社長コラム 石のことば
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2010/02/12
第50回 「3D 立体映像」

 先日最近話題の3D映画「アバター」を観てきました。

 ご覧になった人も多いと思うので、ここでは話の内容については省略しますが、本当に技術の進歩には驚かせられるばかりです。

 3D映画と言うと、昔の学習雑誌の付録についてきた青と赤のセロファンのメガネをかけてぼんやりした映像を見る感じや、良くてテーマパークの中で恐竜などが異様に近づいてくる映像に視神経が酔ったような状態になったりと、あまり良い印象は無かったのも事実でした。

 しかしながら、今回の映像は本当に奥行きがあり、立体的でリアリティーがあり自分自身が中に入っているかの錯覚さえ覚えます。
 
 しかもそれが極めて自然で、途中で退席した観客がスクリーンに影を作って出て行ったのでなく、シーンの中を通って出て行ったような気になりました。

 視覚差による脳の酔い状態もそれ程強烈でなく、ましてや元々メガネをかけている人用に、オプションでクリップ式のサングラス型もあり、最後まで違和感を感じないまま見ることができます。

 映像の中に出てくる、ストーリーの核となる鉱石や磁力を帯びた岩など、石屋としても本物の質感に驚くばかりでしたが、何か一つ足りないもの、目では匂いとか温度とかは当然伝わりませんが、もう一つ伝わらない大事なものが気になりました。


 それは重量感とでも言えばいいのでしょうか、なぜか重さを感じ無かったのが不思議でした。(宇宙空間で重力が少ない設定や、磁力で浮く岩のせいでなく、石本来の重さが意識できなかったのです)


 石屋だからかもしれませんが、普段は石を目で見ると同時にそのものの重さが無意識で感じるものなのですが、今回の3D映像には立体感、質感、リアル感など本物と全く同じように脳が受け止めているにもかかわらず、重さを意識できない、重量感が感じられない。


 そういえば、石屋のCADにも3次元表記の完成予想図面(3Dキャド図)があり、お客様に見ていただいてから工事に入るようにしているのですが、そのキャド図も立体的で、石の色目も良く出ているのですが、やっぱり重さを感じない、石としての迫力が無い。

 「石」の本物と「3D」の映像の最後の違いが重量感だというのは、常に重い石を取り扱っている石屋だから思うことなのでしょうか? 

 とても不思議です。

2009/12/16
第49回 「PET健診」

 ここ数年暮れ近くになると、1年の体への労わり(?)の意味もあり、また増加するリスクへの対応も兼ねて、休日の半日をかけてPET健診を受けています。

 PETとは陽電子放射断層撮影といい、がん細胞が通常細胞よりたくさんのブドウ糖を消費することを利用し、ブドウ糖に似せた薬剤を体内に注射し、約1時間後その薬剤が体中に浸透したところで、CTのような機械でその集積度合いを調べることにより、数ミリ単位のがん細胞まで見つける診断方式です。

 PET健診はそのPET CTの他に複合的な検査を行うため、MRI・通常のCT・超音波検査・心電図・血管年齢加圧・血液検査など総合的な健診方式です。

 検査時間は医師面談も含めて約4時間、詳細は後日それぞれの専門医が入念に判断して結果を送付してもらえるのですが、何より良いのはその日のうちに、医師面談で本人の画像をその場で見せてもらえる事です。

 何年か主治医と面談し、自分の画像を見比べていると、素人ながら自分の体の異常正常がぼんやり分るような気になりますが、やはり専門家の視点が違うのは、何事においてもプロとアマの違いは大きな違いだと毎回感心させられます。

 結果は今回も良好で、特に心配な点はありませんでした。


 まずは一安心。

 ですが、最近は従来の診断に加えて、メタボリック検査がオプションで出来るようになり、内臓脂肪の量が簡単に計算できてしまうのが、私にとって良いような悪いような・・・・


 さすがに専門家の言うことは聞かないといけませんね。


 話は変わって、このクリニックの玄関は、何とイタリアのロンバルディア地方のベージュの高級大理石で、日本人に良く好まれ、かなり品質・光沢が良い物で、また茶系の大理石はスペインのムルシア地方産で最近特に人気が出た石で・・・・と専門家の振りして話をごまかしても、やっぱりダイエットの必要性を「石」でなく「医師」よりきつく諭された面談となりました。

2009/11/03
第48回 「伊豆の踊子旅情 その2」

 川端康成の「伊豆の踊子」の書き出しは、かの有名な
「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながらすさまじい早さで麓から私を追ってきた。・・・・・・・・・
 私はそれまでにこの踊り子たちを二度見ているのだった。・・・・・・・・
それから湯ヶ島の二日目の夜、宿屋へ流して来た踊り子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯子段の中途に腰を下ろして一心に見ていた。・・・・・・・・」
とありますが、この宿屋が実は湯本館でした。

 30数年前の宿泊時には、その階段の中途に腰掛けて玄関を眺め、遠く川端康成の時代に想いを馳せていた事は、今思うと少し気恥かしく、純真さと懐かしさと入り混じった、甘酸っぱい思い出です。

 また、「天城越えで踊子一行と一緒になった青年は、湯ヶ野温泉の温泉宿に泊まることになり、数日間一緒に過ごす」のですが、こちらの福田家もまだ現存しています。

 やはり、湯ヶ野福田家の外観も30数年前の訪問時のまま、まるで私だけが幾多の年月を重ね変わってしまったのを、タイムスリップで戻って来たような気持ちになる再訪問でした。

 
 さて、湯本館の話に戻って、あの時無理を言って休みの日に泊めてもらい、また宿泊させることの無い川端さんに泊めて頂いた、あの女将さんはお元気なのだろうか?30数年前の事を覚えているだろうか?といろいろ思いながら湯本館に行きました。


 到着してすぐに聞いたのが、女将さんの事でしたが、残念ながら3年前、84歳でお亡くなりになられたとの返事でした。
 晩年まで旅館の女将としてお仕事をされ、最期は旅館の玄関で倒れられたとの事。

 非常にショックでした。

 いつも思っていたことなので、もう少し早く(せめて4,5年前にでも)訪問出来ていたら、優しくしていただいた女将さんにもう一度会うことが出来、お礼を言う機会が有ったろうに、せめて昔こんな事をして頂きましたと思い出話をすることが出来たのにと悔やまれてなりませんでした。

 今は女将さんの姪御さんご夫婦が引き継いでやっているそうです。
歴史に残る大切な旅館ですので、何とか後世に残していって頂きたいと思います。



 伊豆旅行の最後に気を取り直して、旧天城トンネルを見て帰りました。
全て石づくりのトンネルは単純なアーチ型でなく、馬蹄形の非常に珍しい形状をしています。
石屋として製作方法や組み上げ方を考えてみましたが、かなり高度で難しい技術です。
国の重要文化財に指定された日本唯一の石のトンネルです。
こちらは30数年前には見ていなかったので、石屋としてあらためてとても勉強になりました。


 ちょっとせつなく、後悔の残った、青春時代の思い出を巡る伊豆の踊子旅情でした。

2009/11/02
第47回 「伊豆の踊子旅情」

 随分と遠い昔の話で恐縮ですが、10代後半に川端康成の「伊豆の踊子」を読み、影響を強く受けていた時期があります。

 高校3年生の1月半ばにどうしてもその場所を見たくなって、伊豆天城の小説の舞台を一人で訪ね歩いた事がありました。

 その折、まだ若いこともあり何ら予約もしなければルートも決めない、ただ行き当たりばったりの、無茶な貧乏旅行でした。

 片手に「伊豆の踊子」の文庫本を持ち、地図を頼りのきままな旅でも、さすがに夕方近くなれば泊まる所を決めなくてはならなかったのですが、自分勝手に川端康成が執筆した湯ヶ島温泉の湯本館に飛び込みで泊まるつもりに決め込んでいました。

 確か、正月の繁忙期が過ぎた1月中旬の事で、比較的お客さんは少なく乗り物なども空いていて良かったのですが、その湯本館に着いてお願いしたところ、
「正月の忙しさが終わったので、社員さんの休みも兼ねてその日から数日全館休業が決まっている」
との事。

社員さん達と見受けられる方々が中位の荷物を持って、笑顔でそれぞれの故郷へ向かう場面にちょうど行き当たってしまいました。

 帰郷に忙しい社員さん達にとっては、突然予約無しで来た貧乏学生の相手などしていられず、そそくさと出て行ってしまいましたが、落胆した私に女将さんとおぼしき方が、声をかけてくれて、
「せっかく来たんだから、川端さん(川端康成の執筆の部屋の事)を見ていきなさい」
と言ってもらい、二階の角部屋のその部屋を見せてもらいました。

 その後何を話したかは覚えていませんが、ちょうど湯本館を探している時に、急に雨が降ってきて頭から足元まで濡れてしまい、ずぶ濡れの姿がかわいそうに思ってもらったのか、寒そうに見えたのか、女将さんから
「何のお構いも出来ないし、料理も向かいの旅館から運んでもらうので良ければ」
という事で宿泊させてもらえることになりました。

 確か一階の角の二間続きの大きな部屋に用意してもらったのでしたが、またまた勝手なお願いで、その川端さん(四畳半のすごく小さな部屋)に泊めてもらえないかと、無茶なお願いを重ねてしまいました。

 当然その部屋はお客さんを泊める部屋ではなく、歴史的資料としても貴重な、見学用の部屋だったのですが、しょうがない特別だよとの許しを頂き、その川端さんに2泊させてもらえました。


 いつかその時のお礼をと思いながら、なかなか行く機会がなく、思い出す度にもう一度行きたいと思い続けていましたが、ようやく先日30数年ぶりに天城湯ケ島と湯ヶ野、修善寺などを見てきました。


(長くなったので、この話は次回に続けます。)

2009/10/24
第46回 「大志貿易(厦門)有限公司のお披露目」

 今回は中国の新会社設立に関しての事を書きたいと思います。


 当社には2001年8月に設立登記した日本松島産業厦門代表処という駐在員事務所(アモイ事務所)があり、現地社員を採用し、中国国内の申告納税も行い正規の法人として運営しています。

 ところが代表処は現地で正式に登記された法人でありながら、制度的に業務の範囲が限定され、日本の本社との連絡業務や情報収集、検品指導などの限られた中での事業しか出来ません。

 外国資本に市場を開放するにはなかなか時間もかかることで、今までは中国法人との合弁か、中国政府が認める特別な許可が無ければ外資の独資(中国以外の国の単独出資)での企業設立は不可能だったのが、近年制度が変わりそれが出来るようになりました。


 100%出資で独資企業が出来れば、輸出入の実務も、現地での販売・購入も、不動産の所有も、通常の会社と全く同じように行うことが出来、将来へ展望が大きく開けるとの事で、数年前から考えていたことではありました。

 ただメリットが有れば、デメリットが有るのは何事も同じで、今回の独資設立には社内外からも賛否両論それぞれ分かれました。


 今回の設立プロジェクトが実際にスタートしたのは昨年の9月、お披露目が今年の10月だったことを考えると、約1年かかったことになります。


 途中の経過は省くとして、今回お世話になった現地中国の取引先や関係する人々に来ていただき、大志貿易(厦門)有限公司の設立お披露目を行いました。


 初めに厦門駅前の新会社オフィスでの除幕式、その後事務所内覧、場所を移動しての宴会と移り、参加頂いた約30人の顔を見、話を聞きながら、私が始めて中国に来た1993年の事を思い浮かべておりました。

 それから16年間の中国の劇的な変化、世界の経済地図の変化、日本の状況の変化、当社の業績の変化など思い描くものが、次々に頭に去来しました。


 今後は松島産業から独立した形での独自の経営と、グループ企業としての協力体制の中で、大志貿易(厦門)有限公司を発展成長させ、可能性を拡げていきたいと思います。

2009/09/07
第45回 「雲海」

 最近でこそ海外への出張が少なくなりましたが、以前はほぼ毎月飛行機のお世話になっていました。

 飛行機の旅は電車や車とはまた違った意味での新鮮さがあり、日常の連続である新幹線の旅(出張も含め)や高速道路を利用しての車の移動とは全く違う感じがあります。
 
 今までの飛行機の旅では、仕事の疲れが気圧の変化で顕在化し機内で具合が悪くなり、席を譲ってもらって横になって着陸したことや、飲んでいたワインをこぼしてしまい周りの乗客に迷惑をかけた事、逆に預けたスーツケースが届かなかった事は3 4回あったし、目的地と違う所で降ろされて乗り継いだこともあり、飛行機をめぐるいろんな思い出がよみがえります。

 飛行機の室内は狭くて居心地が悪い分だけ、サービスを揃えくつろげる環境を作って貰っていますので、最近では食事やお酒を頂き、映画の最新版を視聴し、後は寝てしまうというパターンが非常に多く、席も窓側でなく通路側の指定がほとんどでした。

 先日、座席指定の関係で久しぶりに窓側に座り、何気なく外を眺めていたら、写真のような雲海の広がりで、30数年前に初めて飛行機に乗り、雲海を見た感動を思い出しました。

 飛行機には何か異文化に触れる期待や未知なる事との出会いなど、浪漫のようなものがあるのでしょうか。久しぶりに雲海を見て、まだ見知らぬ所への郷愁や彷徨の心(?)そんな気持ちが湧いてきてしまいました。

2009/08/17
第44回 「新規開拓」

 中国の福建省に厦門(日本語ではアモイ、中国ではXiamen)という人口が公称では120万人、実際には出稼ぎ者が住民登記していないため本来は200万人近い中堅都市があります。

 ここは改革開放の自由化経済の奔りとして、上海や青島等と共にきわめて早い段階から自由貿易港を抱え、道路整備や交通機関なども近隣とは大きく違い、日本人が滞在するのに適している、とても綺麗で近代的な街です。


 厦門から高速道路で2時間 3時間のエリアに石材加工の町が点在している為、当社も早くからここ厦門に拠点を構え、2001年より駐在員事務所を登記し、中国人社員も8名在籍しています。

 当初の数年間は日本の本社から責任者を派遣し、現地所長は日本人社員、スタッフは中国人、首席代表は一応私が兼任という組織でした。

 しかしながら、現地の社員の成長や、中国人スタッフの日本本社研修などを経て、現在では所長以下全員が中国人スタッフだけで運営されています。

 当初よりほとんどの用件は電話やメールで済むようになってきた為、私は2泊3日乃至は3泊4日程度の出張を年に3回 4回行くだけで申請関係なども含め事足りていました。

 それでも4回×約10年=約40回近く厦門に行ってる計算になります。
 日数でも3日×約40回=約120日で、連続なら4ヶ月以上滞在しています。

 ところが、食事に行く店や料理などは比較的いつもの店が多く、なかなか新規開拓がありません。

 今回、それではいけないと新規開拓で新しい店を見つけてきました。

 厦門のオリジナルな麺で、辛みそをまぶして食べるのですが、味は韓国のビビン麺か、盛岡のジャジャ麺のような感じです。大が5元(75円)で中国では普通の値段です。

 スープはワンタンのようなものですが、中のお肉がとても柔らかくて、ワンタン生地も一番高い2色の8元(120円)のものを食べました。

 メニューはなんと壁に直接書いてあって何処からでも見れます。

 店の感じは写真のようですが、これが昼時には行列を作るほど大繁盛です。

 とても美味しかったですし私の好みにピッタリで、なぜ今まで知らなかったのだろうかと不思議な感じです。

 やはり何事も新規開拓の気持ちが無いと駄目ですね。

2009/08/05
第43回 「エグゼクティブ・ビジネス・アカデミー」

 実は特に勉強好きではありませんが、仕事上必要なことも含め、改めて経営学を系統立てて学びたいとずっと思っていました。

 ただMBAの勉強となると本業そっちのけで、時間も能力も集中しないとならないので、実現しないで数年が経ってしまっていたのが現状でした。
  
 今回全くの偶然ですが、東京四谷の上智大学が、オープンスクール形式でエグゼクティブ・ビジネス・アカデミーを初めて開講するのを知りました。

 内容は4月より7月までの4ヶ月間、しかも土曜日の午後だけの10日間・14コマの授業との事。経済学部経営学科の教授が中心となり、8人の教授の講義と6人の経営実務者の外部講師講演で、各講義の後は質問やフリートーキングという案内でした。

 2月中頃に申し込みをし、私を入れて10名の各実業界の経営関連現役の方が第一期生として4月より学び始めました。


 土曜日の授業という事で、日帰りだったり、出張に絡めたり、後半は都内の仕事をこれに合わせたりと、何とか工夫して一回も休まずに授業を受けることが出来ました。(皆勤賞も頂いてしまいました。)

 毎回違う分野の経営に関する授業も新鮮だったし、更には著名な経営者が直接経営に関する話をしてくれるのが楽しく、そして何より得るものも多かったと思います。

 7月末までの10日・14コマを完了して、8月1日には多くの大学関係者や外部講師の先生方が集まり、修了式も行われました。


 
 ここで得られたものは、知識ばかりでなく、大学とのネットワーク、外部講師個人やその会社とのマッチング、そして同じ一期生同士の連携など人的なプラスも大いにありました。


 上智大学としては、このアカデミーを継続して開催し、春季は東京・秋季は大阪と交互に予定しているようです。

 第一期修了生としては、どんどん後輩が増えて、ますます人の輪が増えていけば尚更良い事だと考えています。


 いろいろ忙しい時期に重なり、大変な思いもありましたが、数十年振りの学生気分は別な意味でもリフレッシュになり充実した数ヶ月だったと、改めて達成感と共に感じました。


 写真は 大学の外観  授業風景  修了式 の様子です。 

2009/06/24
第42回 「平家落人の里」

 しばらく諸行事や雑用、その他の用事が重なりコラムの更新が出来ていませんでした。

 同じくゆっくり休む時間も無かったので、一区切りが付いた先日、思い切って秘湯の宿を予約し心身のリラックスタイムを存分に味わってきました。


 平家落人の里といわれる栃木県の湯西川温泉。


 日光の鬼怒川温泉や北の方から行くと那須塩原温泉より更に奥まった、本当にその先に道が続いているのかと思うような景観を越えて、やっと辿り着く秘湯です。

 平家の落ち武者が移り住み、また村落の中には当時より連綿と続く家系もあるとか。

 旅館には早めに到着したので、温泉街を流れる川に沿って散策したり(写真1)、テーマパークのようになっている平家の里を見学したりしてきました。

 ところが、職業柄か自分の性格によるのか、ついついこのような奥まった所ではどんなお墓の形なんだろうとか、石の種類は何だろうなど興味を抱いてしまい、村落のほぼ真ん中にある墓地を散策コースに入れてしまいました。

 本体に笠を載せた大名墓があったり、万成石や白御影上級石種が多く価格的にもかなり高額なお墓が多かったのも驚きですが、それよりびっくりしたのはお墓の外柵に家系図が彫りこまれており、更には初代が平清盛から続く家系の代々墓で、平家の直孫の方がいらっしゃる事でした。(写真2)


 ついつい夢中になり、せっかく仕事を忘れてゆっくるする予定だったと思い返して、夕方からは温泉三昧、そして囲炉裏のお料理(写真3)と竹筒のお酒、最後には若女将の十二単姿で挨拶を受け、久しぶりの休日を堪能してきました。

 もう一度行きたい温泉の一つとして、想い出に残る場所でした。

2009/03/19
第41回 「安部大雅・辰巳プロジェクト」

先日彫刻家の安部大雅氏より招待状が届き、アベヒロマサ辰巳プロジェクト 月島倉庫壁面オブジェ 完成披露に列席させていただきました。

 安部大雅氏とのイタリアでの出会いが2004年だったので、既に5年のお付き合いをいただいていますが、彼には毎回うれしいサプライズがあって、とても待ち遠しく感じていました。

 今回は氏の絶大な理解者であり協力者である月島倉庫株式会社の北川会長のご好意の下で、会社の辰巳倉庫の巨大な壁面にアベヒロマサデザインで自由にモニュメントを作って良いとの提案から始まったようです。

 北川会長のご挨拶にもあったのですが、日本の建築物に芸術・アートを取り入れる風潮やチャンスが少ない。

 そこで自社の新築倉庫の壁面一面を安部大雅氏に委ねられたとのことでした。

 後日いただいたDVD「辰巳プロジェクト 月島倉庫 壁面オブジェ完成までの道 を視聴すると、途中かなりの困難があったようですが、とにかく完成お披露目に至りました。

 パーティーの中でも安部大雅氏はこの成しえた大事業を淡々と述べていましたが、まだまだ彼の懐の深さと湧き出る能力が感じられます。

 後で北川会長とも親しく話させてもらいましたが、もっともっと芸術・アートが溢れる風景を残していきたいとの想いは共通するところでした。

 まさにビックプロジェクトの完成に驚きと感心の参加でしたが、安部大雅氏には更にサプライズが用意されていました。

 氏のかたわらに寄り添うようにいらっしゃったのが、この度、氏の独身生活にピリオドを打たせたかわいらしい奥様で、ご挨拶をいただきました。

 何とご結婚されたばかりとの事。オメデトウゴザイマス。

 ますます芸術活動に磨きがかかるものと確信してきた完成披露参加でした。

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