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何事も続き時は続くようになっているのか、今回は講演や講師のお役目を受ける事が続きました。
地学研究会の石の講演、いきいきSUNクラブの終活の講演、そして今回は企業経営のお話を少しさせていただきました。
以前このコラムで記載しましたが、4年ほど前に上智大学で土曜日半日10回コースの一般人を対象としたエグゼクティブ・ビジネス・アカデミーという講座があり、その一期生として参加しました。
残念ながらその講座は第4回まで行われましたが、今は休止しているようです。
ところが第一期生である我々は、年齢や会社での立場や性格的に合ったのか、指導の教授を中心に10名全員が今でも交流を深め、折に触れて集まっています。
毎年のように、それぞれの会社や工場を訪問し、企業経営やビジネス環境を勉強しながらお互いに刺激を受け合う良い集まりとなっています。
今までも一流企業の工場の一般では見せてもらえない部分や、体験作業などを経験でき、貴重な研修が出来るよい企画がなされてきました。
今回はついにというか順番でというか、当社の番となり、私が幹事役を受けて土日二日間の研修行程を作らせていただきました。
メモリーランドの一番新しい店舗を見ていただき、次に墓石の工場、大理石の工場、ストックヤードなどを見ていただいてから、先ほど冒頭に述べた会社の現況や経営方針のお話などをさせていただきました。
よく、講演するにはかなりの準備が必要で、講演者自体がすごく勉強になる、と言われますが今回のわたくしもまったく同感で、その資料や話をまとめるために、普段はあまりしてこなかった会社経営の振り返りや、過去のデータや方針の歴史など自分自身にとって大変良い機会をいただきました。
終了後、ご参加の皆様からメール等でたくさん御礼を言っていただきましたが、こちらこそこのような機会を設けていただき感謝の念に堪えません。
夜は温泉と食事をともにし、夜更けるまで熱く経営を語り合う姿は、まさに企業戦士の皆様と感心ひとしおです。
次の日は被災地石巻の実情を見ていただくために、被害の最も大きかった石巻市門脇・南浜町付近を視察し、あわせて震災体験者の語り部の女性に当時の話などを聞き、こちらも感慨深い経験でした。
最後は松島石の出発地である瑞巌寺観光、松島湾遊覧船での島巡り、食事も初日の牛タン、翌日の穴子の刺身や鮨、牡蠣カレーパンなど地元を少しでもアピール出来たかなと思います。
よき仲間とよき酒とよき食べ物とよき話題、そしてよき景色を堪能した2日間でした。
東北の山は秋と冬の境があまり無く、日によって穏やかな秋晴れもあれば、時として厳しい冬日が隣り合わせていることがあります。
一昨年から始めたトレッキングも年中出来るわけもなく、冬山や雪山を避けて歩こうとすると、年のスタートは春というより初夏に近い5月の上旬で年の最終は10月末、やや天候を見ながらで11月初旬までといったところの半年の期間しかありません。
春先のトレッキング再開時期は冬の間の不摂生から体も重く体力もなく、なかなかしんどいのですが、逆に年の終わりごろの9月10月は気候も良いのと体も慣れて体力もついてきているのもあり、また紅葉や空気の透明度も良く、なるほど秋に山が渋滞する理由が最近理解できるようになりました。
秋はトレッキング上最高のシーズンではあります。
もう今年も店じまいしないといけないとは思いながらも、まだ登れるかと11月初旬に岩手県の八幡平に行きました。
下界は前日からの雨で朝までぐずついていたのですが、峠の駐車場に着くころには晴天、まさに秋晴れの良い天気。
無理をするつもりもなく、無理ならドライブでゆっくり回ってこようと思っていましたが、こんな青空ならと早速登り始めました。
登山口から15分ほど行ったところから、急激に曇り出し、どうしようかと思っている間に霰(あられ)が降りだし、次には5ミリほどの雹(ひょう)になり、あとは大きな粒の雪一面となりました。
一応常に雨具は入っていますので着用しましたが、その間登り始めて30分ほどの事です。
途中引き返すか、ここは回って戻るようなルートだったためそのまま行ったほうが結局近いのか、いろいろ考えましたが今回は半分を過ぎていると判断して回って戻りました。
考えてみると今年のトレッキングは、夏山の月山で頂上まであと少しというところで雷が鳴り、判断した結果そこで断念し下山しましたし、吾妻山でも大雨に出合って引き返しました。
山を目指すと、頂上までという欲も出ますし、あと少しならと油断も出ますが、山の師匠からは登山は下りて来るまでが大事であって登りや頂上が大事ではないです、と言われてたので、引き返す勇気を常に指導してもらっていました。
会社や仕事でも同じかもしれませんが、あと少しの無理をするか、ちょとっした背伸びで危険にならないか、次の行動を視野に入れた状況判断がとても大事だと感じます。
この日の下山中は雪に見舞われ、特に気温が低くて寒かったのですが、無事に駐車場に着くころにはまた天気も回復し、あらためて日が出てきたころには近くの紅葉がまさに見事で、雪に出合った恨みなどは充分に挽回できる良い景色を堪能できました。
不思議と続く時には連続するもので、久しぶりに地学研究会で講師依頼を受けて講演をさせていただきましたが、今回も久方ぶりのいきいきクラブの講演依頼がありお話をさせていただきました。
こちらのサークルは宮城県社会福祉協議会が主催している いきいきSUNクラブという集まりで、旅行に行ったり趣味の同好会があったり講演会やいきいき大学まである、シニアの方々のための活動をやられている団体です。
もともとは社員のお父さんのお仕事の関係から講演依頼があり、今回はその方の後輩にあたる事務局所長のご依頼にこたえたものでした。
今回の活動には定期的な会合として「いきいきSUNクラブ終活講座」という継続活動があったようですが、この度の講演は「終活講座番外編」と銘打って『当世お墓事情』を1時間半にわたってお話しさせていただきました。
「変わりつつある葬儀の現状」「多様化するお墓の現状」「想い入れのお墓つくり」「お墓は誰のためのもの」「最近のお墓の特徴」「お墓に向いている石」「家族の絆」などパワーポイントとDVDを利用しての講演に1時間10分ほど。あとは店舗から店長にも来てもらって実務的な質疑応答の時間を20分ほどとりました。
・夫婦が宗派違う場合にはどうすればいいの?
・はっきり言って金額はいくらくらいするの?
・いつ建てればいいの?工事期間はどのくらいかかるの?
・葬儀の事がわからないので詳しく教えて。
・会社のロゴになっている【磊】って何て読むの?
など、結構皆さん熱心に質問されて、最後まで時間いっぱいでした。
なかなかお店に来て質問するのは難しいのでしょうが、誰でも避けて通れず、いつかは考えないといけない、かといって相談する相手もいないという意味では、今回のような機会に疑問質問確認など、その一助となるようなら私もお話しさせていただいた意義があったのかと安心です。
何事にも行ってみないとわからない事や、現地で初めてわかる事などがたくさんあります。
今回は青森県鰺ヶ沢町を通った時に偶然見かけた『赤い靴の像』について書きたいと思います。
誰でも知っている事ですが、赤い靴は野口雨情作詞の童謡で以下のような歌詞が続きます。
赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに 連れられて 行っちゃった
横浜の はとばから 船に乗って 異人さんに 連れられて 行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える 異人さんに 逢うたび 考える
この歌をモチーフにした女の子の像は、当然その波止場である横浜の山下公園にある事は知っていましたが、なぜ偶然通りがかった青森県鰺ヶ沢町で赤い靴の像があるのか全く理解出来ないまま、写真だけは撮ってきました。
鰺ヶ沢町と云えば大相撲の舞の海関の出身地であり、相撲が有名なのは知っていましたが、その像の石碑にある赤い靴のモデルの父親の鈴木史郎という人の出身地である事、更にはその鈴木史郎さんてどんな人なのかも含め全く知らない事が記載されており、逆に興味を持つようになりました。
調べた事を非常に簡単にまとめると、静岡県出身の岩崎かよさんがお母さんで、その娘きみ(明治35年7月15日生まれ)が実在のモデル。岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り鰺ヶ沢出身の鈴木史郎と結婚。きみが3歳の時鈴木夫妻は北海道の開拓生活に入り、娘きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにした。
やがてヒュエット夫妻は本国に帰ることになるのだが、その時きみは結核に冒されておりアメリカに連れていくことが出来ず、東京麻布の孤児院に預けられ9歳で亡くなったという。
母かよ及び義父の鈴木史郎もきみはヒュエット夫妻と共にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、札幌で親交のあった野口雨情にその話をしたものという。
しかし実際には、かよは孤児院にいて母親に会うことも叶わず短い生涯を終えていた。
幸いにも母は生涯その事を知らず、アメリカに渡った娘を思っていたという。
そんな話がこの童謡の裏にあるとは本当に知らない事ばかりです。
また横浜と鰺ヶ沢の他に、赤い靴の女の子の像はアメリカカリフォルニア州サンディエゴ市、静岡県日本平市、東京都麻布十番、北海道留寿都村、北海道小樽市、北海道函館市とそれぞれその物語の登場人物にちなんだ各地にあるそうです。
鰺ヶ沢の家族3人の像は、中国産白御影の小たたき仕上げに、インド産赤御影の本磨きのアクセントで、なにか暖かい家の中の畳の上で3人が暮らしている(本当は無かった事だけれど)ほのかな雰囲気の像でした。
悲しい物語ですが、それを知りえたのも現地に行って興味を持ったからだと、つくづく感じました。
9月21日に6年振りとなる 地学ハイキングの勉強会が行われました。
これは県内の中学校及び高校の理科や地学の先生方が中心になって、小学生から中高生、一般の方まで含め地学や理科に興味のある方々の自主的な同好会であり、過去にも何回か当社の大理石工場や世界中から輸入した石材の勉強会ということで、番外編で当社会場で開催されてきました。
前回開催が6年前ということで久しぶりに再度当社にて行いたいとの依頼があり、一般の方にも石に対する興味や石材を身近に感じてもらえればと、喜んで引き受けさせていただきました。
今回の勉強会の初めが石のお話しということで、このコラムのような石の話しを3つさせていただきました。
3つにしたのは小学生から一般社会人そして理科の現役先生方までいらっしゃるので、話を簡単なものから少し難しいものや大人向けのものまで聞く方々に合わせる意味と、石・石・石の三つで当社のロゴになっている磊をかけた理由と、それから時間的な理由などで決めました。
当日の講演のレジメには
石は切れない!
石材の王様・石材の女王様
大理石とワインの美味しい関係
となっています。
お話しの内容は別な機会に述べますが、約50分の講演と10分の質問タイムも、50名ほどの皆さんの熱心な態度と真剣で的を得た質問であっという間の時間に感じられました。
楽しく聞いていただけてたら何よりです。
その後は大理石工場で、水で石を切る機械の実演見学や、アンモナイトや直角貝の化石の入った大理石の見学、そして最後に世界中から集まった石材の欠片(端材)の見本拾いと、好天の中賑やかな一日を過ごされて無事解散となりました。
石材の良さや特徴など興味関心を持っていただけたら、今回の何よりの収穫であったと思います。
今年は富士山の世界遺産登録で大変に盛り上がり、道路は帰省ラッシュ並みの混雑ぶりと富士山登頂に至ってはまるで行列の出来る有名店の如くに、人々が並んでいる映像が映されていました。
私はまだ登山での富士山は経験していませんが、いつかは登ってみたいと思っています。
さて、日本中が富士山の方を見つめている時に、ほとんど混み合わずに青森県から秋田県にかけて広がる白神山地を初めて訪れました。
実はこの白神山地は、1993年に屋久島と一緒に日本初の世界自然遺産に登録され、富士山よりも20年先輩に当たる、世界遺産登録ブームの先駆けとなった場所です。
白神山地内の最大のポイントは十二湖と云われる周辺でしょう。
そしていくつかのきれいな池や沼や湖を巡る中で究極の目的地は青池です。
写真の右と中央がその青池ですが、本当に青いです。
自然界であのような青さが出ることは、科学的にも解明されていないとの記載がありましたが、本当に驚くほどの青さです。
写真右は十二湖内で青池の次に人気のある沸壷の池です。
こちらもとってもきれいで、水底まで見通せる透明感があり、他とは比べられない水の色を湛えていますが、青池と比べると若干ですが緑がかっているかもしれません。
実は石材でも「青」と「緑」の色の問題があります。
石にもブルーやアズール、グリーンやベルデの文字を含んだ名前のものがたくさんありますが、青(ブルー・アズール)の色を冠した例えばブルーパール・ラベンダーブルー・アズールマカウバ等々の青は黒っぽかったりグレーだったり緑だったりで、決して青池のような「青」ではありません。
石材業界では、本当に「青」い石を見つけたら、億万長者になれるという言い伝えがあります。
自然石の中で青池のような青さの石はほとんど見たことがありません。
私の知っている中では唯一アズールバイアというブラジル産出の石だけが「青」と呼べるものです。
ただ残念ながら、真っ青でなく黒やグレーや茶も点在している石で、産出量も少なく通常の花崗岩の十数倍の金額になります。
かたや、緑(グリーン・ベルデ)の色を冠したものは、グリーンオニックス・蛇紋岩・ベルデフォンティン・オリーブグリーンなど、わりと緑色として一般に認識できる石が多いです。
産出量もそれほど極端に少なくは無く、一般的にはちょっと高級な価格帯に属している石が多いです。
青池と沸壷の池の違い、青と緑の違いから、青い石と緑の石の違いに至ったところで今回のコラムを終了します。
今回は青森県の日本海側 つがる市の南西にある深浦町 千畳敷海岸の事を書きたいと思います。
深浦町には有名な白神山地の登山口があり、十二湖やウェスパ椿山、或いは不老ふ死温泉など一度は名前を聞いたことがあるけど、でもなかなか行けない遠隔の地という印象のある場所です。
鰺ヶ沢町から南下し海岸線をドライブしていたら、何気なく目の前に広がる海が突然岩肌の露出になり、且つ日本海に向かって突き出す様は、まるで人工的に土地を整地したかのような、運動場よりも広い平坦な場所が見えてきました。
その地名は千畳敷海岸と言い、日本の夕陽百選のトップクラスに選ばれ、視界はただ日本海の水平線だけが見え、そこに突き出た岩肌の床だけが海との境を醸している何ともきれいな場所です。
でも千畳敷という地名は他でもよく耳にし、訪れたこともあるような気がします。
調べてみると日本には、たくさんの千畳敷という地名の場所があります。
中央アルプスの千畳敷、南紀白浜の千畳敷海岸、山口県長門市の千畳敷、また秩父長瀞の千畳敷きや、同じ東北にも岩手県三陸海岸の千畳敷、宮城県金華山の千畳敷など数え切れません。
もともとは畳を1,000枚敷いたほどの広い場所という意味でしょうが、畳千枚ということは、広さの換算で500坪(約1,700平方メートル) そのくらいの敷地や平らな場所なら都心はさておきちょっとした田舎ならいくらでも見つかるでしょうが、実際に千畳敷きといわれている所の広さはその数十倍の5ヘクタール10ヘクタールの規模の場所に命名されているようです。
万畳敷、億畳敷の広さの場所もあるのでしょうが、その命名は中国大陸やロシアの地名に譲りましょう。
多くの千畳敷様の地形は岩盤を氷河や海水に削られて出来たものですが、ここは200年ほど前に突然隆起してきたものとの説明がありました。
いずれにしても、自然が作る造形の美しさには驚きます。
2つ目の写真には太宰治の紀行文的自伝小説の「津軽」に金木、鰺ヶ沢などとともに、この千畳敷海岸を訪れて説明している文章を抜粋した記念碑です。
最後の写真は、なぜかいろいろな所で偶然出会う大町桂月の文学記念碑。
十和田湖畔や八甲田の蔦温泉、北海道の層雲峡など今までいろいろ訪れた場所にはなぜかこの人の記念石碑が残っています。
終生 酒と旅を愛し 温泉をこよなく愛でた姿は 各地で敬愛されて、記念碑として残されているのでしょうか。
また偶然どこか奥地の温泉や、秘境などで大町桂月の足跡を見つけるのも楽しい期待です。
よくテレビのニュースなどで、稲の種類違いの色を使って、田んぼに大きな絵を描く田んぼアートというのがあることは聞いて知っていましたが、今回ついででしたが近くを通ったので寄って見ることが出来ました。
場所は青森県津軽郡田舎館村大字田舎館の田舎館村庁舎(お城を模した建物)の最上階(天守閣)から見下ろす場所です。
今年の絵のモチーフは花魁とハリウッドスター(マリリンモンロー)とのことで、まだ十分に稲が育っていないにもかかわらず、しっかりとその陰影を写し出しており見事な芸術作品です。
下に降りてから直接人の目線で田んぼを見ても、そこに何が描かれてるのかはほとんど分からず、まるでナスカの地上絵のように、高い位置から見て初めてその全貌がわかりとても面白い企画だと感心しました。
他の地区の過疎化が進んだ農村でも、このような企画で注目を集め、地域の活性化をはかる手立てはたくさんあるような気がします。
ところで、このお城のような庁舎に登り、田んぼアートの反対側を見下ろすと、屋根部分にゴロゴロした丸石が屋根一面に敷き詰められて(置かれて)いまして、なんでだろう?と田んぼアート以上に関心を持ちました。
風の強い地域で、木造の平屋などの場合は、軽くて強風に飛ばされたり、風で屋根を巻き上げられたりしないように、石を屋根に載せる事があることは知っていましたが、この建物は鉄筋コンクリート(天守閣までは)6階建てのしっかりした建物です。重さを増すための理由でないことは確かです。
では、雨水の為か、屋上緑化の為か、或いは直射日光の遮熱対策か、いろいろ考えてもそのらしい回答とは思えず、庁舎の係りの若い人に聞いてみることにしました。
結果は「その昔、お城に攻めて来た敵に対して、鉄砲や弓矢でなく、石を投げて防いだことが記録にあり、それを真似して屋根に石を敷き詰めたと聞いています。」との事。
「でもここにはお城というより館のような平城があっただけなので、本当に敵が攻めてきてから屋根に上って石を投げたのですかね。」と本人の疑問とともに詳しく説明をしてもらいました。
いずれにしても、田舎館という地名、田んぼアート、お城の屋根の石となかなか面白い場所でした。
那須や日光周辺は、ちょっとした遠出のドライブと観光やレクリエーションを兼ねた、休日によく行くエリアです。
以前のコラムで那須岳トレッキングや殺生石、鹿の湯の事などを書きましたが、今回は那須平成の森の散歩(?)について記載します。
那須平成の森はとても新しい名称で、且つここに自由に入れるようになったのはつい2 3年前からの事のようです。
そもそもここは那須御用邸の敷地であったものを、現在の天皇(平成天皇)の在位20年を記念し、広く国民に活用してもらおうとの方針で、御用邸の敷地のうちの半分の560ヘクタール(半分でもすごい広さです)を宮内庁から環境省に移管され各種整備された後、平成23年5月に日光国立公園の一部として開園したものです。
園内にはビジターセンターもあり、たくさんの散策コースも整備され、また係りの人の自然散策ガイドツアーなども受け付けており、手つかずに残ってきた自然を満喫できる穴場スポットです。
今回はトレッキング仕様の重装備はせず、散歩程度で行けるコースを約1時間ほど回りましたが、途中にはさすがに那須だけあって、那須与一伝説の案内板と現物の紹介がありました。
かなつぼ石と言って那須与一の奥さんがお歯黒用に鉄漿を採集した石との記載です。
人の身長ほどの大きな石ですが、おそらく花崗岩系か閃緑岩系の石で、ちょうど上部に雨水が流れてきて溜まるようなくぼみがあり、石本来が含む鉄分や周辺の土壌に含まれる酸化鉄が溶け出して、鉄漿のような色になったものと思われますが、厳密にはこのまま使用してもお歯黒用には使えないと思いますが、伝説として言い伝えられた事が重要ですので、ここは深く突っ込みません。
しばらく歩いて上の駐車場には駒止の滝の展望台があり、暫し汗をぬぐいながら眺めていると、何やら手ぬぐいや日帰りのお風呂グッズを持った方々がその脇の、車が通れない小道を行ったり来たりしており、俄然興味が湧き出し付いて行くことにしました。
10分程の急な山道でしたが、下に着くとそこには突然、昔ながらの一軒家の温泉宿が見えました。
どこかで見たことのある、なんか懐かしいその玄関先、右手のまるでプールのようなとても大きな露天風呂、温泉の名前は北温泉。
んーむ、どっかで見たことがあると思ったら、映画テルマエロマエのロケ地でした。
上戸綾の実家ということでの設定で、確かに何度もスクリーンに出てきました。
知らずに行って偶然見つけたことが何ともうきうき楽しい気分です。
見知らぬ地で思わぬ物や人に出会うのは、驚きとともに楽しみであることが改めて実感した散歩コースでした。
私の楽しみの一つに読書があります。
特に好きな作家は司馬遼太郎で、歴史上の人物、特に二番手や正しい評価をされてこなかった、教科書では準主役クラスの実在の人物に光を当ててその人生を生き生きと描く歴史小説が大好きです。
「龍馬がゆく」「坂の上の雲」「国盗り物語」「燃えよ剣」から始まって「峠」「菜の花の沖」「世に棲む日々」「空海の風景」などタイトルのネーミングもとても好きです。
司馬作品には大きく2種類あって上記の歴史小説ジャンルと紀行文や随筆のタイプがありますが、歴史小説に関しては全種読んでしまい、本人が亡くなってからは新版も出ることなく二度目、三度目と読み返したりしています。紀行文もそれなりに面白いですが、そちらはなかなかのめり込んで読みふけるという状況にはなりません。
司馬遼太郎作品の歴史小説に代わる面白い作家はないかといろいろ読んでみていましたが、今回人に勧められて「海賊とよばれた男」を読みました。
戦前から戦後にかけての近代の話ですが、「石」ではなくて「石油」のお話で、出光興産の創業者の半歴史的小説です。後で調べると若干美化しすぎたところもあるようですが、私としては今までに知らなかった、過去の人の一生に光を当てるぴったりツボにはまる小説でした。
その流れで既に文庫版となってはいましたが、江戸時代の実在人物渋川春海(安井算哲)の暦の改編の小説「天地明察」も続けて読みました。
こちらはグループ会社で測量やGPS関連ソフトを扱っており、地上測量(緯度・経度)を行い、星や太陽の動きを実測と数学的(当時は和算)見地から実勢に合った暦を考案した話で、こちらも知らなかった事だらけでとても面白かったです。
さらには、もう一つのお気に入りジャンルの経済小説とのコラボで和民の創業者渡邊美樹の上場以後の後半部分「新青年社長」など実録的な小説も続けて読みました。
趣味に実益が揃えば何より良いのですが、最近は夜に読み耽っていると、若干の睡眠不足は実務にあまりいい影響がないので、少しペースを落とさなければ……とは思いながら読んでいます。
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