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例年の事ですが、今年も東北建築石材工業会の会社対抗ソフトボール大会が行われました。
以前のコラムにも書きましたが、石屋さんの団体は大きく二つに分かれています。
一つは墓石店中心の団体、もう一つは建築石材業者の団体です。その建築石材全国団体の東北支部の集まりがこの東北建築石材工業会で、現在東北6県17社の石材会社が参加しています。
昭和の時代(昭和61年)から会員各社の社員の親睦とレクリエーションのためにソフトボール大会を続けてきて、今年は既に22年目になります。
初め4社の対抗戦でスタートしたこの大会も、途中では12社10チームの予選リーグから勝ち上がって決勝戦というそれなりの大会になったこともあるものの、今では廃業や縮小、退会する会社もあり近年は半分位しか集まりません。
単独1チームが難しいので、数社で連合してチームをそろえたり、既に現役終了のOBを集めたりと各社苦労して参加しています。
当社では本社販売課、仙台支店、本社工場など比較的若い社員も多いので、何とか2チーム作り松島産業Aチーム(本社工場の若い衆中心)と松島産業Bチーム(本社販売課と仙台支店の若干ベテラン勢)で参加しています。
昨年は他社のチームが4チームあって全部で6チームになったため、予選を2ブロックで行い、その1位同士での決勝戦でしたが、何と松島産業A対松島産業Bの決勝ということで、他の皆さんには退屈で申し訳ない事になってしまいました。
結果は若い衆が多い工場チーム(松島産業A)の優勝でしたが、試合をしている当事者達は社内運動大会のようでもあり、また日頃の仕事上の鬱憤を相手にぶつけるよい機会となっていたかもしれません。
さて今年は、他社のチームが3チームということで、急遽松島産業Aチーム、Bチームと残った人から他の会社と連合した松島産業Cチーム(他社連合)を作りやはり6チームとして何とか2ブロック予選を行いました。
今年の成績は松島産業C(他社連合)はあえなく予選敗退、松島産業Bも三位決定戦で敗戦し第4位でした。ただ工場主体の松島産業Aは決勝に進み連続優勝で幕を閉じました。やはり平均年齢の高い順に打てない走れない投げれないとなるようです。今回持ち帰った優勝カップで確認したところ22回大会中、当社が半分の11回優勝させていただいたのも、他社より若干平均年齢が低いせいだと思います。
それでも勝敗に関係なく、青空の下で思いっきり体を動かすのは(翌日の筋肉痛を除いて)気持ちのいいものです。翌日はみんな真っ黒に日焼けして健康そのものでした。
ところでとても不思議なことですが、この大会は22年間ずーっと6月か7月の梅雨時に行っているにも拘らず、一度も雨で中止になったことがありません。日程や各社の都合上、雨天の場合は中止となっているのに、毎年行われてきました。きっとこの関係者の中に大きなパワーを持った晴れ男・晴れ女が居るのかもしれません。石屋さんパワーはすごいです。
尚、当社の建築部門のほかに、まつしまメモリーランド部門(墓石部門)の社員は、別に宮城県曹洞宗青年部主催のソフトボール大会に参加させていただいていますが、今まではたった1勝も出来ずに毎回予選敗退でしたが、参加4回目の今年は何と第3位に入賞させてもらいました。こちらも勝敗に関係なく日頃お世話になっている方々との親睦や気分転換のために今後も続けて行きたいと思っています。
毎回「石」の話しやそれに関連する事を書いていますが、今回はちょっと脱線気味で、私のお気に入りの店の話をしましょう。
お店から広告料をもらっているわけでもなく、グルメ番組でもないので、お店の場所や名前は出さないことにしますが、よく食事に行っているお気に入りの店が何軒かあります。
もちろん新しい味を求めて、新規にお店を探すこともしますが、行き付けの和食のお店や、ワインのお店、お寿司屋さんや、スパゲッティの美味しい店、中華料理店、焼き鳥屋さん、ラーメン店など、気に入ると何度も足を運ぶ「常連」の店も結構あります。
今回のお話しはピザ屋さんのことです。
比較的交通の便の悪い場所でテーブルが4つとカウンターだけ(確か?)の小さな無名のピザ屋でしたが、「ナポリ風ピザ」と言うことで、生地がもっちりしていて焼き加減も良く、イタリア直送のチーズが程好くとろけて大変美味しいピザ屋さんです。
最近は口コミによる評判も大いに上がって、テレビ局の地元番組で何度も取材を受けていて、放送後は混み過ぎてなかなか予約が取れなくなってしまいました。
初めて食べに行った時に、厨房の見えるカウンター席だったのですが、ピザを焼く石窯をマスター達が手造りで作ったことを聞き、カウンター越しに「石」の話になりました。
ピザの生地を練るのに使っていたパン(ピザ)練り台がなぜか赤みかげ石だったので、「みかげ石」と「大理石」では若干の組成の違いから、生地がうまく伸びなかったり、台にくっ付いたりしませんか?との質問に「えっ、分かりますか?何でですか?」とマスターとやっぱり石がきっかけで話しをするようになりました。
また、その他にはイタリアの料理のことや、ワインのことなどを話すうちに、そのマスターがかなり勉強家で、今の人気だけに満足せず、常に新しいものに挑戦し、料理の味を研究している事がわかると、次に行った時には何が新しく出てくるだろうか、新しいワインは何を入れただろうか?と行く楽しみが増えてきました。
また、最近知ったことですが、マスターは、元々料理人を目指していたのでなく、ネパールなど各地を旅し民族楽器を演奏する音楽家の道を目指していたとの事。
たまにマスターの気分が乗って、お客様が一段落したときは、写真のようにネパールのサーランギという民族楽器を弾いてもらいながら、石窯で焼いた美味しいピザとイタリアワインのご馳走は、私にとって何よりの楽しみです。
先日、休みと研修を兼ねて青森市の三内丸山遺跡を見に行きました。
平成12年に国の特別史跡に指定され、平成14年に記念館等が整備されて評判になっていましたが、ようやく見に行くことが出来ました。
観光地を含めどこで何を見ても、石やお墓や建築様式などついつい仕事に関係のある視点でモノを見てしまうのは、悲しいサガなのでしょうが仕方ありません。
復元建築では栗の木を利用した掘立柱櫓や堀立柱住居、大型の多目的集会所など、権力の集中や序列の存在、指示命令の仕組みが有った様に見受けられます。定住化も進んでおり、5,500年前から4,000年前までの1,500年間もここに居たことを考えると、縄文時代と弥生時代との違いが、高校で習ったような単純明快でない事が理解できます。
また、その頃の交易範囲も非常に広く、新潟県の糸魚川近辺のヒスイや北海道の黒曜石、岩手県久慈近郊のメノウなど実用品や装飾品として物々交換されていただろう事も容易に想像できます。当時から石は貴重な財産であったのでしょうから、苦労して遠くまで求めに行ったことと思います。
また、この遺跡にあるお墓は大きく3種類に分かれるようです。
一つは村の入り口の大きな本通りの両脇に整然と並ぶ大人の土抗墓です。5,000年も前のことなので、さすがに人骨は完全に分解してしまって出土しませんが、ヒスイのペンダントなどの石が出てきたそうです。
長寿(と言っても平均寿命は35歳位らしいですが)の人たちには村を守るシンボルの為か、村の入り口を墓域にしています。
次は子供(乳幼児)のお墓です。これは村の北側の居住区の近くで、土器に遺体を入れて埋葬したものです。なんとこの土器の中にはこぶし大ほどの石が1 2個入っていました。
お墓を石で作るルーツとも考えられますが、なぜ石を入れたのか、またその土器は底に穴をあけて埋葬されたことなど何らかの縄文人の死生観を表しているのでしょう。
最後は村の南側から発掘された環状列石(ストーンサークル)です。
こちらは長老などの権力者のお墓なのか(?)、わりと墓域が広くなっています。また、小さな丸石を環状に並べて、遺体のあっただろう中心には人型の大きな石が配置されています。
後の古墳や墳墓遺跡につながるものなのでしょうか?意味も用途もまだ解明されてはいません。
ただこれら3種類の縄文時代のお墓にも、全てにおいて石が何らかの意味を持っていて、石とお墓、石と埋葬、石と権力、石と追憶、石と死生観・・・
人類にとっての石の役割をあらためて考えさせられる春の三内丸山遺跡でした。
先月私の母校である東北学院高校からの依頼で『先輩に聴く』という題の講演をしてきました。
このOB講演は進路指導行事の一環で、職業や進路を決めるキッカケ作りでもあり、職業観や勤労観、人生観などの参考にすべく何十年も前から行われて来ていた行事です。
私の高校時代にもやはり同様のOB講演が、旧校舎の礼拝堂で行われていました。
今回私に白羽の矢が立ったのは、高校時代の同級生(熊谷先生)が母校の先生として教鞭を執っており、その熊谷先生が今回の企画担当になり、旧交をあたためていた私に連絡が来たという流れでした。
以前から自分の高校生時代に聴いたOB講演がとても印象に残っており、30年以上経った今でもその時の衝撃を覚えていて、私の人生を通して大きな役割を担ってくれたこのOB講演には感謝をしていたので、恩返しのつもりで了解の返事を出させて頂きました。
その印象に残っている講演とは、先輩のお名前は失礼ながら覚えてはいないものの、大学病院の脳外科の教授か助教授か、とにかくお医者さんだったと思います。
30数年前に脳疾患の患者を救う為の手術方法や手術の様子を映したスライドなど、当時の最先端の医療技術と医者としての心構えのようなものをお話されました。
その頃は今ほど医療や手術などの情報が少ない時代で、医師や病院といえば象牙の塔のイメージが強かった時に、OBの先輩から詳しくその内容をお聴きし、その前年に祖母が病死したこともあり、当時高校生の私にとってかなり印象的な出来事でした。
そんな想い出があったので、今度は逆に私がお話しして、少しでも参考になればとお引き受けした次第です。
講演内容は『私の職業観を支えた三人の恩師』という題で、初めに教職を目指すキッカケとなった高校時代の恩師勝野雄大先生の事、教員時代に上司の鑑と尊敬した小林義之教頭先生の事、石屋修行時代の業界重鎮の安藤博之社長の事などをお話ししました。
機会があれば、この内容をいつかコラムに書きたいと思います。
なお、講演の様子は仙台経済界という雑誌の5・6月号(5月25日発行)にフォト&トピックの欄で載っています。
私が彫刻家安部大雅氏と初めて会ったのは偶然の事でした。
2004年6月イタリア出張でトスカーナ州のカッラーラ市に行った時、たまたま現地駐在員と一緒にバーベキューをすることになり、そこで知人として参加されたのが安部大雅氏でした。
カッラーラ市は世界的にも有名な白い大理石(ビアンコ・カララ)を産出し、世界有数の石材産業集積地であり、たくさんの石材会社、石材機械メーカー、石材加工資材会社等が林立し、世界中から石材関連の人たちが集まる地域です。
大理石の採れる山並みは、夏でも白く聳え立ち,まるで雪に覆われているように見えますが、全て白大理石の採掘場です。中にはルネッサンス時代にミケランジェロが彫刻に最も合う石質が採れる場所として指定した、ミケランジェロの丁場と呼ばれる場所もあります。
石彫刻やモザイクなどの芸術家或いはそのタマゴ達も大理石のメッカとも言うべき、このカッラーラ周辺に住み、彫刻の学校で学んだり展覧会参加の作品制作に勉励しています。
彼(安部大雅氏)もその中の一人であり、10年近く現地イタリアで修行を積んでる埼玉県出身の新進気鋭の石彫家でした。
その年の後半日本に帰り、個展を開いたり、美術学校で教えたりする予定があるとのことでした。
日本に戻り、その年の暮れ、銀座の画廊での個展開催時の訪問で一挙に親しくなり、一緒に仕事をしてもらうようになりました。
翌年2005年には当社泉店の展示品リニューアルにあわせ、『彫刻家アベヒロマサ[世界に一つだけの墓]シリーズ』のデザイン制作及び加工監修の為、一緒に中国アモイ事務所に出張に行きました。
この時の様子は、仙台のTV局ミヤギテレビの情報番組「OH!バンデス」のなかで10分間の特別コーナーとして取材放映されました。
この後も2006年『アベヒロマサ追加シリーズ[世界に一つだけの芝墓石]』を制作依頼、昨年2007年は安部大雅氏の「京都町家の個展」用大理石の材料提供などお互いに深いお付き合いが続いています。
下の写真は今年2008年2月に、ある倉庫会社の依頼で受けた入り口のモニュメント制作の一端です。
まだ雪の残る寒い松島(第二工場の一角)で、2週間以上に亘りただ削り続けていた姿と、少しずつ形になってきた写真と、完成設置後の写真です。
あの硬い石をイメージどおりに作り上げるのは、石の組成を知ってる我々からすれば、半端な苦労じゃないと思うのですが、安部大雅氏は事も無げに実施してしまいます。
まだまだ若い33歳、これからが期待の有望な石彫家です。
機会があれば是非作品をご覧になってください。
今回は読書の事について書きたいと思います。
どちらかと言うと歴史物や人物もの、ビジネス関係や仕事がらみの本が多いですが、平均すると月に5冊から10冊位のペースで読んでいます。
夜寝る前に1時間から2時間程度、休みの日の午後、出張時の電車や乗り物の中などが主な読書タイムです。
比較的いろんなジャンルに興味があり、本屋に行って眺めていると一度に10冊ほど購入してしまいます。その後気に入った物から順に読み終えていきます。
あまり本の中に直接書き込みをしたり、ページを折ったりする事が無いので自分ではきれいに読んでいるつもりです。
ただ、最近は読んでいて「なるほど」「ここは覚えておきたい」と思っても、読了すると忘れてしまう事もあるので、メモ帳持参で気が付いた事を書き残すようにしています。
読んで感動した本や勉強になった本があり、以前社員のみんなに数冊購入して読んでもらった事がありました。
工場内のボトルネックを見つけ効率的な生産管理手法を、物語風に記した『ザ・ゴール』を製造課全員に宿題として読んでもらったり、役員の皆さんには「自分で気に入った物を購入し本の内容を紹介する」課題などを出したこともありました。
そうこうしている内に、本の置き場に困り、中国アモイ出張に行った時、書庫がかなり安く売っていたので、むこうで購入して、本社の階段の踊り場に設置しました。
その後読み終わった本は、社長図書として、社員誰でも借りて読めるようにしました。
「社長図書貸し出し制度」です。
期間や冊数制限などの規則はほとんどありません。
一度に10冊も借りて行く人もいれば、半年間返さない人もいますが、皆さんの運用に任せています。
ただこの貸し出しも3,4年過ぎた昨今は、借り出しするのはいつもの同じメンバー2,3人だけになっているので、少しもったいないような気もします。
最後に最近読んだ本の紹介をしておきましょう。
お正月に読んだ本に、宮城谷昌光の『太公望』、和田秀樹『人は感情から老化する』、今話題になっている高級セグメント戦略の『プレミアム戦略』遠藤功著などがあります。
どれも面白い内容でした。
今回は「お墓の初売り」の事を書いていきます。
今でも多くの地区では、「お墓」の話しは正月早々するものではない、少なくとも松飾りがとれてから(1月15日以降)と言われている所があります。
まつしまメモリーランドの店舗で墓石の小売りを始めた、平成12年当時もやはりそのような考え方が多く、お正月期間はほとんどの石屋も店を閉めていました。
仙台で伝統化している初売りは、福袋や景品がたくさん付く等、景気づけやお祭りの要素もあってとても賑わいます。
「お墓の初売り」はそのような意味からすればやはり場違いな感じがしていました。
「初売り」を意識しだしたキッカケは泉店をオープンした翌年の初めてのお正月のことです。
その平成13年のお正月は、当社も世の中の会社同様1月5日までお休みし6日から通常営業とさせていただいておりました。
ただ、個人的に仕事の段取り等もあり、1月2日に私一人で店を開けていたところ、大雪にも拘らず、入ってこられたお客様がおりました。
お聞きすると、息子さん家族が神奈川から帰省されていて、翌日には帰るとの事。家族が揃っている今日のうちにお墓の形だけでも見たいと出てきたが、どこも閉まっているんですね、とのお話しでした。
確かに、「正月早々縁起でもない」という反論もある反面、「正月でないと皆が集まらない、相談できない」というのも「お墓の初売り」にはあります。
当社ではそれ以降、平成14年から全店において「お墓の初売り」をするようになりました。
但し、決して「○○割値引き」「豪華景品」「福袋」といったお祭り騒ぎや便乗売りの初売りでなく、じっくりご家族がご検討できる、家族みんなで来て頂ける、家族の為の初売りを目指しています。
少しだけ、裏方のお話しをさせていただくと、実はお正月はどうしても雪が積もる可能性が高いので、施工課を含め全員で雪掻きの体制を整えたり、社員の正月出勤の確保の為交代休や変則年末休、外展示ではどうしても寒いので必然的に室内展示で暖房設備、或いは室内展示品の正月前リニューアルなど、実際には初売りの為のいろいろな裏方作業が有るのですが、これも「お客様に家族揃って来て頂ける」喜びの為の下準備と思い、社員みんなで毎年続けています。
今年から山形店でも「お墓の初売り」を連日の雪の中で始めさせていただきました。
仙台同様、山形のお客様の都合に合わせる初売りスタイルで進めていこうと思っています。
まつしまメモリーランド 八木社長様
紅葉の落ち葉も、間もなく雪のおしろいを付ける季節となりました。
八木社長様、ご無沙汰しておりますがその後いかがお過ごしでいらっしゃいますか?
きっと日々忙しく国内外を駆け回っていることと思います・・・・。
この度はご縁があって御社にお世話になり、心より感謝しております。
オープンしたばかりだった山形店に初めてお邪魔したのは、まだ残暑の厳しい季節でした。私には初めての経験で、お墓に関する予備知識も全く無く、不安を胸にそのドアを開けたのを鮮明に記憶しております。
でも、そんな無謀な私に対して、社長を始め、まつしまメモリーランドの社員の皆様は心温かく迎えて下さいました。その第一印象が再度訪問する決め手となり、二度目の訪問の時には、ここでお世話になることを心の中で確信しておりました。
わからない事を質問しても、丁寧に解りやすく笑顔で答えてくれた佐々木さん・・・。
私の二人の娘たちに、わざわざ自宅から使わなくなったおもちゃを持ってきて遊んでくれて、夢中で商談する私を助けてくれた鈴木さん・・・。(子供たちは今でも、”まつしまキッズランド”へ連れてって!!とせがみます)
どんな時でも誠心誠意を込めて対応し、常に安心感と信頼感を与え続けてくれて、まるで顧客としてではなく、一人の人間としてお付き合いしてくださった矢口さん・・・。(母が亡くなった際にはわざわざ自宅へ足を運んで下さり、励ましのお言葉をかけてくださいました)
そんな皆様に支えられた私は本当に幸せです。
そして、社長はこれ程までに素晴らしい社員をお育てになられたのですね。八木社長は寛大でいて、その風格を誇張することなくやさしさに溢れ、その姿勢と生き方・考え方は私の心を掴んで止みません。山形のコミュニティ新聞に掲載された社長の記事を読んでそう思いました。私も小さな会社の一役員として社員を育てることの難しさを日々痛感しているからです。
注文から完成までの一貫したシステム、ミスを犯さない為の仕組み、入念な打ち合わせや予定表・・・。まつしまメモリーランドのコーディネイトは見事でした。私はそこから自分の仕事に学ぶべきものを得たような気がします。
そして完成したお墓を目の前にした時には、決して大きくはないのに壮大で、堂々と誇らしげに聳え立つその姿に感動しました。一際光り輝く我が家のお墓に住職からも「大変立派なお墓ですね。丸みを帯びた部分がやっしさを感じさせる。ご両親の憩いの場所となるでしょうね」とのお言葉も頂きました。
『憩』という竿石に刻んだ文字については、矢口さんにいろいろ相談し、アドバイスを受けながらようやく決まった想いのつまった文字でした。
まるで亡くなった父と母が「こんなにステキなお墓を建ててくれて有難う」と言ってるかのように、私には聞こえます。
私は「そうなんだよ!まつしまメモリーランドという素晴らしいパーフェクト集団と出逢ったんだよ」と返事をかえしました。
私は、これまでいろんな買い物をしてきて、これ程までに満足度120%を感じたのは初めてでしょう。そしてどんなことにも、人と人との信頼に勝るものは無いことを学ばせて頂きました。出逢えた事に感謝しております。本当に有難うございました。
これから先、会社の顧問先様・友達・親戚などからお墓の話しが出た際には、太鼓判を押して自信を持ってお勧めできる「まつしまメモリーランド」です。
これからも御社の益々のご発展と更なる飛躍を心よりお祈り申し上げます。
それから八木社長様、山形においでの際はご連絡頂ければ幸いです。お邪魔でなければまた遊びにお伺いしたいと思います。子供たちも大喜びです。
長くなりすみません。いつかこの感謝の気持ちをお伝えしたいと思っていたものですから・・・。それでは寒くなりましたので体調にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいませ。(社長の健康なくしては成り立たぬ会社と顧客と社員とその家族の為に・・・)
平成19年11月21日
山形市 大谷 利加子
山形に出店することに決めてから、みんなが聞いてきた第2番目の質問です。
「山形の墓石の市場はどうなの?」
そう聞きながら、たいていは次のような事を教えて(?)くれる業界関係者も何人か居ました。
「山形は閉鎖的だよ。」
「新規の商売を始めても難しい商圏じゃないか。」
「墓石の形も伝統的で、和型一辺倒、色も黒しか使わない市場だよ。」
等々、山形に出ることにどちらかというと反対を表明する意見の方が圧倒的でした。
そんな中での山形店オープンでした。
結局オープンしてからのお客様のご要望を伺うと、なんと和型と洋型のお気に入りのデザイン割合は、仙台の店の場合とほぼ同じで、和型を好むお客様ももちろんいらっしゃるのと同じ位、洋型をお好みにあげるお客様が山形にも同じようにいらっしゃいました。
石の色もまだ若干仙台市場よりは抑え気味でも、黒オンリーでなく、グレーや白や薄いピンクや、茶系統もご契約頂きました。
やはり、山形が特別に閉鎖的守旧的な市場であったわけでなく、われわれのような会社に足を運んでいただけるのは、今までこのような提案をする石屋さんが無かったからではないかと今は確信しています。
また、お店に対する信頼感は、昔から在ったからとか、近くに在るからとかで作られるものでなく、人と人のつながりの中から育っていくものと思います。
だからこそ、地元山形に出店しより一層地域に根ざしたお店づくりをしていけば、お客様から信頼され、皆様にお応えできる経営が出来るようになると信じています。
そんな中、山形店のオープン当初のお客様から、心のこもったうれしいお手紙を頂きました。
お客様のお許しを得て、原文のままご紹介させてもらいます。
本当に有り難くて読んでいてジーンと心に染みわたり目頭が熱くなりました。
私一人ではもったいなくて、コピーをして全社員に読んでもらいました。社員からも自分たちの仕事の意義を改めて見つめ直し、生きがいを見出したと大好評でした。
大谷様 本当にありがとうございます。
それでは、次のコラムに全文を掲載させていただきます。
先ごろ祝日で本社は休みでしたが、高校・中学校の理科(地学)の先生方より依頼があり、工場の一部と原石置き場、本社事務所を開けて地学団体研究会仙台支部の方々に開放いたしました。
こちらの団体は、県内の小中高の先生方を中心に、一般の方々へ自然科学の普及を目的にした非営利の団体だそうです。
年に数回、一般の市民の方々にも参加を呼びかけ、地学ハイキングとして、地層の見学や化石の収集等を行っているようです。
実はこの団体の先生方とはかなり以前からお付き合いがあり、今までに3 4回、当社を開放して世界の石のサンプル採集や講演会をやってきました。
今回数年ぶりに幹事の先生からご連絡があり、「休みの日なので申し訳ないが・・・」との事でしたが、こちらとしましても、『石』の好きな方々になら、商売に関係なく、是非とも『石』の魅力を知って頂きたい、『石』の文化を広める効果があればと、喜んで引き受けさせていただきました。
予想ではそんなに集まらないだろうからと、当日建築関係の部門から私を含め3名の社員に休日出勤してもらい対応いたしましたが、集合時間の9時30分になったら、来るわ来るわ、3Fに用意した椅子は全く足りなく、床に座っていただいたり立ち見の方も出る大賑わいでした。
小学校高学年から、中高生、先生方、一般の地学好きの方とおよそ80 90人の参加だったようです。
「建築で使用される世界の石材について」というテーマで約1時間私からも講演をさせて頂きましたが、いい気になって話していたら、後から聞きますと、中には東北大学の地学関係の名誉教授やら高校の岩石の専門の先生やらいらして、自分の浅い知識でお話ししたことに軽い後悔を感じたりしました。
それでも、中学校か高校の先生から、とても参考になりましたよ、実際に授業する時のヒントになりました、と言って頂いて少しは助かりました。
その後、第二工場、ストックヤードに向かい、4億年前の化石(アンモナイトや直角貝)の入ったモロッコ産の大理石の大きい板を見てもらったり、実際に端材のサンプル採集で、参加の皆さんの生き生きしたお顔を拝見し、とても良かったなと思っています。
大げさな言い方かもしれませんが、私たちの会社の社会的使命の一つに「石材の良さを広めていく」事や、墓石部門で言えば「お墓参りの習慣を後代に伝えていく」等も有ると思います。
一般の方むけにこのような機会があれば、また是非ともやらせていただければと思っています。
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