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もう少しで35℃以上の猛暑日となる一歩手前、都内で34℃を記録したその日に、初めて高尾山に登りました。
山頂までの道すがらあまりの人の多さにびっくりしました。
それはまるで駅前の商店街か、人気テーマパークさながらの人の流れでした。
聞いてはいましたがまさに高尾山ブームです。
しかしながらこれは今いっときの事だけでなく、遠く何百年にも亘って多くの人々から愛され畏敬されてきた信仰の対象でもあります。
それはいたる所に石碑・石像・奉納石として現代の人々に伝えられています。
どうしても石屋の目で見てしまい、これは秩父の青石かな、これは神奈川の小松石、こちらは伊豆の六方石かと石の来歴や由来を辿りながらの登山でした。
中には仙台石といわれる石巻産の石材や岡山県の万成と言う石もあり、本当に日本中から信仰寄進の為に集められ、そしてこの急な勾配を人力で運んできたことを思うと、何か琴線に触れるものがありました。
更には開山者を祀る祠と石像はやはり中国の石でした。
写真はありませんが引っ張り蛸の赤い石像はインド産です。
日本だけでなく世界中から石材を運び、この高尾山の登山道に設置奉納されたことになります。
そんな中、現代の奉納風景の一つに企業の寄進や広告を兼ねた階段石もありました。
参考までに紹介しておきます。
マカオの石の話をもう少ししていきます。
マカオでは最も有名な観光地で壁だけが残って立っている聖ポール天主堂跡、この周辺はマカオの旧い街並みの中心地に近く、たくさんの教会や市庁舎など歴史的な建造物が多いエリアです。それらの石の多くが母国ポルトガル産であることに驚かされます。
言ってみれば帆船や蒸気船で石が運ばれてきてここに現存している風景です。
そして2番目の写真は、ベネチアン・マカオ・リゾートホテルの世界最大級の広さを持つカジノの中二階です。(カジノの中は当然ながら写真撮影禁止のため分かりにくいかと思いますが。)
ここは客室が何と3千室、それも全てスイートタイプの部屋です。当然これも世界最大を誇ります。
ここのエントランス、ロビー、ホール、廊下、外壁など全ての共用部には本物のヨーロッパ産大理石がこれでもかと言わんばかりに使われています。まさに石に埋まるばかりの使い方をしています。
これらの大理石はコンテナ船や航空貨物として運ばれてきたものでしょう。
近年の石産業がもたらした風景です。
さて、3番目の写真は外の景色ではありません。
そのホテルの3階にあるイタリアのベネチアをイメージした室内の建物です。
この近くには実際に大運河(カナル)もあり、ゴンドラも就航しています。
しかも何とその運河が3ヶ所も巨大ホテルの3階部分に存在しています。
ここの素材は一部に本物の石を使っていますが、重量的な関係もあり石モドキの人工素材が混在しています。質感は全く違うものの遠目では本物の石のように見える技術です。
ここは過去と現在と未来を融合したような、ちょうどディズニーのテーマパークのような風景です。
石景色を中心にマカオの風景を考えると、歴史と豪華さとアミューズメントの入り混じった、そしてアジアとヨーロッパとアメリカの混在した、奥深い魅力のある所だと思います。
文化のあるところに石は集まる、とイタリアの先輩社長がよく言っていましたが、まさにその良き例だと感心しました。
先日、研修で香港・マカオに行って来ました。
香港は仕事で行くことも多く、また中国アモイへのトランジットで使ったりと最近の変化はよく見ている方ですが、マカオにはなかなか用事も無く、平成3年(1991年)の社員慰安旅行で行ったきり実に19年振りの訪問でした。
19年前にはいずれも出来ていなかった、バンジージャンプで有名になったマカオタワー、島と島を結ぶ自動車専用道路、そして今や本場ラスベガスに並ぶ超豪華なホテル群と巨大カジノ、まさにここはいったい何処?状態でした。
ただその中で、旧いものも大切にされ世界遺産登録31箇所は世界第3位、昔と変わらぬ景色も至るところに残っています。
マカオの歴史を見ると約450年前にポルトガルが租借し、以来本国ポルトガルの首都リスボンを真似た街造りをしてきた過去があります。
同じようにイギリスが租借した香港はまだ150年の歴史しかなく、そのような意味では同じく異国情緒漂う街並みでもポルトガル風とイギリス風、そして450年と150年の違いをはっきり表しています。
マカオの石畳はヨーロッパを思わせるものが多く、当然ながらその石の材料自体もポルトガルやイタリアから運んできたものです。
その石畳、或いは石の広場には、風景にピッタリ合う石の置物、石のプランター、石の柱が気取る事無く普通にたたずんでいます。
まさに生活の中の石の使い方が生き残っている街並み、そして石景色です。
今春オープンしたストーンライフのコンセプトがそのままここにあります。
石を通して豊かな心や余裕のある生活を提案していければ良いと思っています。
19年ぶりのマカオは雨の出迎えでしたが、雨に濡れた石畳もまた風情があって、とても印象に残る訪問でした。
前回コラムでお伝えしたストーンライフのピザ石窯がお陰さまで大変好調です。
家庭や生活シーンでの石の使用がなかなか前例が無かっただけに、やってみるまではとても心配していましたが、こんなにも興味関心を持っていただけるとはある意味予想外でした。
景気悪化や世情不安、生活不安等の悩みを抱えつつも、人はどこかに心の余裕や人生を豊かに生きたいとの願望を持っています。
そんな願望を手近に叶えてくれるものには、家族や親しい仲間と楽しいひと時を過ごす事や、お金をかけずに豊かな時を過ごす事があります。そんなシチュエーションにピッタリなのが庭の石窯や石のテーブルなのでしょう。
ご来場者には若いカップルから小さなお子様が居るいわゆるニューファミリー、シニアのご夫婦、またはお祖父さんお祖母さん以下三世代の大家族など、あらゆる年代の方々に亘っております。
そのようなお客様からの要望も多く、ピザ窯研修を兼ねたピザ焼き実演を不定期ですが行っております。
そのせいか、スタッフの中にはピザ焼きの技術がどんどん上がっている者が居り、石屋で失業してもレストランをやれそうな雰囲気です(笑い)。
彼らの言では「イタリア産の小麦粉の場合は合わせる水も硬度の高いイタリアの水が合います。」とか「トッピングに使うアンチョビは塩分が多いので厚焼きの方が良いです。」とかまるで〔ピザハウス・ストーンライフ〕のシェフのようです。
来月には社内の親睦会でもピザ焼きツアーが企画されたため、2人のシェフは今から大張きりです。(実施後にまたコラムでご報告したいと思います。)
尚、ストーンライフ山形専用のホームページを企画中ですが、より良いものをご提供したいといろいろ校正を重ねておりまして、アップが遅れており申し訳ありません。
ホームページでのご注文も、現地で展示品を見てのご注文と同じように出来るように作成中です。近日中乞うご期待!
昨日4月29日(祝)に新業態の店舗を開店致しました。
ここは先月3月27日(土)にオープンした、まつしまメモリーランド天童店と同敷地内ですが、建物も別、展示スペースも別、スタッフも別、展示品や取り扱い品も違い、ロゴマークや店舗名も全く違う「ストーンライフ山形」の誕生です。
何を取り扱っているのかと申しますと、ロゴマークの色に意味付けがなされていますが、赤・緑・水色・グレーの4色で磊の字を表したロゴがそれぞれ、赤とグレー(火と石…ピザ石窯やバーべキューコンロ)、緑とグレー(植物と石…石プランターや造園石工事)、水色とグレー(水と石…露天石風呂や水鉢)を意味し、そして取り扱いの商品を表現しています。
具体的には外部にモデルガーデン展示場が数種類常設されており、また石のベンチやテーブル、遊具なども展示しております。
また内部のショールーム内にもピザ窯のタイプ別展示や石彫刻品、癒しの石製品など提案型の室内展示場となっております。
当社スタートがビルやマンション等建物に使う『建築石材』、その後始めたのがお墓を扱う『墓石石材』、そして今度は一般生活の中の、言わば『生活石材』とでも云うべきジャンル(生活石材と云う言葉や分類は無いので、勝手に考えて命名しました)の業種であり、これで『石屋』の3兄弟(建築石材の松島産業、墓石のまつしまメモリーランド、生活石材のストーンライフ)が揃った記念すべき誕生日となりました。
昨日は空模様が今ひとつで、正午頃の大事な時間帯には雨が降り風も出たり、朝と夕方にはお日様も見えたりと安定しませんでしたが、会場は石窯ピザの実演・試食イベントもあり予想以上のお客様にご来店いただきました。
あまりの好調さに3時前にはピザ生地も底を尽きてしまいました。また昨日だけの実演販売予定も多くのリクエストから急遽ゴールデンウィーク中の5月3日と4日の2日間特別石窯ピザ実演会を開催することになるほどの盛況でした。
改めて関係した多くの皆様に感謝いたします。
ありがとうございます。
「生活石材 ストーンライフ山形」を今後とも宜しくお願いいたします。
(ホームページ等の修正がまだ間に合っていませんが、追加修正手配中です。)
おかげさまをもちまして先月末(3月27日)山形県2店舗目の「まつしまメモリーランド天童店」をオープンさせていただきました。
昨年12月20日に出店を決定してから、大幅改装やスタッフの異動・教育など短期間でのオープン準備で、数々の問題点をクリアしながら無我夢中で走るのはいつもと同じであり、担当スタッフをはじめ後方応援の部門や直接関連は無くとも全社応援があっての事で、また協力頂いた外部の方々や業者の皆様のおかげと、感謝の念でいっぱいです。
前から持論として思っていることですが、問題点が全く無いようにして完璧に物事を進めて行くことは、本当ならとても素晴らしいのですが、得てしてそのような場合はスピード感が無くなり、時間の概念が飛んでしまうことがあります。
百点満点を意識しすぎると同じ場所で足踏みをしてしまい前に進めなくなる、それなら六十点七十点でも良いから常に前に駒を進め、短期間に集中して完了させてしまう。
問題があれば立ち止まらずに前に進めながら解決していく、そんな進め方を今までも実行してきました。
以前ある新聞社からの取材に「拙速は巧遅に勝る」を信条としています、と答えたことがありましたが、百点取れない言い訳も多少有るにせよ、このような進め方は性格なのかもしれません。
ところで話は変わりますが、その天童店において、1号店の山形店でも店のキャラクターとしてフクロウの石の彫刻を飾りましたが、今回は更にバージョンアップして、フクロウ彫刻をたくさん展示しています。
フクロウは古来より縁起の良い鳥として漢字では「福籠」とか「不苦労」とか書かれており、とても御利益がありそうな字面です。
天童店のマスコット、店のイメージキャラクターとして皆さんに認知していただけたらと思っております。
先日最近話題の3D映画「アバター」を観てきました。
ご覧になった人も多いと思うので、ここでは話の内容については省略しますが、本当に技術の進歩には驚かせられるばかりです。
3D映画と言うと、昔の学習雑誌の付録についてきた青と赤のセロファンのメガネをかけてぼんやりした映像を見る感じや、良くてテーマパークの中で恐竜などが異様に近づいてくる映像に視神経が酔ったような状態になったりと、あまり良い印象は無かったのも事実でした。
しかしながら、今回の映像は本当に奥行きがあり、立体的でリアリティーがあり自分自身が中に入っているかの錯覚さえ覚えます。
しかもそれが極めて自然で、途中で退席した観客がスクリーンに影を作って出て行ったのでなく、シーンの中を通って出て行ったような気になりました。
視覚差による脳の酔い状態もそれ程強烈でなく、ましてや元々メガネをかけている人用に、オプションでクリップ式のサングラス型もあり、最後まで違和感を感じないまま見ることができます。
映像の中に出てくる、ストーリーの核となる鉱石や磁力を帯びた岩など、石屋としても本物の質感に驚くばかりでしたが、何か一つ足りないもの、目では匂いとか温度とかは当然伝わりませんが、もう一つ伝わらない大事なものが気になりました。
それは重量感とでも言えばいいのでしょうか、なぜか重さを感じ無かったのが不思議でした。(宇宙空間で重力が少ない設定や、磁力で浮く岩のせいでなく、石本来の重さが意識できなかったのです)
石屋だからかもしれませんが、普段は石を目で見ると同時にそのものの重さが無意識で感じるものなのですが、今回の3D映像には立体感、質感、リアル感など本物と全く同じように脳が受け止めているにもかかわらず、重さを意識できない、重量感が感じられない。
そういえば、石屋のCADにも3次元表記の完成予想図面(3Dキャド図)があり、お客様に見ていただいてから工事に入るようにしているのですが、そのキャド図も立体的で、石の色目も良く出ているのですが、やっぱり重さを感じない、石としての迫力が無い。
「石」の本物と「3D」の映像の最後の違いが重量感だというのは、常に重い石を取り扱っている石屋だから思うことなのでしょうか?
とても不思議です。
ここ数年暮れ近くになると、1年の体への労わり(?)の意味もあり、また増加するリスクへの対応も兼ねて、休日の半日をかけてPET健診を受けています。
PETとは陽電子放射断層撮影といい、がん細胞が通常細胞よりたくさんのブドウ糖を消費することを利用し、ブドウ糖に似せた薬剤を体内に注射し、約1時間後その薬剤が体中に浸透したところで、CTのような機械でその集積度合いを調べることにより、数ミリ単位のがん細胞まで見つける診断方式です。
PET健診はそのPET CTの他に複合的な検査を行うため、MRI・通常のCT・超音波検査・心電図・血管年齢加圧・血液検査など総合的な健診方式です。
検査時間は医師面談も含めて約4時間、詳細は後日それぞれの専門医が入念に判断して結果を送付してもらえるのですが、何より良いのはその日のうちに、医師面談で本人の画像をその場で見せてもらえる事です。
何年か主治医と面談し、自分の画像を見比べていると、素人ながら自分の体の異常正常がぼんやり分るような気になりますが、やはり専門家の視点が違うのは、何事においてもプロとアマの違いは大きな違いだと毎回感心させられます。
結果は今回も良好で、特に心配な点はありませんでした。
まずは一安心。
ですが、最近は従来の診断に加えて、メタボリック検査がオプションで出来るようになり、内臓脂肪の量が簡単に計算できてしまうのが、私にとって良いような悪いような・・・・
さすがに専門家の言うことは聞かないといけませんね。
話は変わって、このクリニックの玄関は、何とイタリアのロンバルディア地方のベージュの高級大理石で、日本人に良く好まれ、かなり品質・光沢が良い物で、また茶系の大理石はスペインのムルシア地方産で最近特に人気が出た石で・・・・と専門家の振りして話をごまかしても、やっぱりダイエットの必要性を「石」でなく「医師」よりきつく諭された面談となりました。
川端康成の「伊豆の踊子」の書き出しは、かの有名な
「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながらすさまじい早さで麓から私を追ってきた。・・・・・・・・・
私はそれまでにこの踊り子たちを二度見ているのだった。・・・・・・・・
それから湯ヶ島の二日目の夜、宿屋へ流して来た踊り子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯子段の中途に腰を下ろして一心に見ていた。・・・・・・・・」
とありますが、この宿屋が実は湯本館でした。
30数年前の宿泊時には、その階段の中途に腰掛けて玄関を眺め、遠く川端康成の時代に想いを馳せていた事は、今思うと少し気恥かしく、純真さと懐かしさと入り混じった、甘酸っぱい思い出です。
また、「天城越えで踊子一行と一緒になった青年は、湯ヶ野温泉の温泉宿に泊まることになり、数日間一緒に過ごす」のですが、こちらの福田家もまだ現存しています。
やはり、湯ヶ野福田家の外観も30数年前の訪問時のまま、まるで私だけが幾多の年月を重ね変わってしまったのを、タイムスリップで戻って来たような気持ちになる再訪問でした。
さて、湯本館の話に戻って、あの時無理を言って休みの日に泊めてもらい、また宿泊させることの無い川端さんに泊めて頂いた、あの女将さんはお元気なのだろうか?30数年前の事を覚えているだろうか?といろいろ思いながら湯本館に行きました。
到着してすぐに聞いたのが、女将さんの事でしたが、残念ながら3年前、84歳でお亡くなりになられたとの返事でした。
晩年まで旅館の女将としてお仕事をされ、最期は旅館の玄関で倒れられたとの事。
非常にショックでした。
いつも思っていたことなので、もう少し早く(せめて4,5年前にでも)訪問出来ていたら、優しくしていただいた女将さんにもう一度会うことが出来、お礼を言う機会が有ったろうに、せめて昔こんな事をして頂きましたと思い出話をすることが出来たのにと悔やまれてなりませんでした。
今は女将さんの姪御さんご夫婦が引き継いでやっているそうです。
歴史に残る大切な旅館ですので、何とか後世に残していって頂きたいと思います。
伊豆旅行の最後に気を取り直して、旧天城トンネルを見て帰りました。
全て石づくりのトンネルは単純なアーチ型でなく、馬蹄形の非常に珍しい形状をしています。
石屋として製作方法や組み上げ方を考えてみましたが、かなり高度で難しい技術です。
国の重要文化財に指定された日本唯一の石のトンネルです。
こちらは30数年前には見ていなかったので、石屋としてあらためてとても勉強になりました。
ちょっとせつなく、後悔の残った、青春時代の思い出を巡る伊豆の踊子旅情でした。
随分と遠い昔の話で恐縮ですが、10代後半に川端康成の「伊豆の踊子」を読み、影響を強く受けていた時期があります。
高校3年生の1月半ばにどうしてもその場所を見たくなって、伊豆天城の小説の舞台を一人で訪ね歩いた事がありました。
その折、まだ若いこともあり何ら予約もしなければルートも決めない、ただ行き当たりばったりの、無茶な貧乏旅行でした。
片手に「伊豆の踊子」の文庫本を持ち、地図を頼りのきままな旅でも、さすがに夕方近くなれば泊まる所を決めなくてはならなかったのですが、自分勝手に川端康成が執筆した湯ヶ島温泉の湯本館に飛び込みで泊まるつもりに決め込んでいました。
確か、正月の繁忙期が過ぎた1月中旬の事で、比較的お客さんは少なく乗り物なども空いていて良かったのですが、その湯本館に着いてお願いしたところ、
「正月の忙しさが終わったので、社員さんの休みも兼ねてその日から数日全館休業が決まっている」
との事。
社員さん達と見受けられる方々が中位の荷物を持って、笑顔でそれぞれの故郷へ向かう場面にちょうど行き当たってしまいました。
帰郷に忙しい社員さん達にとっては、突然予約無しで来た貧乏学生の相手などしていられず、そそくさと出て行ってしまいましたが、落胆した私に女将さんとおぼしき方が、声をかけてくれて、
「せっかく来たんだから、川端さん(川端康成の執筆の部屋の事)を見ていきなさい」
と言ってもらい、二階の角部屋のその部屋を見せてもらいました。
その後何を話したかは覚えていませんが、ちょうど湯本館を探している時に、急に雨が降ってきて頭から足元まで濡れてしまい、ずぶ濡れの姿がかわいそうに思ってもらったのか、寒そうに見えたのか、女将さんから
「何のお構いも出来ないし、料理も向かいの旅館から運んでもらうので良ければ」
という事で宿泊させてもらえることになりました。
確か一階の角の二間続きの大きな部屋に用意してもらったのでしたが、またまた勝手なお願いで、その川端さん(四畳半のすごく小さな部屋)に泊めてもらえないかと、無茶なお願いを重ねてしまいました。
当然その部屋はお客さんを泊める部屋ではなく、歴史的資料としても貴重な、見学用の部屋だったのですが、しょうがない特別だよとの許しを頂き、その川端さんに2泊させてもらえました。
いつかその時のお礼をと思いながら、なかなか行く機会がなく、思い出す度にもう一度行きたいと思い続けていましたが、ようやく先日30数年ぶりに天城湯ケ島と湯ヶ野、修善寺などを見てきました。
(長くなったので、この話は次回に続けます。)
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