社長コラム 石のことば
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2022/03/08
第197回 「出雲の名物」

 引き続いて出雲の話をしたいと思います。

 やはり何といっても「いずも」と言ったら出雲大社を一番に思い起こすのは、食べ物好きもさることながら歴史好きのなせる業でしょうか。

 平安時代の書に「口遊(くちすさみ)」というものがあり、そこに「雲太和二京三(うんた・わに・きょうさん)」と記載されているものがあります。

 当時の建築物の高さの順番を書いたものと言われています。

 雲太とは出雲大社の事でそれが一番、和二は奈良(大和)の東大寺大仏殿で二番、京三は京都平安京の太極殿とのことです。

 出雲大社の高さは上古(伝説上の大昔)には32丈(約96メートル)、中古(この平安時代前後)は16丈(約48メートル)、そして今の世(江戸時代)は8丈(24メートル)だったと、国学者の本居宣長が本に残しています。

 口遊に書かれた平安時代には、東大寺大仏殿の高さがおよそ45メートルだったとの確証があるので、それが第2位なら1位の出雲大社が48メートルというのは肯ける話です。

 でも、当時そんなに高い建築物を建てることが可能だったのかと、長いこと疑問視されてきていましたが、近年西暦2000年になって中古の時代の出雲大社の柱跡が見つかり、その可能性が急に現実のものとなりました。

 それは直径4~6メートルの円で掘り込んだ地面に礎石を置いてその上に3本の木の柱を金属の輪でまとめてそれを何10本も基礎となし、長い回廊階段の上に本殿を安置していたという事までわかり、復元模型も造られる事になりました。

 それが現代になってわかったのも、礎石となって柱を支えた石材のおかげというのが、石という素材の恒久性ですね。

 柱としての木材はいずれ朽ちてしまいますが、直接土に埋めてしまっては水分を吸い上げる為、木の耐用年数を長くする目的だった礎石が、柱が無くなってもそのまま歴史とともに残り、今に続く証言者になっています。

 これだけの巨大な神殿で祖先を祀ったのも、他に類を見ない国譲りの歴史があり、太古の出雲族、出雲国は国内に於ける特別な存在だったのかもしれません。


 出雲というキーワードで歴史好きの私には、もう一つだけ頭に浮かぶものがあり、最後に記載します。

 「出雲阿国」

 そしてその阿国の墓と伝えられる墓所です。

 なんと、その外柵(お墓の周りの外構)はあの来待石(出雲石)のように見えます。

 やはり歴史と石はつながります。
 

2022/02/28
第196回 「出雲の石文化」

  最近、仕事で山陰に行く機会が多くなっていました。

 山陰への入り方は電車の場合は岡山から「やくも」という特急があり、新幹線を乗り継いでやくもで行く方法もありますし、広島側からシャトルバスで松江方面に入る方法もあります。

しかしながらどちらも、かなり時間がかかるので基本的には飛行機を利用しています。

 山陰の空港は鳥取空港、米子空港、石見空港と結構利便性はあるのですが、もう一つ(マイナー?)な空港ですが、出雲大社観光には最適な出雲空港があります。

 出雲というとやっぱり出雲大社が誰でも思い浮かべる第1位と思いますが、その他にも出雲そばや宍道湖のシジミ、しまね和牛など全国的にも有名な物品も多くあります。

 
 そんな出雲ですが、石屋の職歴が長い私は、出雲軟石を思い起こしてしまいます。

 正式な名称は松江市宍道町周辺で採れる「凝灰質砂岩」の来待石(きまちいし)です。

 こちらは面白い来歴の石で、本来は火山岩系の柔らかい凝灰岩が基になっていますが、その火山灰がそのまま固まらず(そのまま固まると凝灰岩)浅い海の中に堆積して砂と一緒に固まったものです。

それ故に非常に柔らかく、加工がし易いことから、出雲大社の大昔から古墳の中の石棺を作ったり様々な石像なども加工されてきていました。

 どれだけ柔らかいかというと、その採掘場(丁場)の写真を見ると一目瞭然、大型の機械が無い時代でもこんなに真直ぐに丁場を掘り進むことができるのは、まるで豆腐を切るような感じで採掘できた証です。

 近年には灯篭や庭園用の石、寺社用の狛犬など細工の楽さ(硬い御影石と比較しての事ですが)で日本全国に供給していた時代がありました。

 私も業界に入った40年近く前に、当社が「建築石材」「墓石」と「造園石材」の3本柱で業務を行っていた関係で、その来待石の灯篭=出雲灯篭の形と名称を必死に覚えた思い出があります。

 今でも記憶だけで「春日灯篭」「雪見灯篭」「利休型」「みよし型」と形も名前も出てきますし、「織部灯篭」「岬灯篭」などの変わり種も覚えています。

 同様に「猫足」や「蹲(つくばい)」など、やはり若いころに覚えた記憶って、しばらく使っていなくて脳の中で、火山灰のように積み重なっていても、ひょんな地殻変動で掘り出されると、はっきりした形で蘇ってくるものなのでしょうね。


 

2022/01/28
第195回 「石と神社」

 ここ数年初詣に行ったかと聞かれたなら、所謂元旦とか1月2日とかの本当の意味での初詣参りは、タイミング的に行けていないのかもしれないですが、やはり年末年始のタイミングでの「初詣代わり」として年末の神社とか年明けの神社とかに参詣することはよくあったように思います。

 風物詩になってしまっている、年越しから新年あけての初詣や、本来は1月2日と言われている神社への初詣もなかなかタイミング的に合わずに行きそびれていた昨今かなと反省しているところです。

 ただやはり年始に神社のお参りっていうのは、何か日本人としては心も潔くなり、結果的に1年の中で一番神社に行ってしまうのは1月が多かったかもしれません。

 
 そして神社と言えば何故か石がありますね。

 最近の流れでは流行のデザイン看板を上げてその神社の由来を上げるよりも、やはり御影石に由来や縁起を記入し、歴史的な味を含んでちゃんと見てもらう工夫をしています。(グレー系の御影石には彫った文字が目立たなくなるので黒い塗料でくっきりと文字を目立たせます)

 でも、もっと古くて地方や各地元の神社では、必ずと言っていいほどその由来を記した大きな石碑(大抵は硬くて文字を彫り難い花崗岩ではなく、地元の安山岩や玄武岩・粘板岩が文字彫刻が容易く結構多いです)があり、旧漢字や用法や多少の読み難さも相まって解読は難しいですが、それこそ歴史を感じることができます。

 そういう意味で、石は神社という歴史遺産の中の一つの構成物であり必要なピースであるともいえるでしょう。

 まあ、そんな中、新しい神社参詣者の多数を占める若い女性向きに、写真3のようなもともとあった自然石(庭石のような単体の置石)を、効能込めてパワーストーンの先駆けとする流れも石と神社の関係であってしかるべきと思い、それはそれ初詣の御利益や時代の流れの中で良しとしたいものですね。

 

2021/12/30
第194回 「石偏の漢字」

 毎年年末になると、「今年の漢字1文字は?」でよく盛り上がります。

確か昨年は「密」今年は「金」だったかと思います。

以前のコラムで弊社のロゴになっている「磊」についてアップしたところ、意外にも反応が良くその流れで石偏の漢字を探してみました。

 思ったよりも石偏の漢字って多い割に、普通には使っていないものが多くて「磊」同様に意味も読み方もなじみが薄いものが多いです。

 もちろん石に関係のあるポピュラーな漢字もたくさんあります。

 研、硬、砂、砕、碑、磨、礎、砥、、、、などは石屋でなくても普段から目にし、分類では後者になると思います。

 ところが、なじみの薄い前者の漢字の例としては、矼、硲、砒、砺、砿、、、などなど、読みがわからないものも多くありました。

 特に今回見つけた漢字の中では「砅」、これって何?という感想です。

 また一般の辞書では出てこないものに、上の漢字は石の右に水で1文字ですが、石の下に水で1文字のものも別にありました。

 この漢字を見て、石屋として思い出すのが、ウオータージェットマシーン、ウオータージェット加工というものです。

 これは弊社工場に2台のマシーンがあって、常にフル稼働しているものですが、要は石を水で切断する機械です。

 通常は工業用のダイヤモンドが先端に付いた丸い刃物でカットしていくんですが、それだと直線は切れても、円形やギザギザの線で切っていくのは出来ません。

 特に使われる加工としては1枚物の石材の中に丸い穴をあけて器具を取り付ける洗面台加工やシンクの加工で重宝します。

 また特殊用途としては、石材のモザイク使用、床や壁に違う石を使って絵やデザインを作っていく加工にはこれが無いと出来ません。

 昔弊社で扱った超有名なテーマパーク内にあるホテルの工事では、全てのエントランス、エレベータホールの大理石モザイク床の加工で、このウオータージェット加工機を休み無しにフル操業させた思い出があります。

 まさに石を水で切る、砅の漢字の具現化です。

 皆さんにも分かるようにウオータージェット加工の写真を載せます。

 ちなみにこの「砅」は「レイ」「ヒョウ」「わたる」と読むそうです。

 尚、最後にこのウオータージェットのイメージはもう一つの漢字も引き出します。

 石に高圧の水が勢いよく流れていく様で、「硫」という漢字でもいいかもしれません。

 こちらは意外と「硫酸」という時に使うので、先の分類からすると、読めない石偏とよく知っている石偏の中間の漢字でしょうか。

 

2021/10/25
第193回 「隠岐の黒曜石」

 昨年、日本全国47都道府県の最後の訪問県である高知県を訪れたことにより、全国すべて行ってきたような気持ちでいましたが、なんと今回初の隠岐国(昔はここも単独の行政区)へ行く事になり、自分自身まだまだ未踏の地が多いことに思い至りました。

 そういう意味では佐渡島や淡路島を除けば、壱岐島や対馬島にもまだ行く機会がなく、それぞれ昔の壱岐国だったり対馬国だったりしたので、離島に関してはまだまだ行けてないところが多いです。

 今回は、グループ会社の仕事での訪問で、滞在時間はわずか数時間でしたが、のんびりと観光なども出来ればよかったと思います。

 なかなか隠岐の事を知る機会もなかったのですが、改めて調べると大きく島は四つあって、前(本土側)の三つの島(知夫里島、西ノ島、中之島)を島前、奥の一番大きな島(隠岐の島)を島後と言い前後に呼び分けています。

 それぞれに行政区が違い、地夫里島は知夫村、西ノ島は西ノ島町、中之島は海士町、隠岐の島は隠岐の島町(旧西郷町)と言うようです。

 人口は島前島後の4島全部でも19,000人余り、漁業と観光で成り立っている町です。

 実は行く前から多少は土地勘は持っていました。

 司馬遼太郎が亡くなって、歴史ものの新刊を読めなくなって久しい時に、知人から紹介された飯嶋和一という人の歴史小説が面白く、この隠岐の島後を舞台にした「狗賓童子の島」という小説で隠岐の島の地図と一緒に話を進めていく読み方で、大体の感じは持っていました。

 また、何といっても流刑の島としての印象も強くここで生涯を終えた後鳥羽上皇や、或いはここから脱出してその後さらに活躍した後醍醐天皇など隠岐は歴史とともに存在してきたと感じています。

 
 更には、石屋としてはこの島から産出される黒曜石の事も紹介する必要があるかと思います。

 黒曜石というのはガラス質の多い火山岩で、色はほとんど黒色のため黒に耀(ガラスで輝いているため)の字で本来は黒耀石と言いますが、今は曜日の曜で黒曜石でも通ります。

 ガラス質であることから、脆さはありますが割った断面は切れ味のいいナイフや剃刀のようで、石器時代から手斧や矢じりの材料とされてきました。

 そして、このための良質な産地は日本国中でも数カ所しか存在せず、全国でも北海道、栃木県、長野県霧ケ峰周辺と並んでこの隠岐の島の黒曜石は良質なため盛んにほかの地域から求められました。
 面白いことに同じ黒曜石でもその成分分析をすると、どこの産地のものがどこまで流通していたか、発掘された石器を調べるとわかるようでその検証もなされています。

 また、この石は世界中いろんなところで同質のものがあり、世界史的には石器時代ばかりか、青銅や鉄器文明を経ずに、南アメリカのアステカ文明などは15世紀までこの黒曜石が最高の武具として存在していたということです。

 隠岐の黒曜石は、山陰地方はもとより、山陽地区、近畿地方、一部四国や北陸まで渡っていたというのでこれも面白い研究だと思います。

 隠岐は本土から流されてくるだけでなく、本土へ輸出して広めたものもあるという事実にもう一度振り返ってみることも必要かもしれないですね。



 

2021/09/09
第192回 「磊」

 お客様から当社への質問で今でも多いのが、看板やロゴマークになっている「磊」の文字を何て読むのか教えて、というものです。

 実はこの漢字、ちゃんと辞書にも載っていますが、用語として使われることが非常に稀で、確かに馴染みが薄い漢字ではあるのかなと思っています。

 私が知っている用語としては、四文字熟語の「豪放磊落(ごうほうらいらく)」くらいなもので、あとは宮城県仙台市民限定で、仙台市秋保温泉渓谷に存在する「磊々峡(らいらいきょう)」というのがあって聞いたことがあるというくらいかもしれません。

 他に色々調べると「磊磊落落(らいらいらくらく)」や「不羈磊落(ふきらいらく)」等同じような意味の熟語があるようですが、基本的には心が大きく、おおらかで、細かいことにこだわらないさまを言うようです。

 つまりその質問の答えとなりますが、「磊」は「らい」と読み、意味は「心の広いさま」を表していますが、もう一つ漢字の成り立ちから「石が積み重なっているさま、石がごろごろしているさま」という意味もあります。

 ちょうど、「豪放磊落」などの四文字熟語は「心の広いさま」の意味に対して、「磊々峡」の方は「石が積み重なっているさま」の方の後の意味となります。

 「まつしまメモリーランド」やグループ各社の石材関連会社で使用しているロゴの「磊」は当然ながら後者の意味を表しているとともに、ロゴ作成時の理念として「1・建築の石材、2・お墓の石材、3・造園や環境の石材」の全域を取り扱える石材会社としてのオールマイティさと、「代々積み重なる石(故人)の記憶」を表すシンボルの意味も込めました。

 確かに珍しい漢字で読める人は少ないですが、もともとの中国では普通に目にする文字で、ちょうど「木」と「林」と「森」や「日」と「昌」と「晶」の関係のように、日本でもよく浸透している重ね文字と、こちらではあまり見ない「金」の3つ重ねや「火」の3つ重ね、「人」の3つ重ねの漢字などよりは未だ馴染みがあるのかなと自分では、ポピュラーな方の漢字なのかなとは思っています。


 

2021/07/23
第191回 「石とオリンピック」

 いよいよ2020(2021?)東京オリンピックが開催されました。

 ここまで来るには主催団体も開催都市も開催国も、医療問題、政治問題、時間的経緯、主義主張の違いなど、まさに二転三転し国民も全世界も翻弄され続けました。

 でも一番大変だったのはオリンピックに参加する選手たちだったと思います。

 自分の夢、世界中が見つめる大舞台に出たい気持ちと、コロナ拡大危機の中での葛藤。

 オリンピックは出れる事が選ばれた証であり、参加することに意義があるとよく言われてきました。

 目標は皆、入賞だったりメダルだったり、勿論誰もが金色の最高峰を目指しているとは思いますが、このコロナの特別なオリンピックに参加した事ですべての参加者に敬意を払いたいと思います。


 さて、今回はオリンピックの話ではなくて、かつてオリンピックと同じように「参加することに意義がある、オリンピックのような石屋の現場」があったことを紹介します。

 時はバブルの真っ盛り1990年(平成2年)完了の超巨大ビルにかかる石工事の現場です。

 もちろん誰もが知っている新宿の東京都庁です。(写真は上の中央が第一庁舎、二番目が第二庁舎、最後が渡り廊下です)

 外壁は総石張り、石材の施工面積は第一庁舎外壁が約57,000平方メートル、第二庁舎外壁が45,000平方メートル、渡り廊下部分が8,000平方メートル、3カ所合わせて外壁の総面積110,000平方メートルは空前絶後の数量です。

 もちろん内部の床や壁にも石材が多数使用されており、その数量24,000平方メートル、内外合わせると石は134,000㎡も使われています。

 これは、当時の石材店1社が年間で製造も施工も2,000㎡とか3,000㎡とかが平均値であり、大手といえども10,000㎡はかなり重荷だった頃の話です。

 しかも建築の工期は1988年4月~1990年9月迄の2年半、石工事は建築工程の後半なので最後の1年間でこの膨大な量の供給が必要だったので、初めに書いた「とにかく石屋として参加することに意義がある」のような形で日本中の石屋がこの現場に関係しました。

 当社も、当時は未だそれほど都内の物件に入り込むことは少なかったのですが、外壁の(ほんの)一部ですが、工場加工と施工協力を行いました。
 当社の分は確か2,000㎡位だったかと思いますが、全石材量からすると1.5%にしかならないのに、当社にとっては大変な量を非常に短期間で対応させていただきました。

 日本中の石屋が一つの物件に集まり、まるでオリンピックのような注目度の中、参加できた事に誇りをもって取り組んでいました。

 のちのち、石屋の世界では、「お宅も都庁(の現場)に入ったの?」「下請けの下請けでうちも都庁やりましたわ」などまさに日本中、いやイタリアの石屋、採掘現地の石屋など世界中を巻き込んで、オリンピック同様の狂騒の時期でした。

 ちなみに外壁の8割がたはスペイン産のホワイトパールという御影石です。色の淡いグレーの方です。残りはスエーデン産のロイヤルマホガニーという褐色の濃い方の石です。

 内部の床はイタリア産のローザギャンドーネ、ほんのり薄いローズ色のグレー御影です。
 内部壁には日本人が最も好む白大理石、ビアンコカララが多数使われています。

 バブル真っ最中の建物で、使用石材も当時は世界最多を誇りました。
 
 東京オリンピックの開会式を見ながら、30年前の石屋のオリンピックと言われた、東京都庁の石に思いを馳せ、あの狂騒の時を懐かしく思い出していました。



 

2021/06/30
第190回 「最も心に残った石像」

 石の人物像を現地で見て、想像していた範囲を超えて強烈に印象に残っているものがいくつかあります。

 今回は石(大理石)像の中で特に衝撃を受けたものを紹介します。

 先ずはフィレンツェで見たミケランジェロのダビデ像。
 美術や西洋史の教科書にも載っている超有名な像ですので写真では何度か目にしていましたが、本物を見た印象は「なんて巨大な!」でした。
 一つの石の塊りから掘り出されたダビデ像は何と高さが5メートル17センチメートル、普通の男性の3倍の大きさです。重さは5.66トン、人間の体重と比べると70人~80人分です。
 これを当時26歳のミケランジェロが3年ほどで作り上げたということで、その熱情と共に力強さを感じます。
 このダビデ像は石の堅固さと巨大さを前面に出して作られた1504年から、現在に至るまでフィレンツェのシンボルとしてそびえ続けています。

 次はパリのルーブル美術館で見たサモトラケのニケ像です。
 こちらはエーゲ海のサモトラキ島で1863年に見つかった古代の遺跡です。
 ニケ像だけで2メートル44センチメートルですから、こちらも大きな像ですが、この像の下は台座代わりに土台と石の船もあり、そちらと合わせると5メートル57センチメートルとダビデ像に匹敵する巨大さです。もちろんニケ像と台座の石は別物なので、よく一緒に見つかったなと感心します。
 こちらは紀元前190年というから作者は当然わかりませんが、着ている服の襞まできれいに再現されているのは、ルネッサンス期の彫刻作家にも負けない作りです。

 そして、服の襞の再現、布の柔らかさを硬い石で表現しているものといったら、ダビデ像と同じ作家ミケランジェロのピエタ像です。
 バチカンのサン・ピエトロのピエタと言われています。
 ミケランジェロにはピエタの作品が4つあり、そのうちバチカンにあるこのサン・ピエトロのピエタは特に評価が高く「The ピエタ」と呼ばれ他のピエタを代表する傑作と言われています。ミケランジェロの初期作品でありダビデ像に取り掛かる前の1500年には完成していたといわれています。
 この像を見た時、大きさはそんな大きくはなく(174センチメートル×195センチメートルで等身大かそれより若干小さく見えました)目に迫るものではないのですが、その洗練さと柔らかさが心にしみてくる石像でした。
 マリアやキリストが身に着けた衣服の襞や肉体の表現が石を超えた何か神秘的なもので作られたような、まさに心に響く作品でした。
 しばらくここを離れられなかった思い出があります。

 最後に一つだけ上記の3点に負けず劣らず印象に残っているものも紹介させていただきます。

 サン・ピエトロのピエタの衣服の柔らかさと同様、男性の筋肉、女性の柔肌を同じ大理石で表現したローマ、ボルゲーゼ美術館のプロセルピナの略奪という彫刻です。
 こちらはイタリアのベルニーニが1622年に作ったものです。
 大きさは2メートル25センチメートル、等身大よりは1.5倍ほど大きいですが、皮膚や筋肉の動きを大理石の中に瞬間で固めたみたいな見事な作品です。

 これも、展示品の前からしばらく動けなかったほどの衝撃でした。

(構成の都合上写真は3点までのため、プロセルピナの略奪は載せられませんでした。ご興味があればご覧になってください。)

 

2021/06/01
第189回 「多数の石像」

 洋の東西を問わず石像はいくらもありますが、なぜか複数で縁起のいい数をまとめて一つのセットにしていることがあります。

 例えば日本では七福神というものがあり、こちらは特に石像にしているものを多く見ます。

 七福神をすべて諳んじられる人は余程の物識りでしょうから一般的にはその来歴やそれぞれの由来などあまり知られていないことが多いと思います。

 一応確認すると恵比寿・大黒天・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋となっていますが、よくよく調べるとこの中には重複している神様もいたり、他の神を入れて八福神と言うくくりもあったり、地域によって違ったりとあまり統一されていないようです。

 それもそのはずで、この七福神はもともと一つの由来や縁起話で出来た話でなく、仏教や、儒教、道教、インドのバラモン教や民間風俗などいろいろな宗派?の神様を縁起の良い七の数でまとめたもののようです。

 それであればバラバラの神様ですが、お正月の宝船に一緒に乗り込んでいたら何か同じ仲間に見えてくるから不思議です。

 西洋でも教会では建物自体に聖人と呼ばれる石像がたくさん上がっています。

 キリスト教に貢献した高名な信者や使徒たちの実在の像なのでしょうが、こちらもキリスト教内の宗派や地域によってその聖人がたくさん居て我々にはどの人がどの像なのか判別が難しいところです。

 聖書や最後の晩餐で有名な12使徒くらいはかろうじて分かるかもしれませんが、全ての名前を出すにはやはり調べないと‥‥

 12使徒とはペトロ・アンデレ・大ヤコブ・ヨハネ・フィリポ・バルトロマイ・トマス・マタイ・小ヤコブ・タダイ・シモン・イスカリオテのユダ・マティアだそうです。
 
 あれ?

 13人居ますね。

 もっと調べると、もともとはイスカリオテのユダまでが12使徒だったのですが、キリストを裏切ったユダを12使徒から除いてマティアを繰り上げて12人の中に入れたとあります。

 こちらもなんか13という数字にしたくなくて12にこだわったような気もしますね。


 さて石像には数をまとめてセットにすることを書いてきましたが、よくよく考えると中国の秦の時代にはその数が、半端ない桁になっているのがありました。

 兵馬俑の兵士の像です。

 その数8000体と言われています。

 縁起がいいも悪いもない圧倒的な数の力ですね。

 まあ、残念ながらこれは石造ではなく陶製ですが、その硬さや永遠性は石にも劣らない歴史の遺産であると言えますね。

 

 

2021/05/06
第188回 「河原の石」

 前回のコラムで趣味は石かもしれないと記載したら、知人からこんな石もあるし、こんなのは何?と質問のような又確認のような連絡がありました。

 質問の一つは河原の石って材質は何なの?というものでした。

 誰もが小学校の理科で丸い石は川を下って来る時に角が取れで丸くなっているので、川の上流の石は四角くても下流になると丸い石が多いことや、漬物の石にちょうど良い形のものがあるとか河原の石にはそれぞれ愛着やイメージがあることと思います。

 実はあの河原の石は何と様々な種類の石のサンプルなのです。

 写真2にその特徴的なものとしていくつかの種類が写っていますが、これらの小石は全て出来た場所も川を下ってきた源も石の中の素材も全く違うものです。

 そもそも火山岩系、堆積岩系、変成岩系という大どころの違いから始まり、火山岩系では流紋岩、安山岩、玄武岩があり、同じ火山岩の中の深成岩系では花崗岩、閃緑岩、斑レイ岩とあり、また堆積岩系の泥岩、砂岩、礫岩、凝灰岩、石灰岩などや、変成岩系の大理石、結晶片岩などと専門家でも迷う実に多くの種類がありますが、この河原の石にはその多くが含まれていることから石のサンプルの宝庫ともいえるものです。

 でもその出来方や来歴を超えて全てが手のひらに載るくらいの大きさとその丸みに一体として見てしまいがちです。

 実はその個性は全く違う中で、同じ河原の中で、水の流れに揉まれて同じような形になって姿を見せるところは、まるで生まれも育ちもバラバラな個人が同じ器、同じ環境で同じような価値観を持つように至る会社人材のようにも思われます。

 そして二つ目の質問が写真3のようなさざれ石です。

 そうです、君が代の歌の中にあるさざれ石は日本のいろんなところで見られるのですが、漢字では細石とも書いて、基本的な組成としてはそれぞれの細かい石の間に炭酸カルシウムなどの石灰岩質のものがその隙間を埋めてまるで一つの巌の塊りになったようなものです。

 まさに、会社の人材が同じ目標や価値観を持つことによって、それぞれの隙間に共通の意識で固めて大きな固まりとなったもの、つまりそれが企業の強さに繋がるのなら、小石の力も大きいものと変貌する良い例かと思います。

 会社やグループの中にいくつもの個性があり、その特徴を最大限生かしつつも、同じ組織の中で一つに固まる理念や価値観を共有する集団としての理想をさざれ石に求めてしまうのも趣味の延長かもしれません。






 

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