

HOME > 社長コラム 石のことば
今回は久々にワインの話をしたいと思います。
大事なワインは当然ながらワインセラーで保管していますが、2011年の3・11地震の時に、そのセラー自体が大きく動き、扉が開いて中のワインも一部飛び出してしまいました。
幸いにも割れたワインは数本で済みましたが、ラベルが汚れたり削れたりしたのもありました。
その後、セラーの中身は入れ替わって新しいのも増えましたが、その時の震災を越えたワイン達はなかなか開けられなくて、保管が続いているものもあります。
今回は、いくつかの並行したプロジェクトがあり、しばらく忙しい時間が続いておりまして、そのうちの何個かのプロジェクトの終結を見たので、次の取り組みの為にもここは「自分へのご褒美」のつもりで、あの震災越えのワイン達の中から1本を開けて飲むことにしました。
そのうちの一つがフランス ブルゴーニュの ニュイ・サン・ジョルジュ1990年です。(写真 )
隣の村があの有名なロマネ・コンティを産出するヴォーヌロマネ村で葡萄はピノノワール100%です。
飲み始めて、さすがにまろやかでコクがあり余韻も長く…、でもなんか期待ほどでは?と思っていたところ、開けたコルクをよーく見ると、なぜか2008の表記が???
ラベルには1990と間違いなく記載があるし???
いつ購入したのかもよく覚えていないのですが、アルミの封も間違いなくきっちりとしてあり、エチケット(ラベル)の貼り間違いか何かのミスか…、とにかく少しだけがっかりして飲み干しました。
何かすっきりしなかったので、思い切って次のワインを開けることにしました。
これこそまさに今の最高峰、フランス ボルドーのサン・テミリオンの格付けの頂点に立つワインで、以前のメドック5大シャトーよりも評価が高くなっているシャトー・シュバル・ブラン1993年です。(写真 )
葡萄はカベルネフランとメルローの混合。飲み頃は20年 30年となっておりまさに今が最高の時期。
これはさすがに開ける時には緊張もしましたが、こちらはコルクも間違くなく1993とあり「本物」間違い無し。(写真 )
味も香りも完成度は最高で、一気に飲み干すのが惜しくて、グラスを眺めては香りをかぎ、ゆっくり味わう至福の時間をもちました。
4月25日に当社にとって念願であった まつしまメモリーランド石巻店を お陰様をもちまして盛大に開店させていただきました。
当社にとって9店舗目となる石巻店ですが、実はこの構想自体はかなり以前から検討していたものでした。
4号店とか5号店の計画の時も必ず石巻店構想が立ち上がり、途中まで進捗はするもののどこかで中断し、今までは別なエリアへの出店が先行してきていました。
その理由はいくつかありますが、一つは良い立地との出会いがなかなか無かった事。
今までもいくらかの候補地が挙がり、可能性のある立地では交渉まで進んだものもありましたが、結局は土地との縁が実らなかった事。
さらにもう一つの理由には、この地区には石屋の街と言ってもいいほど、石材店が林立しており、地縁血縁でなかなかよそ者を受け入れてもらえない地域だろうと思われていた事。
現に、この地区のお客様で石屋さんが親戚だとか同級生だとかという方が多く、石の商売が厳しい地域であるのは間違いないところです。
そんな状況からか、石巻店の前に山形店がオープンしてますし、引き続き天童店、再度宮城に戻っても古川店オープンと、石巻をかわしてきたのが現状でした。
でも、常に石巻に出店したい気持ちがあり、今般、ご縁があって良い場所と良いショールームに出合い、またいろいろな地元の方々からの応援もあり、ようやく念願の石巻店オープンにこぎつけました。
実際のオープン日には、かつて無いほどの新規ご来店があり、石巻エリアの方々に受け入れていただいた実感が湧きました。
特にお話しさせていただいたご夫妻の言葉が印象的でした。
「実はうちの親戚にも石屋が居るし同級生にも石屋が居るけど、まつしまメモリーランドが地元に出てくれて一番に駆け付けた。お宅なら自分たちの想いを込めたお墓を作ってくれると思ったので。」
こんなありがたいお言葉は無いのですが、と同時にお客様の期待に絶対背いてはいけない、期待以上の努力を全社一丸で行わないといけないと、背筋の伸びる気持ちになりました。
石巻店オープンに合わせ、さらなるサービスの向上をお約束し、実行していきたいと思います。
山形県には全国的に知られた山がいくつかあります。
一つは最近噴火の危険性を言われている蔵王山(厳密には蔵王連峰)、それから単独峰で裾野の美しい鳥海山、そして神秘的な月山、当然ながら月山がでれば出羽三山と称される羽黒山、湯殿山など。
その月山ですが、雪が本当に多くて、冬の間は山頂登り口は閉鎖され、スキー場として開放されるのはなんと5月のゴールデンウイークから8月辺りまで。
いわゆる夏スキーの可能な限られた山です。
ここは麓よりも早く9月から10月初めに見事な紅葉で彩られ、まさに山歩きには最高の所です。
頂上には月山神社もあり、白装束の修験者の列と会うことも多いです。
ところが、冬は本当に雪が多くて月山中麓にある志津温泉という、すごい雰囲気のあるいい宿がたくさんあるところですが、行くのにとても苦労します。
ここは登り口ではなく、人家もあることから冬季間封鎖されているわけではないので、その温泉も1年を通して営業していますが、やはり雪の多さには客足も今ひとつといった時代が続いていたようです。
ところが、その雪の多さを逆転の発想として、『雪旅籠』なるイベントを地域全体で通協力して、雪の多い2月末から3月にかけて行ったところ、たくさんの観光客が集まり、旅館も商店も潤ってきたとの事。
いわゆる、かまくらや雪まつりの類ですが、雪で旅籠(旅館風の建物)を作り、ろうそくでライトアップし、その風情を楽しんでもらう。
まさに 雪の多さ=マイナス を プラスに変える逆転の考え。
そしてそれを徹底して全体で行動し続けた結果と思います。
何かいろいろな事につながる良い話だなと感心しながら、寒い雪の中楽しく見てきました。
ちなみに、志津温泉の中で私の好きな旅館は「変若水の湯」というサブタイトルが付く旅館ですが、これで何と読むか皆さんおわかりですか?
そのバンコクでの仏像ですが、とにかく民族的に黄金が好きなのか、金の仏像が圧倒的に多かったです。
巨大な涅槃仏のワット・ポーの黄金仏。
こちらは足の裏に文字や絵が描かれてあり、それを見ると御利益があるとの事で長い行列を作っています。
もう一つは大理石寺院の本尊仏で、こちらも黄金ですがいくらか日本的な感じのする姿かたちをしています。特にここの仏像には日本と同じように光背(光輪)があり、他の仏像とは少し違っていました。
床の大理石にも、黄色系や黄金色に見えるものが多用されており、やはり黄金色好きの民族なのでしょう。
もっとも世界中 黄金はみんな好きなのでしょうが。
尚、やはり宗教としての戒律と尊厳の為、寺院の中ではどこも靴を脱いで 裸足で入場させられるのは、日本のお寺と一緒でした。
タイのバンコクに行きました。
とにかく寺院が多く、まるで京都や奈良の市内観光と同じく、バンコク市内で観光する場所といえば、基本は寺院めぐりです。
大きな黄金の涅槃仏のあるワット・ポー(菩提寺)
王宮と同じ敷地にあるワット・プラケオ(エメラルド寺)
砂岩と陶器のかけらで作られた塔のあるワット・アルン(暁の寺)
どれもみな日本では見れないものでとにかく見とれました。
でも仕事柄気になったのは、やはり白大理石で全体を作ったワット・ベンチャマボーピット 発音が難しいので 通常 大理石寺院 といわれています。
イタリアのトスカーナ州 カッラーラ地区の白大理石の しかも 非常に材質の良い素材を使用しています。
寺院のなかに入る前に、しばし その大理石に見とれてしまいました。
柱はもちろん、石像も全てその白大理石で、床も石貼りです。
こんなお寺が日本にあったらなあと独り感心していました。
寒い季節の休日の楽しみは何と言っても あったかーい温泉と風呂上がりの生ビールを一気に飲み干すことです。
今回は名前は聞いたことがあるけど・・・行ったことが無かった温泉場を予約して行って見ました。
川治温泉 界川治 という最近リニューアルしたばかりの素敵な旅館です。
日光や鬼怒川、もう少し先の湯西川温泉なども泊まったことがありましたが、中途半端だったせいか川治温泉は初めて行きました。
温泉地によくある渓流沿いの昔は湯治場だったと思われる街道に沿ってホテルや旅館が並んでいます。
けっこうアップダウンのある山道をドライブしてようやくたどり着いて早速大浴場へ。
大きな花崗岩の自然石を配置した、湯量たっぷりの露天風呂はまさに極楽。
泉質も無色透明ではあっても含有成分のおかげで肌にも内臓にも効き、湯上りは次の目的の生ビールぐい飲みへ。
ロビーにてビールを飲み干して気づいたのは、大小二つの石臼が置いてあり、側には数種類の大豆や豆類が笊に分けてありました。
これはこのホテルのサービスで、自分で石臼を使って豆を挽き、きな粉にして楽しむ、豆の種類によって比較してみるイベントコーナーです。
よくよく見ると石臼は中国福建省産の御影石で、本磨きまでされておりなかなかの製品です。小さい方は子供用向けとありましたが、やはり石自体の重さが軽いせいか粉にするのは一苦労です。
石臼のポイントは、一つはその石自体の重量で潰していく関係もあり、ある程度の重さ大きさが重要です。
そしてもう一つのポイントは、挽き面の溝の形状です。
そば粉用、大豆用、コーヒー豆用など用途に合わせて、そして石臼の職人の技量や経験に合わせて全部溝の形状が違ってきます。
小さい方の石臼の溝形状を気になって見てみました。
大きい方と比べてみようと思いましたが、大きい方はひっくり返すのも持ち上げるのもおおごとになるので断念しました。どんな形状か比較したかったのですが残念でした。
でも、周りのお客さんにそんなことを考えている人は誰も他に居なくて、ひっくり返したりしたらびっくりされたでしょうから、やらなくてよかったんだと思います。
実は趣味の一つにワインがあり(造る方ではなく、単に飲むだけですが)、ワインに関して知りたいことや興味を満足させたくて、ソムリエ試験を受けたいと思っていました。
日本ワイン教会では、ソムリエ試験の受験資格を、お酒を提供するサービス業(飲食業)に従事する者と指定しており、業界関係者以外は無理かと思いがちですが、実はソムリエ資格と同じ試験内容で、お酒の販売業に従事する(いわゆる酒屋さんの為の)ワインアドバイザー資格、そしてソムリエでもワインアドバイザーでもない方(どちらも就業中である勤務証明が必要)には、ワイン好きが誰でも挑戦可能なワインエキスパートの3つの試験を同時に行っています。
試験問題はほぼ同じ、一次試験は70分間で130問のマークシート方式、二次試験は6種類のお酒(白ワイン2種、赤ワイン2種、リキュール2種)のブラインドテイスティング、日本全国一斉に行われ、なかなか合格の厳しい資格です。
今までいろいろと仕事上必要な資格や試験を受けてきていましたが、今回は全く仕事には役に立たないかもしれない、逆に試験勉強で睡眠不足になったり、二次試験対策で肝臓数値が上がったりしてマイナスになることの方が多いかもしれないとは覚悟しながらも、とにかく申し込みをして受験することにしました。
日本ソムリエ協会編纂の600ページに及ぶ教本、それだけでは持ち歩きが難しいのでそれをまとめた参考書、それから問題集とそれら3冊を毎晩半年ほど読み漁りました。
小さい文字に目は霞み、記憶力は薄れ、なかなか覚えられず大変でしたが、特に難しかったのが、ワイン名称が原語で書かれることで、フランス語読み・スペイン語読み・特にドイツ語読みの名前を記憶するのが難しく感じました。
それでも、8月の一次試験は何とか半分の中に入ったのか、一次合格のハガキが来てそこからがまた大変。
9月の二次試験までに、世界中のありとあらゆるワインの中から(とは言っても定番も必ず入っていますが)ブドウ品種、国名、年度、そして色合いや香りの表現など、次は鼻と舌と肝臓との強化月間でした。
こちらはこちらで結構大変、特に今まで好きな種類のワインしか飲んでこなかったこともあり、自分にとって美味しくないワインも飲んで覚えなくてはならず、試験終了直後には数日間ワインを見るのも嫌になっていました。
でも、こちらもさらに半分の中に入ったのか、何とか合格することが出来ました。二次試験会場でふっと周りを見るとおそらく私が最高齢だと思いますし、またあとで聞くと試験の為にスクールも有るとの事ですが、よく独学だけで合格できたと思いました。
そして、先月金色に輝く葡萄のバッジが家に届いて・・・・、でもなかなかこのバッジを付けて出掛けられませんけどね。
山形県の日本海側に城下町として栄えた鶴岡市があります。
その近郊の温泉地として海岸線に沿って温泉宿がある鶴岡湯野浜温泉街があります。
この度、設計者と建設会社両者のご縁で、湯野浜にある老舗旅館、愉海亭みやじまさんの石工事を当社建築石材工事部門のストーンライフでやらせていただきました。
先方の社長さんから、石の大浴場が大変好評で、リピーターからもたくさん誉められているとのお話があり、私も個人的に泊まらせていただくことにしました。
湯野浜温泉街は海に面して並んでいるとはいえ、砂浜に面した車道の山側(内側)に旅館が建っておりすぐ下に海があるという訳にはなりませんが、こちらの愉海亭みやじまさんだけが車道の海側(外側)に旅館が建っており、本当に砂浜の中にホテルがあるような気がします。
そのような立地を生かすべく、今回海側の砂浜に突き出た2階部分を大改修して、男女大浴場を作られました。
その浴槽の床や笠石、洗い場の床や腰壁、シャンプーなど置くカラン台やパーテーションこれら全てを当社の御影石(黒と薄いグレー)で新装していただきました。
新しく綺麗で、調和がとれており、湯の柔らかさと、眼の前の波打ち際の景色と、そして石の肌触りと、すべてが気持ちよく確かに印象に残る温泉です。
湯上りは、日本海に沈む夕日を見ながら、サービスのワインを頂き大満足で夕食会場に向かいましたら、もう一つサプライズが。
それはこちらの旅館のオリジナル料理の一つ、ワッパ煮という料理で、桶に入った熱く熱した「石」に新鮮な魚や野菜を当てて、瞬間に目の前で調理してくれるサービスでした。
動作も美しく、目の前で料理長が調理してくれるのですが、実はこの時先方の社長さんより差し入れ頂いた鶴岡の亀の井酒造の銘酒「くどき上手大吟醸」を堪能しすぎて、あまりワッパ煮の味を覚えていないのがとても残念です。
銘酒とワッパ煮、もう一度再チャレンジです。
アジア隣国との石材貿易には、一つの流れのようなものがあります。
今から40年ほど前、昭和50年前後には、外国産といえば台湾の石を一般的にはさしていました。台湾で採れる白い大理石や緑色の蛇紋岩、庭石用の安山岩や玄武岩などたくさんの石が日本に輸入されてきていました。
それから10年ほどで、韓国の御影石が輸入できるようになり、原材料から加工品への流れの中で約10年程主役の座にありました。
そしてさらに10年後、ご存じのように中国からの輸入が大勢を占め、且つその流れは今まで20年程も続いています。
今後、ベトナムとかミャンマーとか言われていますが果たしてどうなるのかわからないところです。
さてそんな中、今回は十数年振りに台湾に行く機会がありました。
私の中では石材の供給先としては過去の事とのイメージですが、さすがに世界的な大理石の産地です。
その迫力を感じた建物は圧巻でした。
それはかつては中正記念堂といわれ、今は国立台湾民主記念館と改名した蒋介石を記念した博物館のような顕彰建築です。(蒋介石の本名 蒋中正からとった名前だそうです)
ここは、外壁も全て、中の壁も全て、白い大理石「台湾白」で出来ています。
これは台湾北部東側の花蓮という町から産出する、世界的に有名な白大理石です。
世界的産地としてもっとも有名なイタリアカッラーラのビアンコの他には、アメリカのバーモント州,ジョージア州,ユーゴスラビアのマケドニア等白大理石の有名産地がありますが、アジアではこの台湾花蓮の白と中国四川省やベトナムのハノイ周辺などにあります。
ついでに言うと、日本の白大理石産地では〈霰(あられ)〉と呼ばれる山口県美弥市産のもの(秋吉大理石)や,〈寒水〉と呼ばれる茨城県常陸太田市産のもの(寒水石)がありますが,いずれも上記の産地と比べると量的・質的には全く歯が立ちません。
いずれにしても、この蒋介石記念館の石の量と質に驚愕した、久しぶりの台湾紀行でした。
ちなみに最後の写真は、一時間ごとに交代する衛兵交代のその瞬間です。
最近気分転換兼運動を兼ねた趣味としているトレッキングですが、実は大した事をしているわけでなく、登山と温泉などという本を参考に、まずは登山の難易度ランクの一番初級で且つ体力度技術度の最も低い山を選んで登っているのが実情で、下山してからの温泉と生ビールの為にやっているのが本当のところです。
ところが今回は、今まで登ったことのない高さ、普段は1,000メートル台の頂上で、ほんのたまに2,000メートルちょっとの山も経験はありましたが、初めての3,000メートル級のトレッキングに挑戦しました。
乗鞍連峰と称して、またまた単独の山の名称ではなく飛騨山脈(北アルプス)南部の長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる剣ヶ峰(標高3,026m)を主峰とする山々の総称です。
山頂部のカルデラを構成する最高峰でもっとも有名な剣ヶ峰、朝日岳などの8峰を含め、摩利支天岳、富士見岳など乗鞍23峰といわれる23の峰(山頂)があり、広大な裾野が広がる晴れていれば最高に景色の良いところです。
晴れていればといったのは、さすがに3,000メートルは雲も下に見るような場所だけに、ある説では1年のうち晴れているのは3分の1とも、2分の1とも言われる、なかなか雲が抜けない、晴れていることが珍しい山の一つだそうです。
今回はさすがに過去最高峰で、空気の薄さの心配や、体力・脚力の心配などあり、事前に準備して何度か他の山で体力作りをしてから臨みました。
ただ心配なのはお天気で、こればかりは何ともできませんが、幸いにして登っている間は雨に当たらず、(少し遅れて登ってきた人たちは下の方で雨に当たったそうですが)下山してからもすぐに雨がありましたが、何とか濡れることなく行けたのは本当にラッキーでした。
と、いうように書くときっとまた誤解される方もいるので、裏話を言うと、実はここもその本によれば難易度初級で体力度1技術度1のランクで行ける山です。
写真 の標高2,700メートル程の畳平という場所までバスが走っていて(自家用車は規制で入れません)そこから約2時間ほどで写真 の剣ヶ峰山頂に着きます。確かに空気が薄くてキツイ部分はありますが、近郊の中学生の修学旅行や遠足のコースでもあり、誰でも登れる身近な3,000メートルのようです。
尚写真 は松本城から見た乗鞍の連峰です。(中央奥の馬の背中のようにこぶが並んでいる所です。)
やはり、長野県を中心とする日本の尾根の山々はすごいです。
Copyright © 2015 matsushima memory land. All Rights Reserved.