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しばらく前にシンガポールに行った時に、偶然通りかかった場所が路傍の芸術展示場のような場所でした。
何度かシンガポールには行っていましたし、いろんな場所で芸術のあふれる都市とは思っていましたが、今回はなんと誰も人が歩かなそうな裏の道(あまりいい表現ではないですね)でのことです。
今まではシンガポールの本島に泊まってセントーサ島は日帰り、と言ってもまるで陸続きですので、ちょっと立ち寄る程度の近さですが、今回はセントーサ島にロングステイし、島内のバスやアクティビティで裏から裏まで歩き回り見て回りました。
普通なら、スカイウオークという眺めのいい舗道を往復するのですが片道だけそのスカイウオークで、そして帰りは坂を下って普通の道を戻って来た時の「裏の道」で見たのが写真の路傍芸術です。
ライオンも、昔ながらの住宅もただの路傍の石にペイントでいかにも、まるでもともと造ったように描かれていますが、本当に回りにそのままある石を、そのモノの形を生かしてペイントしたものです。
おそらく無名のアーティストの作品とは思いますが、この自然物を見ての発想が面白いですね。
最後に、降りてきた坂を振り返ったら、何と単純な平面の坂のはずが、大きな波に翻弄される帆船がたくさん!!
坂を降りてくる間はアスファルト道路に書いた落書きか何かと思っていたのですが、下から見上げるとそこには嵐のようなビッグウエーブが・・・・
何か裏の道の回り道にも、こころ和むほっとする一瞬でした。
前回号で、予約後シャトー訪問して、担当者にそのシャトーのすべてを見せてもらった話をしました。
実は、外からだけならそのシャトーの畑も、中には入れなくてもシャトーの建物や工場の外観を見ることはできます。
やっぱり、ボルドーに行ったなら、第1級の有名所を見たくて仕方なかったので、メドックエリアを車で探し回りました。
見渡す限りにブドウ畑が続き、しかも前号で紹介したように小石混じりの畑です。
ただその石も大きかったり、丸かったり、砂利だったりと大きさもその畑ごとに微妙に違いますし、専門的に言うと石灰岩系だったり花崗岩系だったり、安山岩質だったりと石の性質も違っていました。
同じブドウ品種でもワインの味が千差万別で変わってくるのは、醸造方法の違いも大きいですが、その大地の差(テロワールと言われます)が大きいことが目の当たりにして理解できました。
話は戻り、そして走っていること30分ほどで、小さな村の教会とその裏の墓地が視界に入ったと思ったら、その先に見たかった第1級シャトーのシャトーマルゴーの建物が見えました。
案内はないものの、勝手に(すいません)敷地内に入って向上外観、シャトー外観を見、そしてブドウ畑を見たら、なんとそれまで見た畑の中でも最も地味の貧弱な、近くに墓地が出来た理由もわかるようなとても畑としては耕作できないような、まるで荒れかけている?ような畑こそが、あこがれのシャトーマルゴーの畑とのこと。
説明を受けていないので何とも言えないですが、前号のとおり、良いワインは所謂地味の肥えた伸びるに容易い土地からではなく、育つに難しい中で成長したブドウこそがフランス一美味しいワインの原料となるのですね。
こちらは残念ながら、大人買いする機会も金銭も持ち合わせておらず、心残りでした。
フランスはボルドーまで来て、行かないでは済まされないのが、ボルドーワインのシャトーの訪問です。
ボルドーメドック地区には凄まじい位のシャトーがある中、その存在に権威があり、しかも世界中に知られているのが、メドック1級から5級までに選ばれたたった61カ所のシャトーに入っていることです。
第1級は誰しも知っている5大シャトー、シャトーマルゴー、シャトーラトゥール、シャトーラフィットロートシルト、シャトームートンロートシルト、シャトーオーブリオンの5つ。
第2級は14シャトー、第3級も14シャトー、第4級は10シャトー、そして第5級が18シャトーで全61となります。(ソムリエ試験を思い出します)
その中で名前が似ていて覚えるのに苦労したのが、先程の第1級の2つのロートシルト。
その他に2つのピション、ピションロングビルバロンとピションロングビルコンテストラランド。
2つのローザン、ローザンガシーとローザンセグラ。
そして今回訪問した3つのレオヴィル、レオヴィルラスカーズとレオヴィルポワフィレ、レオヴィルバルトン。
(すいません、ますます専門的になりソムリエ試験第1次問題になりました)
実はこの3つのレオヴィルも元は一つの大きなシャトーだったのが、時の権力者のナポレオンにより小さく分割されたものだそうで、その3つとも第2級格付けとなっています。
他の名称が似ているシャトー同志も、昔は同じだったものが兄弟で分けたり親せきで分割したりというのが多い様です。
今回このレオヴィル、特にシャトー3兄弟とするなら真ん中にあたるレオヴィルポアフィレに行ったのは、シャトー見学はとても人気があり、数か月前から予約を受け付けていてとても急には入れるようなものでなく、今回何とか見学の許可をもらったのが、比較的目立たない日本でも知っている人の少ない子のシャトーでした。
こちらもそうですが、ワインの産地と石は切っても切れない仲で、写真のとおりブドウ畑は小石が表面を覆う、農地としては最悪の場所です。
でも、それこそがブドウの生育を阻害することによって逆に強みを引き出し、ワインとしての深みを醸し出す大地の力です。
逆境が人を大きく成長させることと似ています。
ブドウ畑や、醸造工場、樽詰め工場、そして保管倉庫を回って最後に試飲、結局なかなか日本で飲めなかった格付け第2級のレオヴィルポワフィレを大人買いしてしまったのは、現地見学の熱量のせいかもしれないですね。
引き続き、ふらっと寄ったボルドーの霊園の話です。
通常墓石の材質と言えば、ヨーロッパでは大理石、近年では日本と同じように花崗岩(みかげ石)が多いのですが、さすがにフランスは大地自体が石灰岩層でおおわれているので墓石も石灰岩で作られているものが多かったです。
前回のゴヤの塔も同じ石灰岩でした。
石灰岩は花崗岩や大理石と比べると柔らかくて加工がしやすいメリットのある半面、風化や汚れカビなどのデメリットもあります。
日本でも当初は地産地消の最たるものであり、みかげ石産地以外では安山岩や粘板岩、凝灰岩や砂岩までお墓として使われていた地域もありました。
最近は加工の技術が大幅に高まって、最も固い花崗岩のお墓に、更にポイントや花を供えるような意識でみかげ石のアクセントお供え石(メモリアルプレート)が至る所に置かれていました。
日本で言う塔婆の感覚なのか、亡くなった時だけでなく、命日などのタイミングでお供えするようで、人種国柄に関係なく、亡くなった家族を供養する心根は皆同じなのですね。
今回はボルドーのワイナリー見学も予定していたので、ボルドー市内に宿泊しました。
時間があれば近くの霊園を見ることがまるで趣味のようになってしまいましたが、そんな中でも得るものがあるので、やっぱり行ってしまいます。
ボルドー市内のシャフトハーズ修道院に併設する霊園を予備知識も無く訪れました。
この霊園にはフランシス・デ・ゴヤのお墓があるとの説明を受けて、割と大きな敷地でしたが、特徴を聞いて探し出しました。
画像真ん中の塔のようなお墓にゴヤの顔と名前が彫ってあります。
区画的にも目立つ場所でさすがに、著名な画家だけのことはあります。
ゴヤはもともとスペインに産まれ、宮廷画家としても知られ、裸のマハ、着衣のマハなどの作品を今に伝えています。
晩年にスペインから亡命しこの地ボルドーで生涯を終えました。
そしてこの地に埋葬されたそうですが、なんとその後スペインの親族から遺骨の引き渡しを求められ、今はスペインのマドリッドに眠っているそうです。
またその時に、頭蓋骨だけ盗難にあっており、スペインには頭蓋骨無しの遺骨だけが返還されたとのこと。
なぜ、ゴヤの頭蓋骨が盗まれたのか、だれの仕業か、今どこにあるのか、全て謎だそうです。
誰かが思いついてミステリー小説になりそうな事件だったのではないでしょうか。
パリを代表する建造物は何と言っても凱旋門でしょうか。
パリ市内を南北に分けるように東西に流れるセーヌ川に沿って、その北側を川沿いにルーブル美術館ーコンコルド広場ーシャンゼリゼ通りと西側(西西北)に進んでいくと、壮大なエトワール凱旋門が現れてきます。
これはあのナポレオンが1805年にアウステルリッツの戦いで、ロシア・オーストリア連合軍を破った記念に1806年に建設を命じたもの。
ただし完成したのは30年後の1836年でその時にはすでにナポレオンは亡くなっていて、1840年にナポレオンの改葬の為、本人の亡骸が通るという皮肉と、完成後初めて大行列でこの凱旋門を通ったのが当時敵国だったヒットラーが最初という二つの曰く付きの凱旋門です。
この凱旋門の石材ももちろんフランス特産の石灰岩ですが、フランスではそれほど産地にこだわらないのか、詳しい場所はわかりません。
フランスの大地自体がブドウの生育に重要なミネラル台地であり、特に石灰岩の地層が各所にあるため、凱旋門の石の産地もそのどこかなのでしょう。
有名なのはワインの王様と言われるブルゴーニュのコートドール地区には世界有数のワインの畑があり、赤ワインのピノノワール種の最高の土壌と言われていますが、ここは有名な石灰岩の採掘場でもあり、ライムストーン(石灰岩)として海外にも数多く輸出されています。
同様にスイスとの国境近くにジュラ地区という、恐竜時代の命名の由来となった場所も、ワインと石灰岩で両方とも世界に輸出している場所もあります。
それほどフランスでは石灰岩が一般的で、建築素材としても極めてポピュラーなものと思います。
そんな中でもいろんな石灰岩の種類があるのか、パリ市内モンマルトルの丘の上にあるサクレクール寺院の製材も同じ石灰岩ですが、雨と日光の作用で汚れが落ちる性質を持っている石灰岩であると、説明がありました。
確かに同じ材質の石灰岩ですが、中の方の雨や日の当たらない場所は長い年月で汚れが目立ち黒っぽくなっているのに、外の方は日や雨にあたる部分を中心に白くきれいなままです。
外壁は定期的に掃除しているのではないの?と思って質問しましたが、それなら中もやります。ってキッパリ言われて確かに、自然の中での洗浄作用があるんだと思いました。
でも、日本の気候の中で、その湿度の中で、それが効果あるかどうかはわかりません。
特に、砂岩や石灰岩など水を吸いやすい石材に、そのような自然洗浄の機能があったらこれは素晴らしいですね。
薬品などを使わずにそのような機能を持った石材があれば日本の建築風景も変わってくるかもしれません。
(もちろん吸水率の低い花崗岩や、石灰岩と比べるとかなり吸水性が低い大理石は、日本の風土でもそれほどは汚れないことを注記として述べておきます。)
前々回はルーブル美術館の地下の石垣について記載しましたが、美術館自体も展示作品の多くも石材が大きく関与しています。
美術館の床や壁はもちろん、展示作品の台座にも素晴らしい大理石が多用されていますが、今回は有名な展示作品を石の方から見てみたいと思います。
ルーブルの石彫刻で最も有名なのはミロのヴィーナス像でしょうか、なぜかこの両腕の見つかっていないこの像が完全な比率を表す黄金比の代表的作品と言われています。
実際の石像の身長自体は2メートルを超えて巨大なのですが、その比率を現代女性或いは男性の身長に比例縮小すると、見事なバランスの体躯になるとか。
特にへそから上と下のバランスや、ウエストやヒップ、顔の大きさなどモデル並み(最近はいろんなモデルさんもいるので適正かどうか?)で、美の究極だそうです。
この石像は今から約200年前の1820年に当時オスマントルコ領だったミロス島の農民が畑で見付けたもので、興味を持ったフランスのルイ18世によって買い取られ、ルーブル美術館に寄贈されたものだそうです。
この石材の産地はほぼ特定されており、同じエーゲ海諸島の中のパロス島の白大理石と言われています。
両腕の所在を除くとほぼ完全な形で出土したこの像は、想像するにこのミロス島で加工されたものでなく、石材産地と彫刻加工の集積で産業化していたパロス島で採掘、加工、仕上げをされた後に船の運搬と陸上の輸送でミロス島に細心の注意で運んだものと思われます。
制作時期は今から2100年以上前の紀元前100年位と言われています。
もう一つの有名な女神像 サモトラケのニケ も同じくエーゲ海諸島で見つかっています。
こちらは発見自体は1860年頃だったのですが、発見時はほとんどが石の断片で数百個の端材をつなぎ合わせて今の形にしていった技術と情熱に驚きます。
大きさはミロのヴィーナスよりも余ほど大きく女神像だけで3メートル以上もあります。
それに加えて女神像の台座、その下に軍船の土台とさらに全体の台石と合わせると5メートル50センチ以上の大迫力です。
こちらの石の産地は特定されており、女神像はミロのヴィーナスの産地と同じパロス島の白大理石、船と台座の石はロードス島のラルトスという採石地から出る灰色の大理石という事までわかっています。
この場合、発見されたサモトラケ島で加工したのか、それともパロス島で白大理石の女神像、ロードス島で灰色大理石の台座を作って、サモトラケ島で合体させたのか、或いはどちらかの加工先進地に原石を移動したのか明確な答えが無いために、逆に個人的にいろいろと想像をして楽しんでいます。
こちらもミロのヴィーナスよりさらに100年以上古く、紀元前200年から紀元前300年の間というからすごい古いお話です。
最後の写真は石のはずが石でなく、エジプトのはずがエジプトでなく、四角錐のはずが逆四角錐という、何とも不思議なルーブル美術館名物ガラスの逆ピラミッドの写真です。
ピラミッドもご存知の通り、黄金比率の数値であふれています。
本当ならここにも少しだけ4000年前のピラミッドの石をアレンジしてくれたらもっと繋がりを感じたかもしれません。 蛇足ながら。
パリ市内から南に車で30分程行った所に、ヴェルサイユ宮殿があります。
言わずと知れたフランスが最も輝いていた時代にルイ14世が場所を決めて宮殿として建設しました。
まさにフランス絶対王政時代の絢爛豪華、世界で最も華麗な宮殿です。
当時はルーブル宮殿はじめチュィルリー宮殿などパリ市内にもいくつかの王宮があり、それぞれに分散して住んでいたようですが、ルイ14世が「パリは嫌いだ」ということで、新たにこのヴェルサイユに建てたもののようです。
日本でも奈良時代は平城京・平安京に落ち着くまで王都の移転が何度もあり、日本の場合理由は好き嫌いではなく悪霊や忌み事を原因としていますが、本当は旧来勢力の一新、革新的な大変革の実務的行動だったのではないかと思っていますが、ルイ14世のこの判断もあるいは同じで旧来勢力を一新し絶対君主としての権力の確立にあったのではないかと想像します。
とにかく広い敷地、水の無い土地にセーヌ河から約10キロも水道橋を引き、庭では噴水、舟遊びが出来る水量豊かな大庭園を擁しています。
こちらも近年、大修復がなされ、見学者の人気が後を絶たず(日本ではアニメのヴェルサイユの薔薇、それを題材とした宝塚のベルバラも人気を後押し)入場までに入口広場を上ったり下りたり1時間以上の長蛇を経てようやく中に入れます。
中は有名な鏡の間をはじめ、高級大理石のオンパレード。
赤い大理石はおそらくフランス南部の産出かと思っていたら、何とトールーズ近くフランス南部コーヌ・ミネルヴァ産ということがわかりました。その理由は近年その採掘場を掃除していたら、ベルサイユの中の教会(聖堂)用に350年前に発注受けて採掘したもの、途中で政変があったり計画が変わったりで掘られたまま忘れ去られていたものだそうで、フランス国内では350年振りに注文を実行する、「大変遅くなりました、間もなくご注文の品が届きます」というエスプリとともに話題となりました。
実際に4トン程の原石を届けて修復補修に使う予定だそうです。
尚、ヴェルサイユで使われた石のサンプルが、近年の修復で必要となり、それらを記念して新設された出口ホールの壁に本物の大理石が、各オリジナルの産地から再度取り寄せて一面の壁として、モニュメント的に装飾してあるのはすごく面白いアイデアと思いました。
パリと言って直ぐに思いつくのは、エッフェル塔、凱旋門、ルーブル博物館、等でしょうか。
或いはシャンゼリゼ通り、モンマルトルの丘、或いは最近の火事で逆に脚光を浴びているノートルダム大聖堂や少し離れたところになりますがベルサイユ宮殿というのも有名ですね。
先に書いたようにパリ市内自体は35年前に一度訪問しただけで、その時からの変化は大きいものとあまり違わないものとがありました。
特に35年前と比べ目立って違っているのがルーブル博物館です。
なんと外観上、今は最も有名になったガラスのピラミッドは35年前の訪問時には無かったものです。
これは今から36年前の1983年に計画が始まって1989年に完成、その後しばらくパリ市民の評判が悪く、当時の大統領批判が大きく喧伝され物議をかもしたことがあったそうです。
そういえば、130年前のパリ万博の為に建造したエッフェル塔も、歴史あるパリの風景に合わないと言われ、大きな反対運動がおこったそうですが、今はパリの象徴になっていますから、近々の評価と歴的評価の違いなのかもしれませんね。尚当時はエッフェル塔の為に景観が悪くなったという事で近隣の地価も下がり地元住民からの反対は凄かったようですが、今ではエッフェル塔に登る人が列をなし、お土産屋やカフェや観光関連の影響で土地の値段も周辺以上に高騰しています。
さて、ルーブルに戻って当時無かったガラスのピラミッドはルーブル博物館の建物自体が横長のコの字型の建物で、コの字の反対側に行くのに大きく左回りで迂回しないといけなかったのを、コの字の真ん中のナポレオン広場の真下に入口及び通路を作って、そこからならコの字の建物の三方どこにでもすぐに行けるようになるのと、常に入場口で渋滞混雑していたのをその地下入り口をメインにすることで緩和させる意味があったという話を聞きました。
そういった理由でルーブルの地下を掘っていったところ、なんとたくさんの石が発見され且つその形を復元するとルーブルは今でこそ博物館ですが、その前は王宮、そしてさらにその前は城塞であったとのこと。
お城を守るように城壁があり、その外側に水をたたえた堀があり、更にその堀も石垣で組んであって、その発掘調査の詳細や復元図は近年になって中庭発掘で初めてわかったようで、日本人から見ればまるで大阪城の石垣と内堀のような、江戸城の石垣とお堀のような感じを抱かせます。
石材は大阪城の花崗岩とは違い多少加工のしやすい石灰岩ですが、それでも大阪城と同様に一つ一つの石に十字架やアルファベットや絵文字などどの班、どの職人が加工し施工したのかの目印が残っていることも世界に共通していることかもしれません。
実はルーブルの地下にはそのように石垣のサンプルがそのまま残っており、美術館としての価値ともに歴史的建造物としても、見るべき価値がありました。
もう一つ以前に無かったものとして、ルーブル美術館の地下からカルゼル・デュ・ルーブルというショピングモールが続いていて、高級ブランドからお土産屋、カフェなどその時の地下発掘後の再活用も進んでおり、まさに旅行者には便利で複合的な集客が可能なエリアに変化していました。
ふつうは美術品を見るためにルーブルに行くのですが、石の城壁など見てる人は珍しいと思われるでしょうから、一応はルーブルの定番 ダヴィンチの「モナ・リザの微笑み」もちゃんと再会してきました。
こちらはあの時からあまり変わらず謎の微笑みを浮かべているだけでしたが。
続いてもペールラシェーズ墓地の話ですが、今度は火葬と納骨堂の話です。
実はここラシェーズ墓地の中には、火葬場が一緒になっていてその周りにたくさんの建物が囲むように建っています。
吹き抜けの回廊型の建物のあれば、完全な石の教会型のもの、あるいは地下型のものなどがびっしりと墓地の中の火葬場の回りに建ち並んでいます。
これらは納骨堂で30センチ角位の仕切りの中にお骨を入れて蓋をし、その蓋に個人の名前を刻むものです。
多少奥行きがあり夫婦単位で2名、あるいは家族単位で3名分のお骨を入れることもできそうです。
墓地と共存して数万のお骨がこの納骨堂の中で安置されています。
フランスは宗教的にはカトリックが大変に多く、人口の8割くらいがカトリックと言われています。
もともとカトリックは土葬が主体で火葬は嫌がるのですが、フランスのカトリックは比較的火葬を容認しており現在は約3分の1は土葬でなく火葬を選ぶようになってきているとか。
特に大都会であるパリでは火葬も普通になってきているそうです。
やはりこちら納骨堂タイプにも有名人が眠っており、オペラ歌手のマリアカラスはこの納骨堂の中にあるそうです。(数万の数でとてもではないが場所を知らないと見付けるのは困難で確認はしていませんが)
納骨堂は規格化された同じ形の個別墓所ですが、やはり独自性を求めてか、蓋の石に凝ったり、生前の個人の写真を貼ったり、造花やブロンズを嵌め込んだりといろいろな工夫もありました。
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