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今回のイタリア出張は、以前のイタリア系の飛行機会社に替えてエアーフランス便を使ったため、最終日はフィレンツェ出発となりました。
いつものイタリア系航空会社の便だと、成田からミラノ又はローマ直行で、その後国内線に乗り換えてピサに到着するパターンが多かったのですが、前回と前々回の2回立て続けでロストバゲッジ(預け荷物の紛失)にあい、今回はもっと信頼性のある航空会社を探してフライトを選びました。
(前2回のロストバゲッジは共に翌々日に無事届きましたが。)
成田からパリ経由で(パリのシャルルドゴール空港はとてつもなく大きくて乗り換えが面倒ではありますが…)パリからフィレンツェに入り、帰りも同じルートでの帰国となり、時間の関係から珍しくフィレンツェで自由時間が取れ、フィレンツェに行けば誰もが訪ねるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)に一般観光客同様に見学に行ってきました。
基本の構成は教会(大聖堂)と鐘楼と洗礼堂の3つがワンセットになっており、これらはイタリアの各地、各村落でも3棟ワンセットの形で現存している所が多いようです。
そんな小さな村落の教会が、時に大きな街の力や有力なバック(国王や教皇や大富豪)のもとで、途轍もなく巨大で壮麗な大聖堂が建てられることになったものが現在に至り大聖堂(ドゥオーモ)となって現存しています。
ミラノのドゥオーモや斜塔で有名なピサのドゥオーモなどイタリアにはたくさんの巨大な大聖堂がありますが、ここフィレンツェの大聖堂も豪華で天を衝くばかりの巨大で華麗な建築物です。
外壁は白大理石(カッラーラ産)を中心に、ベローナ産と思われるピンクの大理石と北イタリア産の緑の大理石のコントラストで、フィレンツェの街のほぼ中心に鎮座しています。
今回は初めて、聖堂の円塔(パーゴラ)を20分ほども石の階段を上り続け、パーゴラの天井に描かれた「最後の審判」のフレスコ画を見て、パーゴラ屋上から市街を一望に見ることが出来ました。
教会内部の床は、イタリアだけでなくギリシャやトルコなどから運ばれたと思われる大理石が、綺麗な文様を描き数百年の使用に耐えていました。
「ヨーロッパは石の文化」とよく言いますが、「イタリアは特に大理石の文化」ということになるのでしょう。
薄暗く荘厳な教会の中にあるのは、大理石と明り取りの窓を覆うステンドグラス、そして僅かの木工品と金属製品だけです。
こんな時に改めて大理石の素晴らしさを実感するのは、仕事柄だけの理由では無いような気がいたします。
今から10年前、幕張のテーマパーク内の石工事の関係で、アメリカ人設計士と訪ねたポルトフィーノを再訪してきました。
ジェノバの南にあるイタリア屈指の高級リゾート地ですが、昔は貧しい漁村で、家を建てるにも土地が急勾配地しかなく、見栄を張るために張りぼての家や開かない窓を、「だまし絵(トロンプールイユ)」で飾り立てたために、その技術がここに残り、今では敢えてその技法を多用している事も人気の一つです。
そのテーマパークも、ここのだまし絵技法をそのまま参考にし、何度も設計士が訪ねて来ており、その技術もここ現地の人が招集され幕張のパーク内に再現されました。
イタリアの有名な観光地や人気の場所は数ありますが、このポルトフィーノは私の個人的お気に入り場所ランキングのベスト3の景勝地です。
真中の写真に「だまし絵(トロンプルーイユ)」の技法がいくつか取り入れられていまが、わかりますか?
(写真を拡大して探してみてください)
また、ここはフィレンツエやピサのあるトスカーナ州ではなく、ジェノバを州都とするリグーリア州ジェノバ県で、いつも滞在しているトスカーナとは食べ物も違います。
実は昔ここで食べてからファンになったジェノベーゼのパスタ(バジルペーストに松の実などを加えたソース)がポルトフィーノ訪問のもう一つの楽しみでした。
最近は日本の至る所でジェノベーゼソースを味わえますが、なかなかこのオリジナルの域に達しているものに出会えず、自分の中で望郷の念に似た渇望感があったのですが、さすがにここのジェノベーゼは絶品でした。
海(地中海)を臨む人気のレストランで、この10年の時間の流れを振り返りながら、白ワインとともにジェノベーゼパスタを食し、目と耳と舌とそして風の心地よさを満喫した半日の休日でした。
昨年3・11の大震災と引き続きの4・07の余震で、大理石在庫の多くが被害にあい破損してしまって、なかなか新しい大理石の仕入れに踏み切れなかったのですが、さすがに毎日の注文や加工で在庫が少なくなり、新規の発注が必要になったことから、4年ぶりにイタリアに出張に行ってきました。
イタリアと直接の取引も既に30年近くの年月が過ぎ、先方の会社も世代が代わったり担当が辞めたり、或いはイタリアの石材業者でも経営が厳しく倒産して業界を去ったりと、昔のつながりが薄くなってはきているものの、懐かしい顔にも会いたくて今回は仕事とともに取引先との絆の確認や、仕事を超えての友情の証しを求める出張でもありました。
いつもの打ち合わせや注文や検品が中心のビジネス出張とは一線を画し、今回は比較的ゆっくりと相手先と時間を取り、一緒に丁場(山の採石場)まで出かけ、今現在の問題点や今後の取り組みなど一緒になって、これから先のビジネスや交流を話し合いました。
そんな中、私自身も15年以上前から訪問していなかった、白大理石の洞窟丁場の中にも入ってきました。
イタリアのピサの北方にカッラーラという街があり、そこから採れる石をビアンコ カッラーラといいます。
これはイタリアにあるほとんどの著名な石像や建築物に使われる最も有名で、最も採掘量の多い白い大理石です。
ミケランジェロが特にこのビアンコ カッラーラをよく使っており、有名なダビデ像もバチカンにあるピエタも全てこの丁場から採掘されたものです。
少し専門的になりますが、カッラーラには4つの大きな丁場(採石場)区分があり、それぞれカナルグランデ、ロラーノ、ファンタスクリット、ジョイヤーと呼ばれています。
下の写真の左端がロラーノの丁場で、真中はカナルグランデの中にある洞窟丁場です。
(採石場には露天掘りの丁場と洞窟掘りの丁場があります。どちらかというと洞窟掘りの方がコストもかかり大変ですが、絞まった良い原石が取れます。ミケランジェロの採石場も洞窟の中にあります。)
そして写真右には切り出された原石が並んでいますが、なんとほとんど売り切れ状態。
ただ今4つの採石場の産出量では、世界中から求められている需要を賄いきれない状況で、フル稼働状態です。
これは「白」大理石が、世界中でブームになっているのが理由のようです。
数年前までの「ベージュ」大理石ブームや、それ以前の「グレー」や「ピンク」大理石が流行り廃りで主役を降りて、今は世界中が「白い」大理石を求める傾向にあるようです。
そんな石の世界事情も、日本に居るだけではなかなかピンとこない事ですが、今回は少し先を見て石の手配もやってきました。
前回記載の那須岳トレッキングの後、那須湯本の温泉地上流にある『殺生石』という場所を訪ねました。
殺生石の由来は現地の看板に
「中国やインドで美しい女性に化けて悪行を重ねた九本のしっぽを持つ妖怪九尾の狐が、約800年前に日本に渡り、女官・玉藻の前として鳥羽天皇に仕えいたところを見破られ、那須に逃げ込んだ。
その後も領民や旅人に危害を加えた為、神様から授けられた矢で射られ石と化したが、この石が猛毒を吹き出し、あらゆる生き物を殺した」
という伝説があり、またここを訪ねた松尾芭蕉も
「殺生石は温泉(いずゆ)の出づゆ山陰(やまかげ)にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂、蝶のたぐひ真砂の色(=地面の砂の色)の見えぬほど重なり死す」
と記したように、硫黄のガスがこの石の付近から立ち上り、今でも寂寥としているところです。
このような風景は他の温泉地や観光地でもおよそ同じようなものであり、荒涼とした風景から思い起こされるのは、賽の河原や○○地獄、或いは湯の花畑などの名称があるのは草津温泉や恐山でも一緒でした。なんとなく既知感というか、初めて見るのに見たことがあるような感覚でした。
また、ここにはお一人の石彫家により制作された千体地蔵というのがあります。
石質は凝灰岩の一種地元那須町芦野地区で採掘される芦野石で出来ています。
制作者は櫛田豊さんといい、地元の石工さんです。
比較的加工のし易い軟らかい石ではありますが、それでもお一人の方が30年以上もかけて彫り続けているのは大変なことです。
でも、この地蔵さんたちは一般的なお地蔵さんとバランスが少し違いますよね。
これは合掌している手を大きく表わし、衆生の平安をより祈願するためだそうです。
30年ほど前から作り始め、平成23年現在で725体にまでなったとのことです。
早く名前の通り1千体のお地蔵さんが揃うといいですね。
その後、殺生石からすぐ下の、名湯「鹿の湯」に入浴してきました。
ここは、那須湯本温泉の源泉で、宿泊施設は無く、日帰り入浴だけですが、知る人ぞ知る名湯です。
理由は、白濁硫黄泉でPH2.4という強酸性もありますが、何より浴槽が6つ並んでいて、それぞれの浴槽を温度によって分けています。
41度の浴槽、42度、43度、44度、そして奥には46度と48度。
ほとんどの人が42度か43度のところに多く集まり、子供には41度の浴槽が人気です。
私も44度に入ってから、気合を入れて46度までは挑戦しました。
しかしながら、48度は断念、手を入れただけでも熱くて無理でしたが、なかなか意趣のある温泉浴場で、楽しく入ることが出来ました。
今年最初の運動不足解消・肥満防止・気分転換・世間見聞他たくさんの効果が期待できる(?)トレッキングのオープン戦は那須高原茶臼岳に挑みました。
一般には那須岳と言われますが、地図には那須岳という山はなく、茶臼岳がいわゆる那須の火山帯の中心であり、そこに連なる朝日岳や三本槍岳などの峰々の総称であり、このような例は八甲田山(八甲田山という単独の山は無い)や蔵王連峰(蔵王山という山も無い)にも見られ、一般的な呼び名と個々の山の名前が一致しないのはよくあることなのでしょう。
今年は冬に雪が多かったせいもあり、東北の山はまだ雪に埋もれていたので、南下すれば雪も無いだろうということで、那須岳(茶臼岳)初挑戦となりました。
ロープウェイを使うとかなり山頂には近くなりますが、今回は一周コースを目指し峠の茶屋から上りはじめ、朝日岳登山の分かれ道にある避難小屋を経由して茶臼岳頂上、下りにロープウェイを利用し、駐車場から峠の茶屋に戻るルートでスタートしました。
雪が無いだろうとの想いと違い、峠の茶屋からは暫し雪中行軍、しかも半年振りのトレッキングで基礎体力も充分でなく、地図に書いてある標準歩行時間よりはるかに時間をかけて頂上までたどり着きました。
途中山頂が近くなると、今でも活動している火山らしく硫黄の臭いや、草木の生えない荒涼とした岩肌の風景が続きました。
特に初めて見る形状の石があり『石のことば』に載せようと思い写真 (ひび割れのある石)を撮りました。(このコラムはあくまで「石」が主役ですが、最近の傾向で半分旅行記か登山記になりかねないので)
これは石の表面に溜まった水が凍結してひび割れを起こし、それが何回も何年も何百年も繰り返されることによって、亀の甲羅の模様のような石が出来たんだと思います。
石質的にはおそらく玄武岩かと思われ、比較的硬い石質ではありますが、はく離や一方方向へのひび割れには弱いところもある石です。
とは言え、硬い石をここまで変化させる自然の力はやはりすごいものです。
そこから頂上はほんの先、写真 の誰かが磔のように手を広げているのが茶臼岳頂上です。
そして頂上には、白御影石産の那須岳神社のヤシロ(通常は氏神様用に使う石のヤシロ)と同じく御影石のお賽銭箱。
んーーむ、登頂記念にお賽銭は投げ入れたものの、この小銭はどうやって回収するのだろうなんて余計なことを考えながら、下りの道へと進路を移しました。
2月4日(土)5日(日)と松島かき祭りがありました。
今まで地元ではあってもなかなか混雑するかき祭りに行くことはなく(牡蠣が食べたい時にはいつでも食べられるせいもあり)毎回開催は知っていても内容や雰囲気はまったく知りませんでした。
今回は厳冬のせいで運動不足になり、若干体重も増え、アルコールの量も増加傾向の3悪の反省で、万歩計持参で歩きで参加してきました。
4日はあいにくの雪模様で、前日までの大雪と合わせ人も少なかったようですが、5日は歩きにも、イベントや試食の列にもちょうど良いお天気でそれなりの人出があったようです。(写真1)
無料の牡蠣鍋に並ぶ列、同じく殻焼きの無料試食の他に、有料のカキフライや牡蠣鍋、殻付牡蠣の販売、焼牡蠣の1,500円食べ放題コーナー等々なかなかの賑わいでした。
私はカキフライと牡蠣鍋、そして牡蠣ごはんをフーフー言いながら、雪をかぶった松の木の下で、立ったまま美味しくいただいてきました。
(せっかくの歩きもカロリー摂取の方がメインになってしまいましたが。)
ところで、このコラムは旅案内や食べ物案内ではないので(友人からは旅行記だと、からかわれていますが)本来の石の話をしたいと思います。
牡蠣は英語でオイスターですが、石にもオイスターパールというのがあります。
日本では比較的新しく流通されるようになった石で、原産地はインド東部のオリッサです。
ちょうど牡蠣殻状の大きさと色合いの模様を持つグレー系の御影石で最近流行の大型ビルの石工事に使われます。(写真2)
東京では港区のJT本社ビルや品川駅港南口のインターシティ、仙台では高層ビルとなった東北電力本社ビル(写真3)などが、オイスターパールの施工例です。
小さい見本石では派手な模様に感じますが、大きな面積に使うと、色合いも模様の主張もそこそこに建物に良くマッチし好い雰囲気の石です。
近くをお通りの際には是非見てください。
ところで、同じくオイスターパールという名称は、真珠作りにもこの言葉があるようです。
本来は阿古屋貝などを母体として綺麗な真珠が生まれるらしいですが、たまに天然の牡蠣からも真珠が出来ることがあり、その真珠をオイスターパールと称するそうです。
業界は違えど名称が同じで何か親近感を感じます。
宝石好きの女性なら真珠のオイスターパールの方が断然関心度と親近感は違うでしょうが。
つい最近ですが、大学以来の友人に誘われ、山歩き(流行語ではトレッキング、又は山ガール・山ボーイ?)を始めました。
今まで健康維持や脂肪燃焼のため、ウォーキングや散歩と称して、近所の公園とか遊歩道を歩く事はよく有りましたが、本格的(?)に大自然の中の山を歩くのはほんの1・2回の経験しかないなか、歩いた後の温泉とビールの美味さに魅了され、今年は既に数ヶ所の山に挑みました。
初めはもちろん初心者用に穏かな起伏で楽に歩けるコースを選択してもらい、ただ付いて歩くという気楽なものです。
八幡平山頂の周遊から始まり、次は裏磐梯五色沼の回遊、秋の紅葉シーズンには安達太良山頂に挑みました。それらは全て近辺に有名な温泉地があり、大抵はその後ゆっくりと温まり、足腰の疲れを癒してきました。
今シーズン最後のトレッキングは、宮城と山形にまたがる蔵王に行ってきました。
下から登ったのでは体力も時間も間に合わないので、まずはロープウエイ二つ乗り継ぎで蔵王山頂駅まで。
そこで蔵王地蔵尊に面会し、すぐ目の前の地蔵山山頂(1,736m)、有名なお釜を見ながら次は刈田岳山頂(1,758m)、そこから引き返し次は熊野岳山頂(1,841m)と3つの頂きを制覇(実はほとんど高低差無くそんなにきつくはない)しました。
そこからはひたすら下りでいろは沼、観松平(かんしょうだいら)を経過して樹氷高原駅に辿り着き、最後もロープウエイ一つを利用し、出発地に戻りました。
休憩時間も含め、約6時間、歩数は2万2千歩にもなりました。
この蔵王周辺では蔵王石と呼ばれる安山岩系の墓石・庭石用材が採れます。
随分下ってかなり疲れてきた又兵衛平(またべいだいら)で見つけたのが、斉藤茂吉の歌碑でしたが、これも蔵王石で出来ていました。さすがに郷土の人の歌碑には郷土の石だと、誰も気づかないだろう所に感心してきました。
ぐったり疲れたその後には、この日もやっぱり蔵王温泉の硫黄の匂いの乳白色の湯にゆっくり浸かり、今年のトレッキング最終を締めました。
当社山形県内ショールームの第1号店「まつしまメモリーランド山形店」をオープンしてから既に4年が経過しました。
その時の事は当コラム第24回と第26回に記載していますが、その後の4年間に山形県内第2号店「まつしまメモリーランド天童店」と生活石材ショールームの「ストーンライフ山形」を出店し、現在は山形県内3つの拠点で展開するようになりました。
これも山形エリアをはじめ各地の皆様からたくさんのご支援・ご支持があったからであり、改めてここに御礼を申し述べさせていただきます。
さて、その1号店の山形店の展示品も入替えの時期になり、また2号店の天童店と比べて敷地や建物が狭い事も有り、なかなか展示墓石が目立たないとの反省で、今回は外部展示の全面入替えと、内部展示は和型墓石を中心に室内スペースの半分の入替えをおこないました。
墓石に流行があるかと問われれば、それほど大きな変更は無いものの、石色の好みの変化や、デザインの変化、施工方法や耐震の技術向上などでやはり数年単位では変化しております。
また、家族構成や墓地の広さの変化など社会的な要因も、墓石デザインの変化につながってきます。
今回は特に、外部駐車場の場所を入替えて、外からよく見える道路側に、先端的な提案としてのニューデザイン墓石や伝統的な五輪塔墓石を配置し、通りすがりの人にも墓石デザインの傾向を見ていただけるようにしました。
また、外部の駐車場には街灯とは別に、創作灯篭や石灯りを設置し、夕方からは外部展示場を柔らかく包みます。
内部も大きく変えて、床は段差をなくして石のスロープに、また無機質だった正面裏の壁面を総鏡貼りにして展示品が全方向から見え、更には展示場の奥行きを広く見せる工夫をしました。
圧巻は横一列につなげた和型墓石の4セット連続展示です。
ここさえ見て頂ければ、和型墓石のほとんどのバリエーションを一見で理解していただける展示になっております。
一・二度いらしていただいたお客様も、是非また新しくリフォームした「まつしまメモリーランド山形店」にいらしてください。もちろんまだいらしていないお客様もお気軽にお出でください。
店長以下全員でお待ち申し上げております。
先月の台風15号の通過で、近畿東海では集中豪雨による被害が発生し、また都内では強風により街路樹が倒れたり、日本列島を縦断しながら各地に爪痕を残していきました。
9月21日、初めはしとしと振り出した雨でしたが、午後からは本格的に傘が必要になり、夕方には強い雨へとかわりました。
夜には台風が直撃する進路に当たるため、早めに業務を切り上げ帰宅しました。
夕方から本格的に降りだした強い雨はひと時も休むことなく大地に向かって降り注ぎました。
夜11時頃になり、会社周辺冠水の緊急連絡を受けましたが、駐車場に停めてある社用車移動と電気関係のシャットダウン等の処理の報告を受け、それ以上の被害は連想しませんでした。
ところが午前0時をまわった頃、再度緊急の連絡があり、会社周辺は腰の高さまで水が溜まり、会社に入れない状態との事。
差し当たりの追加処置だけ手配し後は朝を待つしか有りませんでした。
翌日明け方(22日)雨は何とか上がり、水も大分引いたので、会社に向かいました。
松島駅前の幹線道路が冠水で車は通れず、会社に入ったところ1階の食堂兼社員休憩室は浅いプール状態、同じく1階の物置・資材置き場も冠水痕がしっかり残り、資材は水浸しでした。
幸いにして、事務所機能やPCサーバーなど全て2階にあったため、業務上の被害はほとんど無かったものの、3・11では津波被害に会わなかったのに、25年前の8・5豪雨(1986年、昭和61年)と全く同じ被害を受けてしまいました。
その時も腰高までの冠水で梱包資材などと車1台を駄目にしましたが、今回も全く同じ被害状況です。
元々本社周辺は、川や水路より低い土地で、8・5豪雨後は、近くの排水設備を更新し、ここ25年は何事も無かったのですが、今回は上手く機能しなかったようです。
「災害は何度でも繰り返す」
やはり常に気を弛めてはいけないものですね。
当日(22日)は何としても東京に行く用事がありましたが、仙台までの在来線は全て運休、やむなく車で駅まで向かいました。
仙台駅は本来なら通勤客でごった返す朝の7時過ぎに、全く人が居ない事にびっくり。
それでも新幹線だけは何事も無かったように東京まで定刻で連れて行ってくれました。
新幹線に感謝です。
今回は特別天然記念物に指定されている北投石について書きたいと思います。
北投石と言うのは岩石の分類ではなく、鉱物の種類との事です。
???って感じでしょうか?
簡単に言うと、岩石(石)は通常たくさんの鉱物の集合であり、均一の物では有りません。墓石などに使う花崗岩(岩石)は石英(鉱物)・長石(鉱物)・黒雲母(鉱物)などの集合体であり、鉱物単体で出てくればダイヤモンドや水晶など高価な宝石として扱われることが多くなります。
北投石は見かけは玄武岩(岩石)や安山岩(岩石)のように見えますが、世界で二箇所しか取れない稀な鉱物との事です。
産出されるもう一箇所は名前の由来となった台湾の北投地区だそうで、発見したのは当時台湾総督府があったことから日本人博士のようです。
この石(?)、否、この鉱物の珍しいのはそれだけでなく、放射性のラジウムを強烈に含んでいる事です。
原発問題では放射性セシウムや放射性ヨウ素が大問題になっていますが、ここのラジウムは微量・定量であり、同じ地下から湧き出る日本一の強酸性温泉(PH1.2でピリピリします)と合わせ、低放射線ホルミシス治療により病気が治る温泉として人気を博す事になりました。
秋田県仙北市の田沢湖に近い所にある玉川温泉がその場所です。
湯畑のある玉川温泉を源流に向かい5分ほど登った所には、雨でも岩盤浴が出来るテント風温浴所が3つ有り、そこは既に人でいっぱい、その先の露天岩盤にも茣蓙を持参した人たちの岩盤浴が所狭しと広がり、一汗かいた後は源泉100%の強酸湯に体を浸し、湯治宿で長く滞在する方も多いようです。
私も源泉100%と50%の強酸湯、さらには弱酸性の湯、ぬる湯、蒸気浴など堪能し、体のサビ落しをしてきました。
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