

HOME > 社長コラム 石のことば
そろそろ前々回の宿題の答えを出さないといけないかと思います。
確認のために再度皆さんからの質問を書いておきます。
質問1・「なぜ山形市なの?」
質問2・「山形の墓石市場はどうなの?」
それに対する私の考えを述べていきましょう。
「なぜ山形市なの?」
前々回コラムでも触れましたが、今まで仙台圏を中心に既存6店舗体制でやっておりましたが、次の店舗を何処にするかは大きな経営課題でした。
事業部の各責任者に次の候補地を聞き出したところ、
A案:仙台から東方面の候補地・・・石巻市
B案:仙台から北方面の候補地・・・大崎市(旧古川市)
C案:仙台から南方面の候補地・・・白石市、角田市
当然ながら当初案では上記の三案、宮城県内の主要都市を選ぶのが最も主流を占めていました。
正直私もその三案のどれかから選ぶのが順当であろうとは思いつつも、もう一つピンと来ない、乗り気にならない、という事がしばらく続きました。
ある時、何気なく日本地図を見ていると、宮城県地図だけを見ているときと違って、仙台から真西にも大きな都市が在る事に気づいたのです。(自分の気持ちとしてはコロンブスの新大陸発見くらいの感動でした)
D案:仙台から西方面の候補地・・・山形市
D案が浮上してから俄然見方が変わりました。
その西方面には山形市だけでなく、天童市・東根市・寒河江市・上山市・中山町・山辺町・・・と周辺の市町村もあります。
しかもA案からC案でも移動時間は1時間ほどかかりますが、県外であるD案でも同じく1時間ほどの距離です。
大きな意味での仙台経済圏を考えたら、これほど大きなマーケットはない、これぞ次の最適地。
「GO to The West」
そんな思いが先行し、実は次の二つ目の質問の答えを深く考えずに、取り組んだのがプロジェクト前半の時期でした。
後は毎度の事で、都市の成り立ちや店舗立地の最適場所の検討、担当人材の張付け、そしてタイミング。つまりは地・人・天、地の利と人の和と天の時を計ってのプロジェクト進行でした。
次は大事な第2の質問への答えですが、長くなってきましたので、その答えに関しては次回に持っていきたいと思います。
実はこの山形店開設準備の期間、プロジェクトメンバーが夜を徹して山形店のオープン準備をしている間に、私は少しだけ時間をもらって、8月下旬再々度のろうすくーる講師をしてきました。
一昨年のオープンスクール+パネルディスカッションで参加させてもらってから、昨年の講師そして今年度の講師と3回目のお付き合いです。
この老人(ろう)学校と法律(LAW)学校をあわせたような「遊老学校 宮城ろうすくーる」はNPO法人 エールが主催しています。
ここの校長先生 谷 さんとの関係で今回も講師となったのですが、今回は谷校長の要望で、講演主題を頂きまして、
「墓・埋葬・戒名を自分の希望で・・・」
という結構難儀な講座名・講座内容の希望でした。
確かに葬儀も、戒名も自分のやりたいように・・・、またお墓も埋葬も自分の自由で・・・というのは誰もが望み、誰もが考えることではありますが、本当にそれが可能なのか、また本人と家族、本人と社会、或いは慣習、法律はどうなっているのだろうか・・・そんな切り口から講演の内容を組み立ててみました。
資料として活用したのが「葬儀に関わる調査報告書」や「お寺の経済学」「お墓を上手に選ぶ知恵」といったものですが、ポイントは統計や一般論でなく、如何にして皆さん各個人が自分の身になって考えもらえるか?と言う事に注力しました。
資料には数値を記入せず、自分なら何処に○をつけるか、自分の考えは標準的なのか、変わっているのか等、みんなで考えながら進める楽しい講演を目指しました。
結果としては、生徒さん(大先輩ですが)達だけでなく、スタッフの方々も興味を引いたようで、あっという間に講演が終了しました。少し早く始めたのに若干時間を延長してしまいました。
その会場には、山形店準備から直行した事もあり、1時間の講演が終わったら直ぐにお暇しようと思っていたのですが、その後も質問が相次ぎ更に30分ほどの時間オーバーになってしまいました。
うまく私の意図するところが伝わってくれたかどうかは分かりませんが、改めてそんな事を考える機会をいただいたことに感謝いたします。
その時の資料を数字を入れて添付しておきました。
この資料は意外と面白いので、当社の来月の営業会議(10/1)で取り上げるつもりです。
ご興味のある方は、当社各店の営業担当者に言っていただければ、資料として分かるようにさせておきたいと思います。
当社の営業がどれだけきちんと会議を聞いているか確認の為にも、是非とも皆さんから質問してやってください。
きっといい刺激になると思いますので。
山形店出店の続きの話しは次回にさせていただきました。
2007年9月1日(土)に宮城県外で始めての店舗、「まつしまメモリーランド山形店」をオープンしました。
オープンセレモニーの挨拶でも述べさせて頂きましたが、今回の山形店出店に関しては会社の中からも、外からも、出会う人皆さんから次の2つの質問を言われました。
「なぜ山形市なの?」
「山形の墓石の市場はどうなの?」
その答えを述べる前に、出店の経緯を話したいと思います。
漠然と県外出店を考え始めたのは昨年からで、キッカケは多賀城店のオープンでした。
昨年11月多賀城に出店すると多賀城市・塩釜市・七ヶ浜町・利府町など新しい地域のお客様が大幅に増えましたが、逆に泉店や長町南店などの既存店では、それまで行かれていた多賀城近辺のお客様が当然のごとく減少すると思いきや、それ程変わらず以前のようにご来店されました。
意外に感じたのはお客様は思ったより広域的に動き、地元だけで買い物してるわけでなく、墓石などの特殊なものでも、良い店・良いサービスを求め広く県内全域を見て歩かれているということでした。
泉店には遠く県北や気仙沼方面からもお客様はいらっしゃいますし、長町南店には、白石市や大河原町の県南地区から、北松島店は石巻市や女川町などの沿岸地域からもお客様がご来店されます。
お客様の利便性や地域性を考えて、これまでの出店を計画してきましたが、きちんとしたお店づくりで信頼に応えられる店舗であれば、お客様は遠くからでもいらしてくれる、現状の県内6店舗体制でもかなりのエリアをカバーできるのではないだろうか?それならそのエリアを超える本当に遠い所に出店すべきか?どの位離れればいいのか?等の課題を持ちしばらく様子を見ておりました。
山形プロジェクトとして本格的に動き出したのは今年の春からです。
ここに至るまでには、本当にいつも思うことながら、その場その場での多くの人との出会いに助けられました。
いろんな事が都度出てきましたが、9月1日午前8時45分、御来賓の方々にお祝いをして頂きオープンいたしました。
あらためてここまで来れた事に感謝です。
ありがとうございました。
残念ながら今回は経緯だけで終わってしまいましたので、冒頭の2つの質問への答えは次回コラムで触れたいと思います。
イタリア石材業会にも何度と無く好不調の波は有ったでしょうが、近年の中国石材業界の台頭は、もっとも深刻な影響を及ぼしていたと思われます。
イタリアの石材産業の強さをこの中国との関係において少し述べていきたいと思います。
今からおよそ10年ほど前(1997年頃)、それまでみかげ石の世界市場を制していたイタリア石材業界にとって、中国のみかげ石の進出はアジア市場を奪われただけでなく、足元のヨーロッパ市場でも競合となる強力なライバル出現でした。
その当時あるイタリア人が、得意先のドイツの業者からの依頼で、中国石屋との見積もり競争をしました。当然ながらドイツの工事現場渡しの価格を提出してきた中国価格が、イタリアの工場原価にもならない、運賃は全く見ていないのか? 中国は重い石を魔法のじゅうたんか何かでただで運べるのかと、半ば真顔で聞いてきたりしていました。
それ程に価格の差の衝撃は大きく、イタリアにとって厳しい時代の始まりだったと思います。
それから5年ほど経って、イタリア国内でみかげ石しか取り扱っていなかった石材業者は、一部は倒産し、一部は縮小せざるを得なく、ほんの一部だけは逆に中国から安いみかげ石を輸入しヨーロッパに卸したりして食いつないだものの、その多くは企業存続に大きな変化を引き起こした憎い仇でした。
それからさらに5年ほど過ぎて、現在はどうでしょうか?
なんとその巨大な中国の石材業界を逆に得意先にしてしまいました。
中国は「大理石」の名称が中国雲南省大理から採れたことによる命名である事からもわかるように、たくさんの大理石が産出されていますが、管理の仕方や丁場の状況や運搬方法など多くの点でイタリアの大理石に大きく遅れをとっています。
そこに目をつけてイタリアの大理石業界が中国に大量に大理石の原石を供給しだしたのです。おそらくイタリアで採れる大理石原石の70% 80%は中国向けでしょう。(大理石製品や半製品はほとんど中国向けは無いが・・・)
それに関して面白い話があります。
イタリアの石の産地で東洋人を見ると
20年ほど前は「ジャポネ?」
15年ほど前から「コリア?(韓国人?)」
最近は「チネーゼ?(中国人?)」
と最初に聞かれます。
多くの検品員が滞在してますが、本当に最近は日本人と会うことが極めて少なくなりました。
さらにはまた、イタリアのみかげの会社も最近復活の兆しを見せています。
理由は、中国が輸出するのに不得意な所、地の利の無い所で積極的に販売網を広げている為です。
具体的にはロシアやウクライナ、ベラルーシの旧ソ連の国々、南米ボリビアやパラグアイ等中国の影響のほとんど無い所は、イタリアの独占市場です。
それからやはり、石の使い方のバリエーションの多さも、イタリアの強みでしょう。
石のマーケットの拡大と共に、素材の使い方、利用方法などやはりイタリアには歴史と強さを感じます。
写真1はお墓への使用です。「フィレンツェの教会内のミケランジェロのお墓」
写真2は家庭での使用です。「友人のマリオの家の台所、流しとキッチンカウンターが石です。」
写真3は広場での使用です。「ピエトラサンタの広場に建つ日本人彫刻家安田侃氏の大理石彫刻」
この3つは全て同じ産地の同じ石から出来ています。
今回は先月末(6月23日 29日)イタリアのCARRARA地区出張の件について書いていきます。
以前は最低でも1年に1度はイタリア、スペイン、ポルトガル等ヨーロッパの主要大理石産出国を訪れ、大理石の状況調査や商談・検品を行っていました。
ここ2,3年は輸入スタッフに代理で行って貰ったり、また国内建築需要の縮小やヨーロッパ通貨ユーロの高騰で控えてもいました。
今回は2004年6月以来3年ぶりの訪問でした。
CARRARAはトスカーナ州地中海沿岸にあり、斜塔で有名なPISAから30分程、観光地で有名なFIRENZEから約1時間ほどの、白い大理石を産出する石の街です。
そこではあのミケランジェロが彫刻用に掘り出した大理石の坑道も残されており、また古代ローマ時代のキリストが生まれる遥か昔からの石産業の歴史が続いているところです。日本の石屋のせいぜい100年、200年の歴史からすれば、桁が一つ違う1,000年、2,000年の知恵と伝統があります。
その数千年の間、そこから切り出された白い大理石は、その時代々々のもっとも豊かで、力があって、勢いのある国々の建造物の素材となって輸出され続けました。
古くはローマ・ペルシャ・フランク王国を始め、近代ではイギリス・フランス・スペイン・オランダに輸出し、近年ではアメリカや香港、日本もその主要な販売先でした。
1990年前後日本でバブルと呼ばれた頃には、イタリア人の目はアメリカを抜いて確かに日本に向けられていました。
高級な大理石を大量に購入し、当時の円とイタリアリラの通貨の強さの違いもあり、このエリアにも現地検品員として日本人がたくさん居た時代でした。
その後、アメリカの建築が一段落し、日本は最悪の不況下に陥り当時の主要販売先がみんな駄目になる中、イタリアの石屋さん達は、見事に乗り越えて活況を呈しています。
それこそが数千年の歴史の知恵と伝統なのだろうと思います。
その事は、次回で詳しく述べていきましょう。
写真 は、ここCARRARA地区で産出される石の一つ、アラベスカートコルキアの検品写真。
写真 は、珍しい化石(長いのは直角貝、丸いのはアンモナイト)の大理石です。約2億年前のものです。
カウンタートップや飾り壁、床材などに使えます。ご要望があれば各担当窓口店へお申し付け下さい。
今回は当社のテレビCMの事について書いていきたいと思います。
2007年現在、テレビで放映されているのは五作目のCMバージョンです。
一作目は1号店の泉店オープン時代、ご夫婦が広瀬川の河畔に向かい、夕日に照らされながら静かに微笑み合う、心落ち着く仕上がりのCMでした。
引き続き2号店オープン後は、そのご夫婦のモデル(役)と息子夫婦(役)に2人の孫(役)の6人が公園でブランコ遊びをし、リビングでくつろぐアットホームな出来映えが二作目です。
三作目は確か3号店の開店前後のバージョンだったと思います。
CMソングを全面的に打ち出し、歌のお姉さんと一緒に子供たちがメモリーランドの歌をうたい、公園の中シャボン玉で遊ぶシーンが印象的でした。
四作目は中山店オープン後です。
「ショールームという新しさ」
「墓石にもショールームスタイル」
「雨や風でも快適な展示場」
このような当社のコンセプトを打ち出すために、傘をさしたご夫婦が雨に打たれ雪に降られて来られても、ショールームに入った瞬間傘が消えて快適な室内が現れる。
この時のモデルさんは東京から来られた方でした。
今回六店舗になりCMの改変が必要になって考えたのは、大げさな言い方かもしれませんが、地域還元とか社会的使命(本当に大げさ過ぎて申し訳ありません)という言葉が頭の隅にありました。
今までは全てプロのモデルさんやタレント事務所の方に出演してもらっていました。
三作目の子供たちも子役事務所で歌唱力テストまでして選ばせて頂いたセミプロの子供たちです。
これを一般の子供さん方に開放してテレビに映る機会をあげたらどうだろうか、喜んで出てもらえないだろうか、別にモデルじゃなくても本当に普通の子達がテレビで歌ったらどうなんだろうか・・・
それからもう一つ、お墓参りや手を合わせるという習慣を、途切れる事無く次の世代に伝えていく、これは家庭だけでなく社会やわれわれ石屋も重要な責務を背負っている、そんな想いもあって、一般の子役キャラクター募集ということになりました。
小さな記事での募集でしたが、すさまじいばかりの反応で、10倍以上の応募があり、どの子たちも本当に甲乙つけ難かったのですが、六店舗をイメージして制作会社のほうで6人だけ選ばせていただきました。
今回選に漏れた方々には本当に申し訳なく思っています。
多くの人に機会を渡したいと思います。次回も企画しますのでこれに懲りずに応募してください。
そして出来たのが、現在の五作目の「墓石は心のふるさと」編です。
当ホームページのメディアギャリーに公開しております。
(合わせて三作目、四作目も公開中です。)
写真はオーディションの一コマです。
第1回のCAD立体図をご提案したところ、お母様からは
「まわりはシンプルに」「お掃除がしやすいように」
「屋根はもう少し厚く」「なだらかな曲線で」
「本体は少し明るく」「もうちょっと豪華に」・・・
と何回かのお打ち合わせでご本人のイメージもだんだんはっきりとしてきて、かなり具体的な図面を作ることができました。
しかしながら、その図面を見てまず驚いたのが屋根石の大きさです。
約2.5メートル×2.5メートル、厚みは40センチメートル。このままだと7トンもの重さです。
もちろん四角の石から上の分を削ったり、六角形に切ったりするので半分以下にはなるものの、それでも3 4トンの石が空中に浮く格好になります。
当社の墓石は、耐震工法で地震が来ても安心な施工を行っていますが、さすがに空中にそれだけのものを、そして安心して御参りできるようにするには、単純な工法ではだめだと改めてご依頼の難しさに頭を抱えてしまいました。
さらには、原石の採掘場でも(丁場と言います)、そんな巨大な石はほとんど出てこないし、また仮に採れたとしても、丁場から工場へ運べない、加工できない、コンテナに載せられない、無理にやっても費用が膨大になる・・・等々各担当者からダメだしをもらってしまいました。
「無理だよ」と親友を通じてお母さんに言ってしまおうかと何度も思いましたが、亡くなったお父さんの姿が目に浮かび、やれるところまで、可能な形でご提案しなおそうと各部門の調整をかけました。
幸い当社には、建築工事部があり、工事部の本部長も巻き込んで、重量物を支える強度計算、基礎・地中梁の構造計算、石と金属のダブル構造の柱・・・結局、耐震施工は全面的にビル建築の手法で可能である事を見出しました。
また、丁場は当社のアモイ事務所から、丁場オーナーに特別大きな原石を譲ってもらう約束をし、また中国の工場の社長には特殊な加工機と、それ以外は手加工でやってもらう話を取り付けました。
最後は海上を運ぶコンテナの大きさです。これはどうしても箱の大きさが決まっていて、また梱包して取り出す関係で船会社にも確認し、この条件下で積める最大の大きさ
「2,350×2,150×400、重量約2.8トン」
これならやれると言う確信を持って、再度設計し、ご提案という形になりました。
それでも念のため先に親友に来てもらい、本当に屋根付きで考えているか、お母さんには普通のお墓に戻してもらうよう説得しようか、と事前に相談し合ったものの、やはりお母様はお父さんと二人で話した思いが強く、親友も「母の思うように作ってやってくれ」との結論で、ご提案の通りで決定しました。
早速、当社工事部も含めた特別プロジェクトを開始し、また私も中国の工場に出向き始めて見る大きな原石を確認(写真1)、当社の総力を挙げた施工を完了し、お引渡しでお母様に満足いただいた当社自慢の屋根付きお墓が(写真2)です。
担当した社員、そして今回のプロジェクトに参加した全ての関係者が、お母様の想いを実現するお手伝いが出来たことに、心より感謝しています。
そしてその想いがまっすぐでとても強い事に、心が洗われるような清々しさを感じるのは、親友のご両親だからというだけでは無いと思います。
雨のあたらない屋根の下で永遠の眠りにつくお父様のご冥福をお祈りいたします。
今回はお墓の依頼とその想いについて述べたいと思います。
実は先日、高校時代からの親友のお父さんが亡くなりました。
高校時代はその彼の家に遊びに行ったりしていたので、お父さんにもお母さんにも大変お世話になりました。
また、ずっと後になって、まつしまメモリーランドの1号店を立ち上げたときに、店舗がご両親の家の近所ということもあって、そのお父様とお母様がオープンのお祝いに駆けつけてくれたこともありました。
その後もたまに店の方に遊びにいらして、「いづれ俺のお墓を頼むから・・・」と半分冗談でお話しされていました。
2月のある日、その親友から突然の電話でお父さんの亡くなったことを聞いて、弔問に駆けつけました。
ご葬儀は生前のご交流が広かった為、盛大でもあり又厳かな雰囲気のなか、心に残る式典でした。
それからしばらくしてお母さんが落ち着いたからと、墓石の話になりました。
実はお父さんが生前に、お母さんとこんなお墓がいいなと相談していたというのです。
お母さんからその要望を聞いて、今までに無い依頼だったので、これはちょっと大変かなと少し不安がよぎりました。
それはお墓に屋根をつけて、雨や雪で墓石が濡れない様にしたいとの事。
お二人が元気だった時に、中国に旅行して現地のお墓を見たら屋根がかかっていて、あんなのがいいなと話し合ったらしいのです。
また、お父さんはその後、お一人で図書館に行って、屋根付き墓石の資料や写真などを調べられたとの事でした。
日本にも沖縄タイプの家型墓石があるので、最初はそんな感じのお墓かなと資料をお母さんにお見せしたところ、そうじゃなくて中国で見たタイプで・・・とのご依頼でした。
中国には私も何度も訪問していますし、また当社のアモイ事務所に確認すれば、だいたいの事はわかるだろうと、簡単に次回訪問時CADの立体図面で提案することを約束しました。
写真(CAD立体図)はその時の第1回目のご提案図と当社の中国事務所で調べた中国の屋根付きお墓です。
しかしながら、その意に反して簡単に考えてお引き受けしたこのご提案が、当社の建築事業部や工事事業部、基礎外注工事業者、中国の提携工場まで巻き込んでの一大プロジェクトになる詳細は、このまま次回に続けさせて頂く事にします。
今回は我々が加入(参加)している石材業の組合について書きたいと思います。
現在、石材業者が全国組織として対等に集まっている大きな組合は二つあります。
(それ以外に石の卸業者がスポンサーになってる○○会や○○石、○○協力会等もありますが、それらは特定の企業を中心とした利害関係の強い特殊な組織と言えます。)
その全国組織の二つとは、一つは墓石業者約1,000社が加入している「日本石材産業協会」という団体です。
こちらは、2001前に日本全国の各種石材協会(10団体程)が大同団結して立ち上がった日本最大の石材組合です。
この組合で推進しているのが「お墓ディレクター制度」です。
この制度導入と同時に当社も関係者に受験してもらい、墓石に携わる社員全員が2級取得、その中から超難関の1級は9名も合格しています。
(2007年4月時点で、1級取得者は宮城県全体で11名しか居ません)
また、この組合の地震研究部会には当社の店長が地震研究委員として参加し、地震県宮城の貴重なデータを提供し実験にも参加しました。
当然ながら当社は「日本石材産業協会」の会員になっています。
もう一つの全国組織は「全国建築石材工業会」という、大理石など建築石材を取り扱う業者の組合です。
こちらは結成から55年間の歴史ある組織ですが、各社の営業範囲が広いせいか、1社が各県にわたって支店を展開してるせいか、加入企業数はは全国で100社ほどです。
(当社も本社と仙台支店、東京支店、アモイ事務所で登録しています。)
こちらで昨年から始めたのが、「建築石材アドバイザー」認証資格です。
これは多方面に亘る建築石材の真のプロフェッショナルを工業会として認証し、制度として位置づけたものです。
当社ではまずさしあたり、本社販売から2名、工事部仙台支店から2名の4名が受験し見事合格しました。
今後こちらの資格取得も建築関係の社員全員に展開していくつもりです。
私事ですが、この「全国建築石材工業会」では、数年前から常任理事を任され、毎月東京に出張し、本部にて常任理事会に参加しています。
自社の事だけでも体が回らないなか、組合の役員をやるのはやはり大変です。
各社の方針の違いや、利害関係などの違いで、協会をまとめるのは大変な仕事です。
任されているから云うわけではありませんが、このような協会の役員はほとんどボランティアです。
会社が生業としている業会のために、との思いが無いとなかなか勤まらない仕事だと思いますが、良かれと思うことも旧態依然の守旧的な考えが幅を利かせたり、反抗勢力があったりと役員間の舵取りに疲れることもあります。
当社は事業として「墓石」もあれば、「建築石材」もある関係で、この二つの組合に加入しているのですが、本当ならば「墓石」も「建築石材」も合わせて一つの大きな組合があれば、簡単なのにと思います。
おそらく一般の方々も、「石」の業会に「墓石」と「建築石材」の二派がある事には意外さを感じるでしょうが、実際にその両方に参加しているのは、当社を含めわずかに三、四社しかない状況では、当分はこの両方の組合に加入していないとならないのだろうと思います。
前回の話しの続きになります。
既述したように当社には事業部が複数あって、墓石部門(まつしまメモリーランド)や建築石工事部門(仙台支店、東京支店)それから建材商社の販売部門(本社)と製造部門(工場)或いは中国部門(アモイ事務所)などに分かれていて、お客様も違い取り扱い品も違い、それぞれがまるで別々な小(しょう)会社のような組織になっています。
各事業部は始業時間も違えば、休日や勤務の日もみんなバラバラで、同じ社内でも1年に1,2度しか会わない社員同志もいます。
人はそれぞれ考え方も違えば、趣味趣向も人生観もみんな違います。
それはもちろん当然のことですが、やはり同じ会社に集ったからには、少なくても大きな意味での方向性(ベクトル)くらいは合わないと、会社としての態をなさないと思います。
当社も事業単位(部門や店舗等)が12部所に分かれ、社員が75名になり、年齢層や国籍やもちろん性別も違えば、そのベクトルを合わせる事が非常に難しくなってきていました。
実はそんな悩みをしばらくの間持ち続けていて、何か方法がないか探していました。
そんな中、あるきっかけから、リッツカールトンホテルの経営理念「クレド」の事を知り、いろいろ調べているうちに実際に見てみたくなって、大阪梅田のリッツカートンに電話し、宿泊予約と同時に「クレド」を1部頂けるように交渉して泊まらせてもらいました。
余談となりますが、顧客満足度NO・1のホテルだけあって、その接客の良さは抜群で、その後3度も足を運ぶことになりました。もちろん1回目の時に約束どおり「クレド」の現物を頂きました。
その「クレド」リッツカートンベーシックを参考に、構想から約1年かけて製作したのが、松島産業経営理念「クレド(Credo)」です。
これを各会議や朝礼の時にそれぞれの部門で活用することによって、全く同じ或いはとても近いベクトルを共有できればと思い、昨年1月から使用を始めました。
現在ほぼ一廻りが終わりそうですが、理想の形になるのはこれからだと思っています。
新年度からは二廻り目を続けていこうと思っています。
なお、その他に「(感謝をこめて)ありがとうカード」と言うものも活用していますが、その話しはまたの機会に譲りましょう。
Copyright © 2015 matsushima memory land. All Rights Reserved.