社長コラム 石のことば
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2012/12/15
第85回 「石のある風景」?

 今回は少し恐縮ものですが、トイレの石風景をあげたいと思います。

 一般建築の建物で石がよく使われる場所として、まずは玄関エントランス、次に多いのがトイレの石工事です。

 温泉施設などでは風呂場も石使用が多いところではありますが、やはりエントランスに次ぐベスト2はトイレかと思います。

 使用頻度が多い理由としてはメンテナンスの容易さであり、特に水濡れや汚れには圧倒的な優位さがあります。

 もちろん見かけの綺麗さや豪華さ、或いは色合いの豊富さも理由の中に入ると思います。

 とにかくいろんなところに行ってトイレに入り、そこで石に出会うのが楽しみではあります。

 
 最初の写真(左下)は都内のある高級ホテルのロビー内のトイレです。
 ロビーといってもここは高層38階がフロント階であり、全面ガラス面に向かい、まるで空中から用を足してるが如くの感があります。
 少し左手にはスカイツリーも見え、絶景のトイレNO.1です。

 次の写真(中下)は空港内のトイレです。
 床から壁が同じ共石で施工されており一体感があります。
 また、隣の便器との間の見切り壁(スクリーン)も、厚めに設計されこちらも同じ石を使用しています。 

 最後の写真(右下)はイタリアのプチホテルの中の客室トイレです。
 白大理石の産地(カッラーラ)のホテルだけあって、現地産出の大理石を使っていますが、壁全体を石貼りするよりも、ポイントでデザインされた石が何ともいい感じです。

 
 いろんなトイレの石風景を撮っていくだけでもかなりのものが出来そうですね。

2012/11/11
第84回 「石のある風景」?

 近所や旅先のちょっとした風景の中に「石」は一つのパーツとして存在していますが、我々のような「石屋」でもなければそのまま見過ごしたり気にかけることもないのかもしれません。

 私が出かけた先で(運良くデジカメを持っていて)何気なく撮った石の写真を載せていきたいと思います。

 写真1・奥日光の温泉寺(境内に日帰り温泉施設有り、白濁の硫黄泉)に向かう参道に40基余りの石の灯篭が並んでいます。
 これは檀家さんや信者さんが祈願を込めて奉納したものかと思いますが、これだけの数で道に沿って並んでいるとかなりの迫力です。

 写真2・奥日光湯ノ湖の湖畔にあるラムサール条約登録の記念碑です。
当時の栃木県知事の揮毫による文字を刻んだ安山岩系の自然石です。
人の手をあまり加えず自然の形状を生かした面にラムサールの登録マークを彫り込み、全体のバランスがとてもいい感じです。
 プロの目から見れば、割り面やカット面にノミ跡や割り跡が残っていますが、手を加えていないように見せている所が素晴らしいです。

 写真3・中禅寺湖金谷ホテルのロビー中央に大谷石の暖炉が鎮座しています。
 この暖炉は飾りではなく冬期間は本当に火を燃やし暖房の役目をしています。
また、同じ系列の日光金谷ホテルのロビーにも大谷石の柱と壁、そして同じように暖炉も設置されています。
 やはり、大谷石は栃木県の有名な産出品の一つで日本を代表する凝灰岩です。
初代の帝国ホテル(東京)で初めて近代建築材として使用され、外装材・内装材として広く日本中で使われた石です。
 当社も創業のスタートは大谷石と同じ凝灰岩の「松島石」「野蒜石」「かつぎ石」の販売から起業しました。
 今は隔世の感があり、世はかなり変わりましたが、大谷石や松島石を見るととても懐かしく感じます。

2012/10/17
第83回 「多賀城店グランドオープン その2」

 多賀城店グランドオープンの当日、一般のお客様が来店されるより前に、今回新築改築工事でお世話頂いた建築関係の各取引先様や業者様、多賀城店や事業部で日頃お世話になっているお客様に、当日早朝お集まりいただきオープンセレモニーを執り行わさせていただきました。

 10月初旬の3連休 最初の土曜日にもかかわらず、50名を超える皆様にご足労をおかけし、温かいお言葉と身に余る激励を頂戴いたしました。

 皆様の期待にお応えできるようスタッフ共々頑張りますので引き続きよろしくお願いいたします。

 
 今回の多賀城店グランドオープンをきっかけとしてメモリーランド事業部では、宮城6店舗合同企画、山形2店舗共同開催の2つのセールを同時開催しました。

 この日もオープンセレモニー終了後、多賀城店だけでなく他の各店舗にも、たくさんのお客様が来場されとても賑やかなスタートとなりました。

 あらためて、皆様のご愛顧に深謝するばかりです。


 写真は  オープン当日の早朝の多賀城店全景
       新店舗前でのテープカット風景
       お客様の入場シーン
 です。

2012/10/05
第82回 「多賀城店グランドオープン」

お陰様をもちまして明日、平成24年10月6日に多賀城店A棟新築・B棟改築でのグランドオープンを迎えることとなりました。


 もともとこの多賀城店は2006年(平成18年)に、まつしまメモリーランド第5号店として開店し、仙台市宮城野区・多賀城市・塩釜市・七ヶ浜町・利府町など宮城東部仙塩地区をエリアとする広域の店舗拠点です。

 当初はトヨタカローラ宮城旧多賀城店さんのショールーム及び整備工場としてそのまま譲り受けたものを、事務所及びショールームと半室内の展示場、更には駐車場に外部展示という、既存のリフォームによる新規出店でした。


 当初オープンから6年順調に認知度も高まりつつある中、昨年の東日本大震災では津波被害は免れたものの、特に旧整備工場の老朽化と地震振動の被害から、既存8店舗では初めて建替えによるリニューアルオープンを計画実施いたしました。



 今までの新規開店と違い、営業をしながらの建物解体、新築工事、引っ越し、既存建物のリフォーム、そしてまた一体でのオープンとなかなか規制のハードルも高く、関係者各位の皆様のご協力で、4月11日の地鎮祭から明日のグランドオープンまで予定通りに進めることが出来ました。

 また、今回特に難しかったのは、国道側から奥にあった旧整備工場を新築とし、表にある旧事務所は改装でそのまま残し、完成後は奥の新築棟(A棟)をメイン、旧ショールームはB棟とし、一体感を持たせるとともに、奥のA棟を国道から目立たさせるという難問もプラスして、かなり難易度の高い建築案件だったと思います。

 竣工したA棟はご覧になっていただければわかりますが、屋根の形状や外観がとても洗練されており、また既存B棟との調和もよく、旧店舗をご存知の方でも完全な建て替えと勘違いされます。

 改めて当店のお客様、お世話になったお取引先の皆様、そして今回の工事に関係された多くの皆様に感謝申し上げる次第です。


 
 明日の、多賀城店グランドオープンにより、1号店から築いてきた当社のコンセプトでもある「暑さ寒さ気候などに左右されない完全室内ショールーム」が多賀城店でも実現いたします。

 今後ますます宮城東部地区のお客様の利便性やサービス向上に寄与していきたいと思っておりますので、多賀城店スタッフ一同今後ともよろしくお願い申し上げます。

2012/08/11
第81回 「イタリア出張その付録」

 前回コラムに書きましたが、今回はピサ空港発でなくフィレンツエ空港発のフライトの為、白い大理石の街カッラーラからフィレンツエに移動する事となったのですが、その途中はいわゆるキャンティークラシコなどの有名ワインの産地です。

 石の産地と美味しいワインの産地が重複している事は、だいぶ前のコラムに記載しましたが、正に此処も白い大理石産地に、世界的に有名なキャンティーワインの産地が重なっています。


 今更ですが、キャンティーワインの成分は主にサンジョベーゼという赤ワイン用の葡萄が90%近く使われています。(100%サンジョベーゼもありますが、残りの10%に色付けの為や香り付けの為、カベルネソービニョンやメルロー等のフランス系の赤葡萄を混合します)

 実はこの地区で最も有名なワインの種類は先ほどのキャンティー、キャンティークラシコと呼ばれる赤のワインです。白い大理石の産地で赤いワインとは少し面白いことですが、それではこの白い大理石の産地で採れる有名な白ワインは無いのかというと、当然ながらそれもあります。

 特にイタリアワインの格付けの最上級であるD・O・C・Gの呼称が許されてるものに、白ワインではこのトスカーナ州でたった一つ、ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノというDOCGの白ワインがあります。
 (赤のDOCG最上級呼称ワインはキャンティー、キャンティークラシコ、カルミニャーノ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、ヴィーノ・ノビレ・ディ・モンテプルチアーノと5銘柄もあります。)

 この白ワイン(ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノ)は、葡萄がイタリア系のヴェルナッチャという品種で、含有は100%使われています。
 フランスで有名なシャルドネ種に似た辛口のすっきりした白葡萄です。


 今回その白ワイン、赤ワイン両方を作っているワイナリー(GUARDASTELLE)に訪問し、(当然試飲し)、そして納得の上、日本の住所宛飛行機便で送ってもらいました。

 今までは帰りに手荷物として1本か2本、多くても3本位までなら、飛行機で持ち帰ったことはありましたが、今回はケースで数箱ですからとても持っては帰れません。

 ワイン代とともに送料を積算してもらったのですが、それがワイン代より高額で・・・
 一瞬買うのを止めようかと思いましたが、結局は奮発して購入しました。


 日本にて首を長くして待つこと約二週間、税関から連絡後に無事到着しました。

 ヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノ(白ワイン)1種とキャンティー(赤ワイン)のステンレス樽醸造の軽めタイプ1種、同じくキャンティーのフレンチオーク樽醸造の重めタイプの1種類、合計3種の飲み較べは、日本に帰ってからのイタリア名残りの休日の楽しみの一つです。

2012/08/04
第80回 「イタリア出張その3」

 今回のイタリア出張は、以前のイタリア系の飛行機会社に替えてエアーフランス便を使ったため、最終日はフィレンツェ出発となりました。
 
 いつものイタリア系航空会社の便だと、成田からミラノ又はローマ直行で、その後国内線に乗り換えてピサに到着するパターンが多かったのですが、前回と前々回の2回立て続けでロストバゲッジ(預け荷物の紛失)にあい、今回はもっと信頼性のある航空会社を探してフライトを選びました。
(前2回のロストバゲッジは共に翌々日に無事届きましたが。)

 成田からパリ経由で(パリのシャルルドゴール空港はとてつもなく大きくて乗り換えが面倒ではありますが…)パリからフィレンツェに入り、帰りも同じルートでの帰国となり、時間の関係から珍しくフィレンツェで自由時間が取れ、フィレンツェに行けば誰もが訪ねるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)に一般観光客同様に見学に行ってきました。


 基本の構成は教会(大聖堂)と鐘楼と洗礼堂の3つがワンセットになっており、これらはイタリアの各地、各村落でも3棟ワンセットの形で現存している所が多いようです。

 そんな小さな村落の教会が、時に大きな街の力や有力なバック(国王や教皇や大富豪)のもとで、途轍もなく巨大で壮麗な大聖堂が建てられることになったものが現在に至り大聖堂(ドゥオーモ)となって現存しています。

 ミラノのドゥオーモや斜塔で有名なピサのドゥオーモなどイタリアにはたくさんの巨大な大聖堂がありますが、ここフィレンツェの大聖堂も豪華で天を衝くばかりの巨大で華麗な建築物です。


 外壁は白大理石(カッラーラ産)を中心に、ベローナ産と思われるピンクの大理石と北イタリア産の緑の大理石のコントラストで、フィレンツェの街のほぼ中心に鎮座しています。


 今回は初めて、聖堂の円塔(パーゴラ)を20分ほども石の階段を上り続け、パーゴラの天井に描かれた「最後の審判」のフレスコ画を見て、パーゴラ屋上から市街を一望に見ることが出来ました。

 教会内部の床は、イタリアだけでなくギリシャやトルコなどから運ばれたと思われる大理石が、綺麗な文様を描き数百年の使用に耐えていました。


 「ヨーロッパは石の文化」とよく言いますが、「イタリアは特に大理石の文化」ということになるのでしょう。

 薄暗く荘厳な教会の中にあるのは、大理石と明り取りの窓を覆うステンドグラス、そして僅かの木工品と金属製品だけです。


 こんな時に改めて大理石の素晴らしさを実感するのは、仕事柄だけの理由では無いような気がいたします。

2012/07/20
第79回 「イタリア出張その2」

 今から10年前、幕張のテーマパーク内の石工事の関係で、アメリカ人設計士と訪ねたポルトフィーノを再訪してきました。

 ジェノバの南にあるイタリア屈指の高級リゾート地ですが、昔は貧しい漁村で、家を建てるにも土地が急勾配地しかなく、見栄を張るために張りぼての家や開かない窓を、「だまし絵(トロンプールイユ)」で飾り立てたために、その技術がここに残り、今では敢えてその技法を多用している事も人気の一つです。

 そのテーマパークも、ここのだまし絵技法をそのまま参考にし、何度も設計士が訪ねて来ており、その技術もここ現地の人が招集され幕張のパーク内に再現されました。


イタリアの有名な観光地や人気の場所は数ありますが、このポルトフィーノは私の個人的お気に入り場所ランキングのベスト3の景勝地です。



 
 真中の写真に「だまし絵(トロンプルーイユ)」の技法がいくつか取り入れられていまが、わかりますか?
 (写真を拡大して探してみてください)

  

 
 また、ここはフィレンツエやピサのあるトスカーナ州ではなく、ジェノバを州都とするリグーリア州ジェノバ県で、いつも滞在しているトスカーナとは食べ物も違います。
 

 実は昔ここで食べてからファンになったジェノベーゼのパスタ(バジルペーストに松の実などを加えたソース)がポルトフィーノ訪問のもう一つの楽しみでした。

 最近は日本の至る所でジェノベーゼソースを味わえますが、なかなかこのオリジナルの域に達しているものに出会えず、自分の中で望郷の念に似た渇望感があったのですが、さすがにここのジェノベーゼは絶品でした。


 海(地中海)を臨む人気のレストランで、この10年の時間の流れを振り返りながら、白ワインとともにジェノベーゼパスタを食し、目と耳と舌とそして風の心地よさを満喫した半日の休日でした。 

2012/07/08
第78回 「イタリア出張その1」

 昨年3・11の大震災と引き続きの4・07の余震で、大理石在庫の多くが被害にあい破損してしまって、なかなか新しい大理石の仕入れに踏み切れなかったのですが、さすがに毎日の注文や加工で在庫が少なくなり、新規の発注が必要になったことから、4年ぶりにイタリアに出張に行ってきました。

 イタリアと直接の取引も既に30年近くの年月が過ぎ、先方の会社も世代が代わったり担当が辞めたり、或いはイタリアの石材業者でも経営が厳しく倒産して業界を去ったりと、昔のつながりが薄くなってはきているものの、懐かしい顔にも会いたくて今回は仕事とともに取引先との絆の確認や、仕事を超えての友情の証しを求める出張でもありました。

 いつもの打ち合わせや注文や検品が中心のビジネス出張とは一線を画し、今回は比較的ゆっくりと相手先と時間を取り、一緒に丁場(山の採石場)まで出かけ、今現在の問題点や今後の取り組みなど一緒になって、これから先のビジネスや交流を話し合いました。

 そんな中、私自身も15年以上前から訪問していなかった、白大理石の洞窟丁場の中にも入ってきました。

 イタリアのピサの北方にカッラーラという街があり、そこから採れる石をビアンコ カッラーラといいます。

 これはイタリアにあるほとんどの著名な石像や建築物に使われる最も有名で、最も採掘量の多い白い大理石です。
 ミケランジェロが特にこのビアンコ カッラーラをよく使っており、有名なダビデ像もバチカンにあるピエタも全てこの丁場から採掘されたものです。

 少し専門的になりますが、カッラーラには4つの大きな丁場(採石場)区分があり、それぞれカナルグランデ、ロラーノ、ファンタスクリット、ジョイヤーと呼ばれています。

 下の写真の左端がロラーノの丁場で、真中はカナルグランデの中にある洞窟丁場です。
(採石場には露天掘りの丁場と洞窟掘りの丁場があります。どちらかというと洞窟掘りの方がコストもかかり大変ですが、絞まった良い原石が取れます。ミケランジェロの採石場も洞窟の中にあります。)

 そして写真右には切り出された原石が並んでいますが、なんとほとんど売り切れ状態。

 ただ今4つの採石場の産出量では、世界中から求められている需要を賄いきれない状況で、フル稼働状態です。

 これは「白」大理石が、世界中でブームになっているのが理由のようです。
 数年前までの「ベージュ」大理石ブームや、それ以前の「グレー」や「ピンク」大理石が流行り廃りで主役を降りて、今は世界中が「白い」大理石を求める傾向にあるようです。

 そんな石の世界事情も、日本に居るだけではなかなかピンとこない事ですが、今回は少し先を見て石の手配もやってきました。

2012/05/23
第77回 「殺生石」

 前回記載の那須岳トレッキングの後、那須湯本の温泉地上流にある『殺生石』という場所を訪ねました。

 殺生石の由来は現地の看板に

「中国やインドで美しい女性に化けて悪行を重ねた九本のしっぽを持つ妖怪九尾の狐が、約800年前に日本に渡り、女官・玉藻の前として鳥羽天皇に仕えいたところを見破られ、那須に逃げ込んだ。
 その後も領民や旅人に危害を加えた為、神様から授けられた矢で射られ石と化したが、この石が猛毒を吹き出し、あらゆる生き物を殺した」

という伝説があり、またここを訪ねた松尾芭蕉も

「殺生石は温泉(いずゆ)の出づゆ山陰(やまかげ)にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂、蝶のたぐひ真砂の色(=地面の砂の色)の見えぬほど重なり死す」

と記したように、硫黄のガスがこの石の付近から立ち上り、今でも寂寥としているところです。

 このような風景は他の温泉地や観光地でもおよそ同じようなものであり、荒涼とした風景から思い起こされるのは、賽の河原や○○地獄、或いは湯の花畑などの名称があるのは草津温泉や恐山でも一緒でした。なんとなく既知感というか、初めて見るのに見たことがあるような感覚でした。

 また、ここにはお一人の石彫家により制作された千体地蔵というのがあります。

 石質は凝灰岩の一種地元那須町芦野地区で採掘される芦野石で出来ています。

 制作者は櫛田豊さんといい、地元の石工さんです。


 比較的加工のし易い軟らかい石ではありますが、それでもお一人の方が30年以上もかけて彫り続けているのは大変なことです。
 
 でも、この地蔵さんたちは一般的なお地蔵さんとバランスが少し違いますよね。

 これは合掌している手を大きく表わし、衆生の平安をより祈願するためだそうです。


 30年ほど前から作り始め、平成23年現在で725体にまでなったとのことです。
 早く名前の通り1千体のお地蔵さんが揃うといいですね。
 

 その後、殺生石からすぐ下の、名湯「鹿の湯」に入浴してきました。

 ここは、那須湯本温泉の源泉で、宿泊施設は無く、日帰り入浴だけですが、知る人ぞ知る名湯です。

 理由は、白濁硫黄泉でPH2.4という強酸性もありますが、何より浴槽が6つ並んでいて、それぞれの浴槽を温度によって分けています。

 41度の浴槽、42度、43度、44度、そして奥には46度と48度。
 ほとんどの人が42度か43度のところに多く集まり、子供には41度の浴槽が人気です。

 私も44度に入ってから、気合を入れて46度までは挑戦しました。

 しかしながら、48度は断念、手を入れただけでも熱くて無理でしたが、なかなか意趣のある温泉浴場で、楽しく入ることが出来ました。

2012/04/30
第76回 「那須岳 山頂」

 今年最初の運動不足解消・肥満防止・気分転換・世間見聞他たくさんの効果が期待できる(?)トレッキングのオープン戦は那須高原茶臼岳に挑みました。

 一般には那須岳と言われますが、地図には那須岳という山はなく、茶臼岳がいわゆる那須の火山帯の中心であり、そこに連なる朝日岳や三本槍岳などの峰々の総称であり、このような例は八甲田山(八甲田山という単独の山は無い)や蔵王連峰(蔵王山という山も無い)にも見られ、一般的な呼び名と個々の山の名前が一致しないのはよくあることなのでしょう。

 
 今年は冬に雪が多かったせいもあり、東北の山はまだ雪に埋もれていたので、南下すれば雪も無いだろうということで、那須岳(茶臼岳)初挑戦となりました。

 ロープウェイを使うとかなり山頂には近くなりますが、今回は一周コースを目指し峠の茶屋から上りはじめ、朝日岳登山の分かれ道にある避難小屋を経由して茶臼岳頂上、下りにロープウェイを利用し、駐車場から峠の茶屋に戻るルートでスタートしました。

 雪が無いだろうとの想いと違い、峠の茶屋からは暫し雪中行軍、しかも半年振りのトレッキングで基礎体力も充分でなく、地図に書いてある標準歩行時間よりはるかに時間をかけて頂上までたどり着きました。


 途中山頂が近くなると、今でも活動している火山らしく硫黄の臭いや、草木の生えない荒涼とした岩肌の風景が続きました。

 特に初めて見る形状の石があり『石のことば』に載せようと思い写真 (ひび割れのある石)を撮りました。(このコラムはあくまで「石」が主役ですが、最近の傾向で半分旅行記か登山記になりかねないので)

 
 これは石の表面に溜まった水が凍結してひび割れを起こし、それが何回も何年も何百年も繰り返されることによって、亀の甲羅の模様のような石が出来たんだと思います。
 石質的にはおそらく玄武岩かと思われ、比較的硬い石質ではありますが、はく離や一方方向へのひび割れには弱いところもある石です。
 とは言え、硬い石をここまで変化させる自然の力はやはりすごいものです。

 そこから頂上はほんの先、写真 の誰かが磔のように手を広げているのが茶臼岳頂上です。

 
 そして頂上には、白御影石産の那須岳神社のヤシロ(通常は氏神様用に使う石のヤシロ)と同じく御影石のお賽銭箱。

 んーーむ、登頂記念にお賽銭は投げ入れたものの、この小銭はどうやって回収するのだろうなんて余計なことを考えながら、下りの道へと進路を移しました。

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