門家の目から見ると柱は一本の石でなく、何個も横に重ねて繋いであって、またそれぞれの石の中には「ほぞ」と言われる凹部、凸部で繋いでいたり、一部は金属のくさびを打ち込んであったりと、さすが2500年も残った工法だと感心しました。

また柱の縦の模様も女神像同様に、先に石を重ねて繋いでから、模様を現地で彫っていったものと見受けられ、模様のラインがきれいに縦に揃っています。

 

石屋になって34年経つと当時気づかなかったこと、関心の範囲でなかったことなど、あらためて自分の変化とともに、対照的に以前と変わらずそこにあるパルテノンの石の不変が妙に思い描かれました。

 

石は変わらず、それを見る個人や人が変わっていく、まさに歴史を伝える石の役割です。

2018/05/23
第155回 「七つ星ホテル?」

ホテルの格付けに5つ星ホテル、4つ星ホテルなど星の数でランキングしているのは知っていましたが、初めて7つ星ホテルという格付けを見ました。

 

何を隠そうドバイのジュメイラ地区のプライベートアイランドにある「ブルジュ アル アラブ」というホテルです。

1999年にアラビア船(ダウ船)の帆をコンセプトとして高さ328メートルのホテルを人工島の中に完成しました。

建物としては中心柱の無い吹き抜け仕様、デザインや中の色彩は金色や紅色を使った豪華絢爛なつくり、202室の客室は全てメゾネット(2階建て)のスイートルーム、一泊最低一人15万円からというとんでもないホテルです。

 

フロア各階には階毎にコンシェルジュが居て、お客様の要望に応え、また室内のアメニティは全てエルメスの提供だとか・・・・

豪華すぎてとてもでないけどビビってしまいます。

 

でもせっかくドバイに行ったので見てみたいと画策したのですが、ホテルのはるか手前の人工島の入口にセキュリティチェックがあり、宿泊者や関係者以外はホテルの近くにも行けない状況です。

 

それでも何か方法が無いかと聞きまわったところ、アフタヌーンティーを予約すればホテルロビーとフロントレストランには入れるとの事。

予約が混んでて厳しいかもというので急いで現地で予約を入れてもらったら、何とか1席だけOKという事で早速現地へ。

 

確かに中はびっくりするようなデザイン、色彩、雰囲気です。(あまり落ち着く感じはしませんが…)

そして宿泊者と思しき人の多くが中国人?又はインド人?で、ヨーロッパ系では一部ロシア系?の人が居るくらいで、やはり落ち着きません。日本人では噂によると神田うのが定宿にしていたと言われています。

 

石材はブルーパールを多く使用し、豪華さ高額さ差別感といったものを前面に押し出しています。

 

まあ確かに豪華絢爛ではありますが……

また、ホテル格付けに7つ星というのは本当は無くて、いわゆる自称という事だと後で聞きました。

 

最後に会計したらアフタヌーンティーの代金は一人18,000円!!!

(日本なら2食付で温泉宿に泊まれますね)

 

いろんな意味でのビックリでした。

 

2018/04/20
第154回 「モスクの大理石」

アラブ首長国連邦の首都はドバイではなく、アブダビです。

アブダビもいろいろな世界一や観光名所がありますが、近年特に観光客が多いのは、アブダビのイスラム教寺院、「ジェイク・ザイード・グランド・モスク」です。

 イスラム教ではなかなか他宗教の人がモスクに入る事は難しく、柔軟な考え方をしているUAEの中でも、我われが入れるモスクはドバイも含め非常に少ないです。

 ところがこのジェイク・ザイード・グランド・モスクは観光客でも入れますが、そこはやはり荘厳な宗教施設なのでいろいろと規制は厳しいです。

特に服装や、中での飲食、立ち入り禁止区域など常に警備員が目を見張らせています。

 例によって中国の団体さんが何度も注意を受けており、その近くにいるとこちらもとばっちりを受けそうになり大変残念な思いもしました。

 さて、その非常識観光客は別として、このモスクを見た瞬間にその巨大さ、その美しさ、その素晴らしさに唖然として声も出ない状況です。

 私には凄まじいばかりの大きさで、これも世界一なのだろうと勝手に想像していたら、何とモスクの中ではこれで世界6番目との事。世界はどうなっているのか改めてビックリしました。

 ただここのペルシャ絨毯は紛れもなく世界一で手織りで一枚織りだそうで金額で9億円と言われています。

また、ここのスワロフスキーのシャンデリアも1個で7億円でこちらも世界最大とか。

 でも私が本当にびっくりしたのは、まぎれもなくここの大理石です。

金額はどこにも資料として残っていませんが、イタリア側の石材業者の話では白大理石の一つの採掘エリアを3年間借り切ってその中でも良質の石だけを提供させた、と言われています。

 イタリアの白大理石ビアンコ・カッラーラの採掘エリアはカナルグランデやロラーノ等の著名な採掘エリアがある中、その貸し切りにした丁場の石はその後数年間全く市場から姿を消して、良質の物だけがアブダビでモスクとなって再び現れたのです。

 床のモザイクも、壁や柱の加工技術もまさに石屋として見たら、目の保養であり驚愕の出来栄えです。

 金額を言っては失礼かもしれませんが、過去の石工事の経験から100億円では無理と思います。

その2倍、いや3倍以上の金額の石材がここに費やされていると思います。

 当社でその100分の1でもこの仕事がしたかったなあと、モスクを見ながら思っていました。

2018/02/20
第153回 「ドバイの建築」

 ドバイと言えば建築物の素晴らしさ、特異さ、そして何でも世界一で有名です。

今更ながらですが、一応ドバイの基礎知識としては、ここはもはや産油国ではありません。

観光立国、ビジネス立国で、石油への依存は10%も無いと言われています。

元々ドバイは国ではなく、首長・族長の治める王国です。その王国が7つ集まってUAE(アラブ首長国連邦)として国際社会では認識されています。

最も大きい首長国はアブダビ、ここは石油が豊富でドバイのそれと比べると石油依存は70%とも80%とも言われています。

UAEの大統領は常にアブダビの王様が、副大統領はドバイの王様が継いでいますから、7つのうちの2番目に大きく豊かな王国と思います。

このドバイがそこまで有名になるのは、実は初代の族長シェーク ラシッド王のおかげと言われています。

「限りある資源(石油)に頼る国家経営は良くない、脱石油で世界一を目指す」

という方針のもと、世界中から優秀な人が来るように、紛争や宗教で争いが起きないように、そして観光や石油以外のビジネスで豊かになるように、政治を引っ張っていた先駆けです。

今の王様(UAEの副大統領)はその息子のムハンマド ラシッド、皇太子は3代目の美形のハムダン ラシッドでいずれも経営能力の図抜けた王族です。

最も有名な現在世界一の高さ(828m)のバージュカリファ(ブルジュハリファとも言う)はトムクルーズが実際に登って撮影したところです。

室内装飾も円形アーチをふんだんに(これ以上ないという位のしつこさで)続いていますし、昔のアラビア風の家屋との棲み分けも十分考慮して、どんどん世界一を作って、人も物も金も情報も、ドバイに集まるようにしているすごさを感じた次第です。

2018/01/30
第152回 「ドバイの墓地」

人は死んだらどうなるのか、来世や浄土・極楽・天国はあるのか、それは個人の死生観だけでなく宗教観によるところがかなり大きいと感じます。

昨年、ドバイやアブダビなど7つの首長国連合からなるUAE(アラブ首長国連邦)に行ってきました。

当然ながらイスラム教の世界です。イスラムの死生観はある意味キリスト教に通じるものもあり、救世主がこの世に現れその瞬間にすべての人類(故人も生きている人も)が裁かれて、天国か地獄かの判決を言い渡されるのでその時に肉体が無いといけない、つまりは遺体は絶対に残っていなければならない。日本のように火葬率がほぼ100%の民族は、イスラム社会にとっては信じられない、死後の行き場を失っていると思われるのかもしれません。イスラム社会はほぼ100%土葬のようです。

キリスト教でもある意味同じように死後の復活を信じて火葬をしない傾向が高いですが、一部のキリスト教社会ではすでに50%近くまで火葬率が上がっている国もあるようですので、それと比べるとイスラム社会はかなり厳格に火葬を拒否しているようです。

そこには国の土地の広さや砂漠化など、イスラム教が多いエリアには広大な乾燥した砂漠地帯があり、土葬に適した?国柄であるからか、国土が狭く死者がゆっくり眠る土地を与えられなくてしょうがなく焼骨で埋葬するのかなど他の理由もあるのでしょうが、ところ変われば…です。

さて今回、ドバイで墓所を案内してもらおうと思ったら…、墓地は全て政府の直轄エリアで、すべて高い塀に囲まれており(写真 )一般人、ましてや観光者が立ち寄ることもできなければ、車を近くに止めてもすぐ脇にある政府直轄の警察組織が不審者として引っ張っていく雰囲気(本当にそうかはわかりませんが)で、遠慮がちに望遠レンズで中の墓地を撮影しました。(写真 )

一部の人は土葬で埋葬して1年、3年、5年程度までは一応目印になるような簡易お墓や石の目印を置いておくようですが、基本はエリア(敷地を示す日本でいう外柵)のみ示してあって中は本当に土のまま、砂利のまま、草の生えるままのようです。写真 は今回のドバイの例でなく同じイスラムのサウジアラビアの墓地の例です。

このように土葬の場所がいずれ分からなく可能性もあるのですが、ドバイの風習ではたとえ奥さん、娘でも女性は遺体埋葬に立ち会えず、その後も墓地にはなかなか行けないので、夫や親がどこに埋葬されているのかわからないケースも多いと聞きました。

なかなかわれわれの供養感や死生観では理解が難しいのかもしれないですね。

2017/12/12
第151回 「カプリ島・青の洞窟」

 ナポリの最後はやはり青の洞窟の事を書かないといけないかと思います。

実際にはナポリから高速船で約1時間(結構揺れて船酔いの酷い人には厳しい)でカプリ島に着き、そこからモーターボートで島を巡って、洞窟の前では海の上でボートから手漕ぎ舟へと乗り換えての結構な行程があります。

この前日まではかなり風も強く、波が高かったせいで3日連続で青の洞窟には入れなかったそうで、年間平均で3日に1日くらいしか洞窟には行けないと聞いていたのですが、3日連続駄目なら次は大丈夫だろうという安易な考えで、まあ今日は大丈夫かなくらいの思いを抱いて、ナポリからカプリ島に向かいました。

 波の程度がどの位で決行、どうだと中止かわからないので着いた時に確認するのですが、ガイドさんがしばらく問い合わせに行っている間、大きな看板を見ながら(写真 )青の洞窟を思い描いていたのですが……

 何とこの日も今の時点の判断で本日の欠航が決まり、高速船で来た観光客は全員急遽カプリ島観光に変更。

バスやロープウェイでカプリ島の頂上に登ったり、島内のお土産屋や観光スポットを回ることになりました。

 残念だったのは確かですが、でも島内を回っている間に島の墓地があって、仕事柄ちょっとガイドさんに断わって整備の行き届いた霊園内に入りました。(写真 )そこには綺麗な花を手向けた普通の墓石とともに壁墓地もあり、小さな島の狭い墓地の有効活用を見ることが出来ました。

 また、青の洞窟訪問だと、ほとんどが海の上での時間となり、ナポリに戻ることを考えたらカプリ島ではほんの短い時間しか無く、かなりの駆け足での観光となるそうで、本当の青を見ることが出来なかったのは残念ではあるものの、島の周りも全て綺麗な青の海が広がり(写真 )、(洞窟内の青はレベルが違うとの事でしたが)きれいな空気とゆったりした島の散策で、これも致し方なしとあきらめて戻りました。

 最終日にもう一度小舟が出せたかどうか聞くと、その次の日も、そしてその次の最終日も欠航で連続6日間の中止だったそうです。

統計からするとその後に行った人はかなりの高確率で見れたんでしょうね。

うらやましいです。

絵葉書を買ってこちらは我慢しました。

2017/10/23
第150回 「アマルフィ海岸」

ナポリ近郊で、ポンペイの次に訪れたのはアマルフィです。

このアマルフィ、日本で急に脚光を浴びたのは織田裕二と天海祐希が主演した映画「アマルフィ 女神の報酬」が一躍脚光を浴びたのが理由と思いますが、こちらイタリアでは既に中世から4大海洋都市として有名で数百年栄えた共和国でイタリア全土でもとても有名な場所でした。

4大海洋都市とは、アドリア海側のヴェネチア共和国、そしてティレニア海側(メデテレーニア=地中海側)にあるジェノヴァ共和国、ピサ共和国とこのアマルフィ共和国です。

この4大海洋都市は今でも船の競技大会を開催しており、お祭りとして和気あいあいで楽しく、かつ一部は昔に戻って競技・競争のように、時に戦争のように真剣に開催されているそうです。


今では超高級な別荘地、プライベートビーチを備えた高級避暑地であり、こんな平面がいくらも無い崖地の中に店も人もあるれるように闊歩しています。

少し一般の建物とは異質な感じがするのはアマルフィ大聖堂(ドゥオーモ)です。

ローマやフィレンツェの聖堂は、街に完全にマッチしてその様式に違和感が無いのですが、ここアマルフィの聖堂は、何か周囲の建物との異質感があります。

理由はおそらく建築の様式やその色使いで、何となくビザンチン様式やオリエント風な色彩のせいかと思います。

海洋貿易国家であり、広くギリシャやトルコ、或いはアフリカ大陸の北岸も含めいろいろな文化と交わってきた何よりの証しではないかと思います。

またそのドゥオーモ広場の噴水も、ギリシャ彫刻やローマ彫刻の流れを汲みながら、水と乳を大切にする砂漠の民(イスラム民族やユダヤ民族)の意識も含まれて、いろいろな地域の文化がごちゃ混ぜになった何かユーモアを感じる石像だと思いました。

2017/09/02
第149回 「ポンペイ遺跡 4」

引き続きポンペイの遺跡と石の話をしたいと思います。

写真 が中央広場のアポロ神殿の石柱です。

大理石よりは少し柔らかい石灰岩製ですが、円柱の加工も、それを二階建てに設置する技術は近代文明でも現代でも今もって難しい作業です。

まあそれを言ったらアテネやミケーネなどもっと歴史の古いギリシャ文明、エーゲ海文明時代でも大理石の神殿が至る所に在ったわけなので、人類と石との関わりの古さとその技術や情熱には改めて驚かされます。。

ここで余談ですが、各地の遺跡は何故か柱や壁は残っていても、屋根がほとんど無い、或いは全く残っていないことが共通しています。これは屋根材として重さの関係もあり石が使われていないのが理由です。

日本の玄昌石(スレート)のように石材を薄く加工し軽くして屋根材として用いる(玄昌石の屋根材で有名なのは東京駅の駅舎屋根です)事もあるとは思いますが、それでもその石を置くための桟や梁などはやはり燃えて消失してしまう事のある木材や、或いは錆びて強度が無くなる事のある金属類で造ってあり、全てが石で出来ている屋根が無いので、歴史の中で屋根は残らず、柱や壁だけが残ってしまうのです。

前回も最後に記載しましたが、「石こそ永遠に亘ってメッセージを伝える唯一のモノ」だと確信します。

さて話を元に戻します。

この神殿の周りには役所と思われる建物、裁判所と想定されるもの、今で言う国会のような政治家が集まる建物などが密集しており、政治の中心エリアだったようです。

逆にポンペイには王宮や王族の建物が存在せず、いわゆる民主主義、或いは共和政がしかれていたこともわかります。

医術も進んでいて診察用の器具や手術用の道具なども発掘されていますし、ワインを売る居酒屋も、剣闘士が戦う円形大劇場もあり、まさに充実した個人の生活が営われていたと思われます。

写真 は演劇などが催わされたであろう半円の小劇場です。

中央のステージから客席にはよく声が響くようになっています。

また最前列は客席の椅子がギリシャ産らしい白大理石で出来ています。

後列のレンガ調の椅子と比べると当時も最前列は砂かぶり席で、高級だったのでしょう。

写真 で石の小口(脇の面)を見ると厚さ約2.5cm、座る面は今の技術ほどではないですが、ミズ磨き程度には研磨されています。

半円の劇場に合わせた石の曲線加工(R加工)も上手になされております。

当時の人々はここに座って、トロイの木馬やアレキサンダー大王の遠征劇などを砂かぶりの中で見ていたのでしょうか。

2017/08/19
第148回 「ポンペイ遺跡 3」

引き続き ポンペイの石の話をしたいと思います。

いろいろな出土品から想定して、当時の文明が今から2000年前の、日本で言えば弥生時代の物とは到底思えないのですが、視点を石屋の目から想像してもかなりの水準だったと思います。

写真 は室内に飾ってあったであろうモザイクの肖像画です。

色使いも陰影もそしてその写実性も、近代の油絵や芸術を思わせる感じがします。

私の個人的な呼称ですが、「ポンペイのモナリザ」と呼んでしまいました。

おそらく豪商か貴族の奥さんの肖像画で、ミスポンペイだったのではないでしょうか。

写真 はポンペイの街を縦横に走る車道です。

大きな石で全面舗装してあります。

ここには写っていませんが、馬車の車輪で出来た轍や、雨を流すための排水溝も車道には残っています。

この写真にある小さな白い石はここが車道であるという印で、夜になるとこの白い石が光るという説明を受けました。

石の種類が猫目石との記載がありましたが、もちろん宝石で言うキャッツアイとは違うと思います。

見た目ではペルリーノキャーロという大理石に似ており、おそらく貝の成分のようなものを多少含んだ大理石のような感じです。夜に光るというよりは月光や星の光でその部分がぼんやりと反射するのだろうと思いますが、いずれにしてもすごい発想です。これでだいぶ当時の交通事故を防いだのでしょう。

写真 はテルマエ(公共浴場)の中にある、大理石一体ものの水盤です。

おそらくギリシャ産大理石の大きな原石(およそ10トンくらいの重量)から成形し、中に給水用の穴をあけ水又はお湯が出るように加工し、尚且つその大きな重量物を浴槽のある室内にどうやって運んだんだろう・・・・?

かなりの技術と文明の証しです。

そして、その水盤の周辺にはそれを製作し寄贈した(当時は選挙運動用に寄付が行われていたそうです)政治家の名前がギリシャ文字で彫刻されており、今でも読めるとの事。

2000年前の政治家のポスターが現代人にアピールしているんですね。

改めて石が次世代、未来に引き継ぐ永遠の通信手段なのですね。

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