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今までいろんな所に仕事や休暇で各地を訪れて、いろんなホテルに宿泊してきました。
イタリアやイギリスの古趣あふれる伝統的ホテル。
香港や東京の近代的な外資系ホテル。
どこまでが廊下なのかわからなくなるようなマカオや中国の超大規模ホテル。
少ない経験からですが今までの宿泊ホテルで一番印象に残っている内の一つが、シンガポールにあるシャングリラホテルのヴァレーウイング棟です。
最近は多くの外資系ホテルで顧客満足NO1を競って、いいサービスを提供するホテルが増えていますが、こちらのサービスもとてもいいです。
共有フロアのロビーにもずっと居たくなるようなホスピタリティーと飲み物や軽食のサービス、ハープ(西洋琴)の生演奏によるバックミュージック、心地よいソファーでかなりリラックスできます。
そんな一押しのホテルはやはり、使用している大理石も一流、いや超一流です。
床は3種類の大理石を使ってウオータージェットで植物のような模様。加工的にもかなり込入っています。
その床から立ち上がっているのは平面と局面の合わさった柱。しかもこれは高級白大理石のカラカッタと言う石種です。(写真1)
それから別な床は普通の白大理石ビアンコカララに帯模様のボーダーでアクセントをつけていますが、こちらも曲線で表されていて(加工的にはかなりの難技術です)こちらも色使いが抜群です。(写真2)
そしてフロント前の大壁画(絵自体は木版彩色です)の周りを飾る、額縁と壁。(写真3)
石屋のプロだからわかる白大理石の中でも超超が付くスタッチャリオです。
同じ白大理石の丁場から採れる比率では100に1つもないと思いますが、カラカッタもスタッチャリオも石屋でもなかなか見ることが出来ません。
さすがにいいサービスを提供するホテルにはいいセンス・いい目を持った人々が居て、最高のときを提供しようとしているのだなと感心いたしました。
お陰様をもちまして、2月20日に 宮城県8店舗目、全国では12店舗目となる、まつしまメモリーランド閖上(ゆりあげ)店をオープンさせていただきました。
こちらは1月15日に先行オープンとして、すでに一部のお客様にはご来店いただいていましたが、この度すべての準備が完了しグランドオープンいたしました。
今回の閖上店は今までにないコンセプトとスタイルを持った初の店舗となります。
そのコンセプトとは出店のエリアや考え方、費用のかけ方や準備期間など、今までとは全く違うものです。
旧コンビニ店舗を居抜きで使用させていただき、出店までの費用も期間も大幅に縮小したことと、また小商圏の限られた地域での販売計画、さらには地元密着の企業さんとのコラボなど店舗内部も従来店とは違います。
仙台の経済事情を取り扱う仙台経済界という雑誌にも取材を受けて取り上げられましたが、従来のやり方を踏襲するだけでなく、新しいチャレンジは何事にも重要だと思います。
今後の新しい取り組みとして成功させていきたいと思います。
以前このブログに書いたら数少ない読者の方の中から「このお店どこに在るか教えて」と幾分かの反響のあった店で、店主が素人ながら石窯を自分で作ってしまったピザ屋さんに本当に久しぶりに行ってきました。
相変わらずピザはナポリ風のモッチリふっくらで、チーズも水牛のDOCにこだわった一品などはまさに、ボニシモ(イタリア語で美味しいの最上級型)です。
特に、焼き加減が以前に増してうまく焼けていると思ったら、店主曰く、新しい窯の状態が最高とのこと。
今回の窯は、地元産の凝灰岩である、秋保石を使って作ったそうです。
火山岩のうちの比較的浅いところでできた凝灰岩には、大谷石やこの秋保石、松島でも採れた松島石(野蒜石)などがあり、今では見かけなくなりましたが竈(かまど)や焼却炉などにも利用できる、熱で割れる心配の少ない岩石です。
それと比較すると同じ火山岩系でも深成岩である御影石や、変成岩である大理石などは、長時間高熱にさらされると割れや膨張による亀裂が入りますので、凝灰岩はまさにピザ窯にはうってつけです。
今回の新作窯は、さらに意匠にも遊び心を入れて、「これ何に見えますか?」と聞かれ、「ガマ蛙?、怪獣?」と答えてしまったのですが、正解は・・・・。
是非、店主に直接聞いてください。
ただし、看板注意書きにあるように、店主1人で混雑時溺れそうな場合は対応難しいので、余裕のある時にお願いします。(笑)
いろんなところに出かけると、いろんな体験をするものですが、今日は電車の話をします。
群馬県に用事があって出掛けた時の話ですが、赤城山の山麓を縫うようにして前橋市と桐生市を結ぶ路線で、その名も上毛電気鉄道という電車が走っています。
前橋市と桐生市を結び、単線で二両編成の路線です。
地元の方では「上電」と略すのだそうです。
よく似ているものに前橋市と栃木県の小山市を結ぶJR両毛線というのがありますが、それとはまったく違う路線で、経営母体も違います。
スピードはそれなりに出ていますが佇まいはなぜか路面電車を思わせるほのぼのとした感じがあります。
乗ってしばらくすると、何か違和感というか、普段と違うものというか、そういった気配を感じて後ろの車両を見ると、何とそこには自転車が。
電車に自転車!!!???
えっと思って周りを見ると、私が乗っている先頭車両(1両目)のドアに「自転車は後部車両(2両目)へ」と書いてあるではありませんか。つまりこれは公認??!!
そして運賃表を見ると自転車は無料!?
地域の足である鉄道と自転車の両方をうまく活用する何とも言えないマッチングですね。
買い物カートを引いたおばあさんが座っていたり、自転車を曳いたおじいさんが車掌さんと何か立ち話をしていたり。
こんなところもこの路線がほのぼのと感じる所以なのでしょう。
本当にいろいろなところに行くと、いろいろな体験があるのですね。
少しは「石の話」をしないとまた特定の読者にお叱りを受けるので(笑)、群馬県と言えばやはり藤岡市周辺で採掘される「山波石」が有名です。少し青みがかって昔は造園関連の庭石としては絶大な人気がありました。
当社でもかつては造園部という部門があり、庭灯篭や玉砂利とともに庭石もたくさん扱っていましたが、今は大きな広い庭をお持ちの家庭も少なくなり、建築石材関連事業と墓石関連事業にそれぞれ引き継いで集約してしまいました。
ビジネスの変遷はライフスタイルの変化にリンクしていますね。
毎年恒例となったまつしまメモリーランドの墓石の初売り2016年も無事にスタートいたしました。
今から15年ほど前には、墓石の初売りというのは、常識はずれで誰も行わず、また同業者からは批判も浴びたりしていました。
われわれの考えでは年末年始で家族全員が集まるこの機会に、みんなで相談して決めていただけたらとの想いで、まさにお客様目線で始めたことでした。
それが今では仙台の初売り文化のおかげもあり、宮城では早くから墓石の初売りが定着、初売り文化の比較的少ない山形県でも今は受け入れられつつあります。
1月2日から全店全スタッフで行っていることもあり、私も極力全店に顔を出してスタッフの皆さんの接客の様子などを見たいのですが、なんせこの時期は大雪の季節と重なり移動に時間と危険が伴うので難しい年もあるのですが、今年は暖冬小雪で宮城はほとんど雪が無く、豪雪地帯の山形月山の峠も凍っていないとの情報で今年は全店回ることが出来ました。
2日初日は宮城7店舗と15日オープン予定の1店の8店舗を回り、翌3日は月山峠を越して酒田店、天童店、山形店と3店舗、2日で総計11店舗、車の移動距離で約700キロメートルを運転しました。
各店滞在はわずかな時間で、ほとんどが移動に費やされましたが、でもそれぞれの地域差やお客様の状況、スタッフの苦労などをじかに見られて大変良かったと思います。
お陰様でご来店状況も良く、それぞれのお店が賑わいました。
まつしまメモリーランドの初売りはまだまだ序盤です、1月17日まで開催しておりますので、9日からの3連休の中盤、そして最終16,17日の土日の終盤まではまだ時間がありますから、是非とも1度お店にお立ち寄りください。
11月2日にトリプルアニバーサリーと銘打って周年記念式典を行いました。
でもここに至るまでには、かなり実施するかどうか悩みました。
まずは周年記念というものに、疑問や不安もありましたし、本当にやるべきかどうか、なかなか決断できないでいました。
決断したのは二つの理由です。
一つはある会社の50周年の式典で創業者が話された言葉です。
「周年というと1世紀100年を区切りとする考えもあるが、自分は半世紀50年こそ、重要な周年だと思う。
100周年はそこに創業を知っている人は誰も居ない、また社員も3世代目4世代目で、事業の内容も或いは全く違うかたちになっているかも知れない。
それはそれで大変素晴らしいが、自分たちの50周年では創業の事を知っている世代、次の世代、そして3世代目くらいまでが、一緒に協働している。
目に見える形でバトンを渡せているのが50周年なので、この半世紀の周年が最も大事だと思う。」
という話でした。
松島産業はまさに50周年目を迎え、創業の世代、第2の世代、第3の世代が一緒に苦労を分かち合っています。
二つ目はグループ会社の中で、同じく記念周年の時を迎える会社が存在したという事です。
品川倉庫建物は何と80周年、一測設計がこちらも40周年を迎え、松島産業の50周年と合わせ3つの会社の周年がタイミング良く揃ってしまい、最終的には見えない力で後押しされたように決断いたしました。
グループ全社の社員とその家族や来賓を含めての約300名で、第一部はフォーマルな式典、第二部は飲食を伴う祝宴の二部形式とし、皆さんには充分に楽しんでいただけたと確信しています。
終わった後は気を張りすぎたのと少々ワインを飲み過ぎたのとで、翌日はなかなか起き上がることが出来ませんでした。
でも、この周年記念は今年、いや私の会社人生の中でも、特に大きなイベントであり、記憶に残る1日であったことは間違いありません。
各社がそれぞれ周年の日を迎えられた事、あらためて関係したすべてのお客様とご縁のあった皆様に、心より感謝申し上げ御礼申し上げます。
ありがとうございます。
今年も紅葉の秋が過ぎ、冬に向かい始めると、トレッキングのシーズンが終わります。
最も体力的に充実している季節ですが、これでしばらくお休みして冬眠状態でいると、完全に体力が無くなり、また来春の初トレッキングはハーハーゼーゼーからの繰り返しとなります。
冬山を登るだけの体力も気力も技術も持ち合わせていない身にとっては、それもしょうがないです。
なので、年内の登り納めを何処にするかは、とても重要な選択になります。
今回は過去に二度登頂している月山に再挑戦しました。
ただし、今までの2回はいわゆる春スキーを楽しむ為のリフトがある志津温泉側(西川町)からの登山でしたが、今回は反対側の八合目弥陀ヶ原(羽黒町)からの登山でした。
弥陀ヶ原からすぐの中之宮神社から頂上を見ると、雲の切れ間に月山の雄姿が見えます。
勾配はそれほどではないのですが、距離が長くてやはりそれなりの山です。
それでも体力的にはベストな時なので、高度差や植生の違いによる紅葉の移ろいを見ながら、余裕をもって登ることが出来ました。
ところどころに、噴火によると思われる岩がゴロゴロしているのですが、他の一般的な火山活動による噴石だと、溶岩のような塊や地表から比較的浅いところで出来る凝灰岩質の石が多く見受けられるのですが、この月山の噴石はほとんどがいわゆる深成岩系で安山岩や花崗岩でした。
かなり古い時代に、地表深くからの巨大な噴火があったのでしょうか?
瞬間的な紅葉や、一冬二冬で体力が変わるなんて言っている人間の時間軸から考えるとはてしない昔を物語ってくれているのでしょう。
人類の歴史を超える長い物語はやはり「石」が語る役割なのでしょうね。
前にもこのコラムに書いたかと思いますが、山歩きの体力にも上がり下がり(好調不調)があります。
もちろん、年々筋力が落ちていくのは致し方ないのですが、特に冬場の運動不足による体力の落ちは、春先に大きく影響します。
毎年4月5月の山歩きシーズン開始時期のトレッキングは、ちょっとした小さな丘でもすぐに息切れがして、長く歩くのがとてもきついのですが、たとえ月に1回 2回でも、それが夏を越して繰り返される頃にはかなり体力がついてきて、とても調子が良くなります。
つまり秋から雪が降る前のシーズンが一番山歩きには調子がいい時です。
もちろんその頃は、山は紅葉の時期となり、登山客もとても多く渋滞(車の渋滞と登山の渋滞とどちらも)が激しいので、いろいろなルートや場所を探してなるべく渋滞にはまらないように登ります。
今回は奥日光、もちろん百名山の男体山(写真 )は有名ですが、これは直登型で標高も高く難易度はかなりハイレベルですので、中禅寺湖から眺めただけで別なルートにしました。
ところで中禅寺湖という名称は良く使っていますが、実際その名前は湖畔にある中禅寺(写真 )に由来するのは、考えれば当たり前ですね。
何度か行っていても男体山側の湖畔は見ていますが、反対側の中禅寺側はあまり通らず(その道は遥かに遠い展望台だけで行き止まりの為)あらためて中禅寺が天台宗の日光山輪王寺の別院となっているのは初めて知りました。何回か行っていても気づかないことも多いですね。
結局、今回の選んだルートは日光湯元の源泉から登って刈込湖・切込湖を越して光徳温泉まで歩く、比較的なだらかなルートを選びました。それなりに良いルートで人はそんなに多くないですが、少しずつ山が紅くなりはじめた絶景のスポットもたくさんありました。
帰りにはその流れで、ちょっとだけ戦場ヶ原の整地された道を歩き、そして紅葉のなり始めの竜頭の滝(写真 )も立ち寄ってきました。結構歩きましたがそれほど辛くはなかったです。
山歩きの体力は今が絶好調です。
だんだん年齢を重ねてきたせいか、或いはもともとのんびりするのが好きだったせいか、温泉でゆっくりする事が多くなってきました。
たくさんの温泉に入っていると、好きな温泉地や好みの泉質などやはり好き嫌いが出てくるもので、できれば自分だけの温泉ベスト3などを考えたいと思います。
その前に温泉に対する自分なりのこだわりを書きたいと思います。
まずは露天風呂が無いのはさみしいです。
たとえ雨でも冬でも、少しひんやりとした外気に触れながら、体はあったかいお湯の中。
これで外が青葉だったり、紅葉だったり、雪景色もまた良いです。
最近の露天風呂は菅笠が置いてあって、雨や雪の日はそれを被って湯に浸かるのも一興です。
次は、白濁硫黄の泉質がベストです。
だいたい、噴火の危険がある地域なのでしょうが、硫黄泉で酸性が高く、空気に触れると白く濁る温泉。
対局はさらっとしたお肌に優しいアルカリ泉質、よく美肌の湯と称されるのが多いですが、私には少し物足りない感じですね。
そして、やはり大浴場の広さも大事です。
家庭の浴槽とあまり変わらない秘湯の温泉も、情緒があって良いですが、何といっても広々とした大浴場。
そして、その大浴場が「御影石」や「十和田石」などの石工事がされていて、床や浴槽が石だったら最高です。
そんな三拍子そろった温泉地は・・・・?
実はたくさんあって、ベスト3なんて選べないですね。
山形県の蔵王温泉、岩手県の網張温泉、秋田県の乳頭温泉、福島県の高湯温泉、宮城県の鳴子温泉にも白濁泉質もあります。もちろん関東にも栃木県の日光湯元温泉、長野県の白骨温泉、群馬県の万座温泉、、、、、、
んーむ、やっぱりまだまだ行き切っていないので、ベスト3の発表はもう一度行ってからということで。
立山トレッキングの帰りに富山市で観光してきました。
なかなか富山と言われても目ぼしいものが見つからず、ありきたりの富山城址の見学をしてきました。
富山城は古くは地域の豪族の神保氏や織田信長の家来の佐々成政が居城としたものですが、今の原型を作ったのは加賀藩藩主の前田利家の子・利長だそうです。
今現在は、戦後に再建した天守閣を模擬天守閣と称して、富山市博物館の展示が中でなされています。
その天守閣が立つ石垣は当時から残るものだそうですが、面白いことが二つあります。
一つは鏡石という石垣の中に2mを超える巨石が6個も配置されていることです。
この巨石は城主の武力・財力を誇示するために用いたとされています。
大阪城にも特大の蛸石といわれる巨石を配したように、ここでも前田家の威信をかけて配置したものでしょう。
もう一つは石垣の石に彫られた刻印です。この刻印は、石を選定し、切り出し、城で積む過程で付けられた目印で、それぞれの段階において担当した石工集団の識別のため付けられたと考えられています。
これまでは10種類20個余りしか見つかっていませんでしたが、最近の調査により、実に87種類、250個以上もの刻印が確認されました。
富山城にこれほど多くの刻印があることは、多人数の石工を使って短期間で調達、築造したことを意味します。
高度な加工技術を要する鏡石の存在も含め、多人数の石工を束ねて築造を遂行するには、石垣築造の専門集団が必要です。
加賀前田家では、金沢城石垣の築造・維持管理に穴生(あのう)衆や斎藤家という石垣技術者を専門に当たらせており、利長は富山城石垣築造にあたってこのような専門集団を呼び寄せたと考えられます。
石垣に使用された石は花崗岩と安山岩ですが、のちに専門的知識の乏しい石工が積み直しを行ったとみられ、ところどころに石垣の禁じ手とされる不良な積み方や見た目の良くない積み上げの場所があります。
資料館の説明によると「利長の遺した鏡石や築城初期の築石は、その後もずっと代々の藩主によって大切に守られ、何度崩れてもなお使い続けられました。これは財政上石の新調が困難だっただけでなく、富山藩にとって宗藩である加賀前田家や富山城の基礎を作った前田利長に対する畏敬と配慮であったと考えられます。」とあります。
石垣ひとつにもいろいろな歴史があるのですね。
なお、越中富山といえばなんといっても富山の薬売り、丸薬の実演を見ながら、二日酔いに効く富山の薬を買い求めて帰途につきました。
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