社長コラム 石のことば
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2007/02/03
第16回 「全社会議」

 今回は少し違った方面から話をしてみたいと思います。


 当社では現在、事業を行っている拠点が12ヶ所あります。


 松島町……本社事務所、工場、北松島店、施工課事務所兼墓石工場  4ヶ所
 仙台市……泉店、中山店、実沢店、長町南店、工事部仙台支店      5ヶ所
 多賀城市…多賀城店                                1ヶ所
 東京都中央区…東京支店、(人形町寮)                    1ヶ所
 中国福建省・・…アモイ事務所                          1ヶ所
 

 
 現在上記の拠点で仕事に携わっている社員は全部で75名です。


 また、社員の住んでいる現住所を市町村別で見ると 

 仙台市・・・・・・17名
 松島町・・・・・・12名
 東松島市・・・・12名
 中国アモイ市・・・・6名

  その他、東京都、多賀城市、大郷町、美里町、石巻市、塩釜市、大崎市、富谷町、
 利府町、七ヶ浜町、大和町、涌谷町、岩沼市など広いエリアに亘っています。



 以前、当社は松島町にしか拠点がなく、全社会議といえば当然ながら松島の本社で行っておりました。


 仙台市に一,二店舗開設した時も、しばらくは各拠点から本社に集まってもらっていた時期もありました。


 途中で効率の悪い事に気づき、全社会議以外の月1回の社長朝礼などは、私の方で各拠点を回ったりした期間もありましたが、朝8時に本社にて朝礼をしてすぐに移動を開始しても、各店(東京支店とアモイ事務所を除く宮城県内の各拠点)を回り終わる頃には午後になってしまい、朝礼が昼礼や夕礼になり一日がかりになってしまった事で、現在はそれも改めています。



 特に問題なのは年末や期末に全社員が集まり、経営的に重要な全社会議をどうするかでした。


 年末などは会議の後に、親睦会主催で忘年会などアルコールが出される会合を計画すると、必ず宿泊の手配もしなければなりませんでした。



 5年程前から全社会議は仙台駅の近くに会場を借りて行い、その後の忘年会にも対応できるよう、全員がバスや電車、地下鉄などの公共交通機関を利用して集まるようにしました。新幹線を利用して東京支店からも駆けつけてもらいます。
 

 これで日本の全社員69名が一同に会せます。(写真 、昨年12月22日ホテルモントレー仙台にて)


 同じ会社の中でいろんな部署いろんな仕事に就いているからこそ、同じ空気の中で同じ時を共有する必要があると思います。


 堅苦しい会議の後には、場所を替えて、事業部や拠点をばらして円卓を組み、日頃の『石』の話とはまた別な話題で盛り上がったりもします。(写真 、同12月22日、親睦会忘年会)

  

 中国の社員だけはそう簡単に集まることが出来ないので、それはまた向こうに行った時に、時期を見て同じようにアモイ事務所会議と食事会を行います。(写真 、昨年12月25日)


 なかなか普段は全社員と密に仕事で触れ合うことが無いので、全社会議で会って話し、そして食事会等で皆の笑顔に会える事は私にとって何よりの楽しみです。

2007/01/11
第15回 「多賀城店オープン その2」

 多賀城店のオープンストーリーの続きを述べたいと思います。


10月16日(月)正式にトヨタ側から多賀城店の引渡しを受けました。

 しばらく前から、オープンは11月11日(土)と決めていましたので、準備期間は正味26日しか有りません。


 後でいろんな部署から、オープンまでの時間が無さ過ぎる、なぜその日なのかと悲鳴に似たクレームがありましたが、土曜日である事・大安である事・1が4つ並ぶ事(余談ですが中国ではこの日は独身の日だそうです)・そして何より本格的な冬が来る前に少しでも早く開店したかったので、過去の経験上でギリギリ限界の日程を組みました。(自分でも一時、限界点以上だったかなと思ったこともありましたが…)


 その26日間の中で、建物の外装(看板や外壁塗装)、内装(サッシや天井や壁)、外構(展示ステージ、駐車場、エアーゲート)等のいわゆるリフォーム改修工事の期間。

 それから机や電話やコピー機やパソコンなどの備品の工事期間。

 当然ショールームなので30セット以上の墓石の展示品の設置工事期間。

 さらにはその展示品に単価を表示したり、POPの貼り付けを行う準備期間と大きく4つの作業がありましたが、とにかく全部で26日後にはオープンですから、嵐のような日々でした。


 まずは、最も時間のかかるリフォーム改装工事ですが、以前からお願いしている慣れた業者さんに頼み、阿吽の呼吸で工事を進めてもらいました。16日間で、看板も床も壁も天井も電気も…全ての工事を完了、11月2日に当社に引渡しして頂きました。

 そこからの9日間は手分けして30セット以上の墓石の設置、備品の準備、同時に店舗環境の準備等々、これで何とか行けるかなと思ったのは、オープン前日の10日夜10時過ぎでした。


 
 この間、やはり色んな方にお世話になりました。


 まずはトヨタの方々に先行して寸法を測らせて頂いたり、工事業者の方に着工前にイメージ図で打ち合わせしたりと準備期間を有効に活用させてもらいました。

 また特記しなくてならないのは、初めての外部展示で迷っていた時に、先行する青森の石材店さんの外展示を見せていただき、外に展示する決断とヒントを得る事が出来ました。

 更には短期間でこれだけの展示品の製作を手がけた工場の協力や設置を担当した施工課
の苦労、設計メンバーやアモイ事務所スタッフ、当然ながら多賀城店オープニングメンバーとその協力スタッフの努力、影で支えた家族や関係者全員のお陰です。


 ありがとうございます。



 そして迎えたオープンの11月11日(土曜日、大安、1並びの日)は見事に!!!

 『小雨のち大雨』

 の天気でしたが、朝から多くのお客様や、ラジオカーの生中継などがありご成約で賑わいました。翌12日(日)は晴天で更に来店が増え満足の二日間を締めくくる事が出来ました。

2006/12/02
第14回 「多賀城店オープンまで」

 前回に引き続いてオープンまでのいきさつを述べたいと思います。

 実は「多賀城店」の構想はエリアこそ若干違ったものの、数年前からの検討事項でした。

 2000年に泉店をオープンした後の2号店検討の時に、現在の「長町南店」エリアと比較検討したのが仙台東部地区でした。
 その時は泉店の北部に対して南部出店の意識が強く、結局は2002年 先に「長町南店」を開設いたしました。

 その後2004年に西地区及び北西地区の北環状道路沿いと,やはり東部道路沿いのエリアの検討時期がありました。

 この時は出店土地の問題で、もう少しで今の場所と違った東エリアに、ひょっとして「仙台東店」の開店の可能性もあったのですが、その時動いてくれた仲介不動産関係の業者さんや土地オーナーさん、借主の店主さんとその奥さんなどのご協力があり、その時もやはり先に「中山店」の方が決まり、東地区は見合わせることになりました。
(但し本社より更に北東の第2工場敷地を利用した「北松島店」は既に前年オープンしていましたが。)

 その後は前号で述べた「いずみガーデンメモリアル妙法寺墓苑」の取り扱い準備や、「実沢店」構想などで一時東地区の検討を中止していました。

 そんな中「多賀城店」を本格的に再考したのは、「実沢店」の場所を選定する為、昔の仲介不動産業者さんと連絡を取ったのがきっかけです。

 その方は前の不動産会社を辞め別なところに居たのですが、私が出した「実沢店」に合う条件の場所を熱心に探してくださいました。
 残念ながらそのルートでは見つからず、結局今の「実沢店」は別な所の仲介になりましたが、その折に『まだ市場に出て無いこんな物件もあるんですが・・・』と見せてもらったのが今の「多賀城店」です。

 聞けば有名な会社の移転に伴う物件で、相手側も変な所には売らないので、相手側と交渉及び確認が必要との事。

 あの時 実は「実沢店」の契約と同時に、もう一方で「多賀城店」の契約も着々と進んでいました。

 ただ、多賀城側は現状使用しているところでしたし、新築の別な場所への移転等の関係もあり、内々でお話しを進め、8月25日仮契約(この時は未だ8月5日の「実沢店」オープン「いずみガーデンメモリアル妙法寺墓苑」開苑期間の真っ最中)そして10月15日本契約引渡しのスケジュールで進みました。

 

 多賀城店オープン11月11日までの、その後の異常なスピードのオープンストーリーがまだまだあるので、続きは次に持ち越しましょう。

2006/11/15
第13回 「二店舗オープンのいきさつ」

 しばらくぶりの社長コラム執筆です。

 言い訳ではないんですが、実はこの休んでる間にメモリーランド二店舗のオープンがありました。

 続けて2ヶ所のオープンは今回初めてだったせいもあり、なかなか落ち着いて時間が取れなく、じっくり考えたり、本を読んだり、このような記事の執筆にも気が向きませんでした。

 ようやく二店舗目の開店も落ち着き、振り返るつもりで、二店舗オープンのいきさつを述べていこうと思います。


 いつも思うのですが、事業には目に見えない『縁』や『運』が重要であると思います。


 それは今回の一店舗目『まつしまメモリーランド実沢店(さねざわてん)』のオープンにもあてはまります。

 実沢店は今までの当社の店舗スタイルとは違い、コンビニスタイルとなっています。
ここは主に「いずみガーデンメモリアル妙法寺墓苑」や「仙台市いずみ墓園」等の墓地を紹介したり、またお墓参りのお手伝いができるように「花の駅」を併設したりと、既存店にはない取組みをしました。

 まずは「いずみガーデンメモリアル妙法寺墓苑」の霊苑関係者の方々との出会いの縁は、既に3年ほど前に遡りますが、この時この流れで多くの方々との出会いを持つことがあったおかげで今回の参加もありました。

 また当霊苑の指定石材店として、関東から複数の石材店さんが仙台にやって来ましたが、それらの石材店さんのビジネススタイルも改めて間近に見る機会を得ました。


 社員やアルバイトの方々との出会いも縁であり運だと思います。

 オープン当初は特に忙しく、正規の社員だけでなく、他店舗からの応援や、アルバイトや人材派遣の方々にたくさんの協力を頂きました。

 特に始めは水やりもわからず、枯らしてしまった生花の管理は経験者にお願いして何とか乗り切りました。

 「いずみガーデンメモリアル妙法寺墓苑」の案内や説明も慣れない人たちが一生懸命に取組み、おかげさまでたくさんの予約を頂き墓石建立につなげて頂きました。
  

 又この店舗との出会いも縁であり運だと思います。

 いい場所でいい時にご紹介を頂き、内装業者さんに無理を承知で、妙法寺墓苑開苑と同じ日 8月5日のオープンに間に合わせてもらいました。

  
 こうしてみると実沢店開店には実に多くの方々との出会い(これが縁であり運だと思います)があって、始めて出来た事を改めて感じます。

 多くの方々に感謝です。

 霊苑の関係者の方々、ご来店いただいたお客様、店舗の関係者、地域の方々、社員やその家族、そしてライバル会社の石材店の方々も含め、皆様のおかげです。
 
 有り難うございます。




 二店舗目の多賀城店(11月11日オープン)のいきさつは次号でお知らせします。

2006/08/25
第12回 「宮城ろうすくーる 特別授業」

先日、NPO法人宮城福祉オンブズネット「エール」が主催する宮城ろうすくーるの特別講師を務めてきました。

30代40代から60,70,中には80代と見受けられる勉強熱心なシニア(主に)の方々約50名の前で、1時間程の内容でした。

 中味は当然ながら石の話、でも少しはまじめな「お墓についてまじめに考える=(自分の人生観を問う)」というものです。 
 墓地の話やお墓の形、色など流行について、また建築学的な墓石の耐震・免震工法の話、地質学的な安山岩や花崗岩など強度や組成の話等など、一昔前なら「縁起でもない、年寄りだと思って早くお墓を作れって話か?」と怒られそうですが、半分以上はお墓の事でした。

 ただその副題にもあるようにお墓を考えていくと、自分の死についても考えざるを得ず、その事がそのままその後の残りの人生をどのように生きるか(=人生観、死生観)につながり、さらには自分の死後の事まで(遺された家族や子や孫の心配)も思い描いたらしく、その後の質問コーナーでは「実家の甥には任せたくないので三男の自分が先祖ごとお墓を持って来れるの?」とか「イエの墓に入らないようにするには」や「お参りに来てくれるのは何回忌くらいまで?」といったお話も出て来ました。

 当然ながら、参加された皆さんが何かしら悩みを抱えている事とは思いますが、その時間の間は、けっして暗い話としてで無くどなたも明るく真剣に授業に参加されていたのには本当に驚きました。
 いろいろなお話をお聞きし、またお話をさせて頂き、逆にこちらが大変に勉強になりました。

 特に参加された皆さんは、私の授業の前が「遺言書の正しい書き方=実際に自分の遺言書を書く」だったので、真剣に自分を振り返り冷静に見つめなおす事が出来たのでしょう。

 私なりに最後に締めさせて頂いた言葉は「お墓は亡くなった人の為だけではありません。遺されて生きている人の為でもあります。自分の骨だからその辺に捨ててくれ、思い出も全て忘れてくれでは、遺された家族の心が癒されません。生きている時と同じように報告や相談に行く場所がお墓だと思います。」

 『石は想いを伝えます』

 私たちがそんな仕事をさせて頂いている事に改めて感謝した一日でした。

2006/06/02
第11回 「韓国のお墓事情」

 世の韓流ブームは一息ついたようですが、今回は韓国の墓石事情を取り上げたいと思います。

 実は今から15年程前までは韓国は日本の御影石の輸入先 NO・1 の国でした。
もともと韓国の大地からは白系、ピンク系の大きな原石が採れる事にあわせて、石の加工の技術も高く、石造りの建造物も多い国でした。
 奈良時代やその前の飛鳥時代などの石工は、ほとんどが百済からの渡来人であったり、その子孫であったようです。
 言ってみれば、別々の発展を遂げたとは言え、日本の石技術の本家が韓国の石屋ということです。

 今から三十数年前の国際化の中で、日本の石材店は難しい石灯篭の加工などを韓国に依頼し始め、当時の人件費の差が更にそれに拍車をかけ、どんどん韓国で日本の墓石を作るようになりました。
 
 その後、安価で大きな石が採れる韓国の白御影石を使って、日本の建築バブル時期に大型の石工事も韓国で作るようになりました。

 当社でも20年程前韓国の工場に3ヶ月間ほど社員を駐在させ、横浜のインターコンチネンタルホテル会議場前の駐車場広場石工事は、全て韓国で製作いたしました。

 韓国材を大量に使った石工事では、宮崎のフェニックスリゾート ホテルシーガイアがあり、その膨大な量の外壁の多くが韓国産の御影石であったため、韓国中の石屋が大騒ぎした現場でもありました。

 そんな状況下、韓国の石屋の半分程は何らかの形で日本の仕事で潤っていたのが、今から15年程前からその地位を中国に奪われ始め、10年位前には日本からの注文が全く無くなり、あわせて韓国国内の仕事さえ中国で作るようになり韓国の石材業は惨憺たる状況となりました。

 ところが、世の中はうまくしたものと言うか、「捨てる神有れば・・・」の例えどおり韓国に御影石の一大需要が生まれて、それは現在も拡大中です。

 実はその石屋を救ったのが韓国のお墓事情です。

 韓国はもともと民間の風俗のせいか、クリスチャンが多いせいか(キリスト教は復活思想の為)土葬が多く以前は7割を占めていたようですが、土葬の為には多くの土地も必要で、先祖から子孫代々と埋葬する為には、山一つを購入しないと足りません。実際に韓国の高速道路を走っていると、右に左に緑に覆われた土饅頭が現れてきます。

 政府も問題視し始め、日本の墓地や火葬納骨方式を多いに推奨し日本式への移行を促しているようです。
 その効果もあってか最近は火葬が50%を占め、さらには古い墓地を整理し、一族のお墓を作り直す動きも盛んになり、墓石の需要が急激に伸びています。

 先日ソウル市内の墓石展示場を見学してきましたが、日本の「家の墓」以上の、「一族の墓」のため非常に大きく使用する石の量も多く、価格も日本より数倍高くなっていました。

 そういった変化がちょうどここ10年間の事のようで、日本輸出が無くなったマイナスを上手くこちらに乗り換えたところが、現在の韓国の石屋が生き残っている大きな理由と思われます。

 昔付き合いのあった韓国の石屋さんも、今はほんの数人になってしまいましたが、それでも未だ良い関係で続いているところもあり、この波を生かして頑張って欲しいと願っています。

2006/04/26
第10回 「リフォーム実例」

 前回アメリカのリフォーム事情で述べましたが、日本において石材利用が限定的なのは、我々石材に関係する業者の提案不足・取組み不足がその原因です。

 我社一社のみならず、業界団体が何らかの働き掛けをしていく必要が多いにあります。

 今回はそんな中、お客様から相談を受け石を使ってリフォームした最近の実例をご紹介したいと思います。

 初めは、駐車場から続く敷地の庭に、芝生を植えていたお宅(仮にA様宅)で、2,3年は良かったそうですが、その後芝が枯れたり虫がついたりし、また季節になると年に数回の芝刈りの義務が発生し、ご主人が閉口していた案件です。

 芝生と表面から20センチ位の土を取り除き、後で沈下しないようにコンクリートで基礎を作り、その上にベージュ系のクオーツサイト(石英岩)を敷き詰めました。
 また、花壇との境には小さな側溝をつけ、擬木と中国産の錆みかげの縁石を廻し、花壇の土が流れてこないように段差を設けました。

 最初の写真がA様宅の庭です。
 南ヨーロッパ(スペインやポルトガル)の雰囲気漂う、明るい日差しの似合う庭に生まれ変わって、お客様に大満足されました。

 次は、屋内のリフォーム実例です。
 築15年ほどの未だ比較的新しい家(仮にB様宅)でしたが、リビングの窓を断熱の二重サッシに変えるのにあわせ、その出窓の下の木製の甲板が、結露で朽ちかけていたので石にしたいとのご相談でした。

 B様宅では、模様のきれいな大理石がご希望でしたが、出窓の甲板は直射日光にも、水分にも強くないといけないので、御影石をお奨めいたしました。
 ただ、ご希望を汲んで、ありきたりのごま塩模様の御影石でなく、まるで大理石を思わせる流れ模様
のある、インド産のパラダイスというみかげ石の甲板を2箇所の出窓に設置いたしました。
 
 2番目の写真がB様宅です。
 ちょっとしたアクセントですが、リビングの風格がぐっと上がり、大変感謝されました。

 最後の写真は、玄関前のポーチと、袖壁を御影石でリフォームした実例です。
 以前は10センチ角のタイルが敷いてあったそうですが、雨の日や雪の日に靴の下が濡れることにより、滑って大怪我をしそうになり、滑らない物でのりフォームを考えられたそうです。

 磨いた石はタイル同様滑りますが、『バーナー加工』といって御影石の表面を火で炙ってザラザラにする方法があります。これだと雨や水に当たる所でもノンスリップ効果が発揮されて滑りません。

 こちらのお宅(C様宅)ではポーチの床に、グレーみかげのバーナー仕上げ、袖壁は薄いブラウンみかげの本磨き仕上げを使い分け、安全で見た目の重厚な、家の顔である玄関ポーチに作り変えられました。

 このような実例を見ると、何もまるでヨーロッパの石造りの都市のように、何もかも石で家を作るのでなくとも、木の文化の日本にも、木や緑や土や水と合った石の使い方があり、石の使用で安全や耐久性や調和や自然が感じられ、豊かな生活を提案できる、そんな素材が石である事に改めて自覚と誇りを感じます。

 少なくてもわれわれは、石のプロフェッショナルとして、石の値段や特徴だけでなく、お客様に最も合ったご提案ができるように自覚と責任を持ち続けたいと思います。

2006/04/08
第9回 「アメリカの住宅大理石リフォーム事情」

 引き続きアメリカの石材視察の事を書きたいと思います。

 現在アメリカの住宅関係は、かつての日本のバブル期のように土地・建物の価格が上昇し、不動産の売買がとても盛んです。
 新築物件のみならず、中古住宅や中古マンションも活況が著しく、それを購入して自分で気に入るように改装するリフォームが大流行しています。

 アメリカのリフォームでは特に水周りと云われる、キッチンや風呂や洗面所などに何らかの手を加えるのがほとんどのようです。
 キッチンカウンターの配列を変えたり使いやすい高さにしたり、レンジの種類や使用する器具も、自分達が気に入った自分達のライフスタイルに合った、オリジナルなデザインを好むようです。

 実はこの時に重要な役割をなすのが石(大理石)です。
 キッチンカウンターやダイニングテーブル、洗面所の飾りの壁や床、それから浴室内部の壁面や洗い場の床に大理石を施したり、時には浴槽そのものも石で作ったりもします。(いわゆる大理石風呂ですね)

 アメリカの同業社、特に建築石材関連の石屋はこのリフォーム需要に引っ張られて大いに忙しく業績も向上しています。
 聞くところではアメリカのリフォーム需要の総金額の20% 25%を石が占めるのではとさえ言われます。

 そこでわれわれ日本の建築石材業界との違いを見ると、日本にもそれなりにリフォーム需要はあり、水周りの改装が同じように有っても、浴室はほとんどがユニットバスで規格化されており、キッチンカウンターも既製品から選ぶ出来合い仕様が多く、オリジナルに大理石を使うと云う習慣が無いので、日本国内のリフォームの石材使用に関してはアメリカの百分の一ほどのマーケットも存在しないと思われます。

 更に日本では、家は一生の買い物であり、一度購入したら余程でない限り転売したり引っ越したりしないものですが、アメリカの住宅事情は全く違います。結婚して二人だけの時は小さな中古の家を買い、子供が出来て成長過程に入ると庭付きの大きめの家に買い換え、その子供が独立すると今度はその家を売り老後の資金と小さなマンションに住み替える、というライフサイクルが一般的で、一生に三回もリフォームしその度に使用する石材のグレードもどんどん上がっていくのが通常のようです。

 実は日本にもたくさんの高級な大理石が世界中から輸入されてはいますが、アメリカの中堅の石材会社を訪問したときに見た大理石は、世界中の厳選された産地から集めた最高級の品質で、我々プロでもめったに見られない素晴らしい物が広い倉庫いっぱいに置いてあって、アメリカ国内の需要の多さと予算の高額さにただ驚いた思いが有ります。

 日本と欧米では木の文化と石の文化の違いが有るとはよく言われますが、ヨーロッパやアメリカの家庭での大理石の使い方はとてもセンスが良くて本当に上手です。
 われわれ日本の石材関係者がもっと日本の家庭での石材使用を、キッチンへ、浴室へ、窓台へ、玄関へ、ポーチへと石を使ってもらえるように提案やピーアール活動をしていかなければならないなと、帰りの飛行機内では強く感じて来たものでした。



 P・S (お詫び)

 社長コラムの第4回 第6回までの3回分が抜けているとのご連絡が多数寄せられています。
 実は 「ディズニーシー・ホテルミラコスタの大理石工事 その1 その3」 というコラム3回分を作成し数週間公開していましたが、オリエンタルランドさん側からご指摘があり、製作の裏話を載せるのは好ましくないとの判断から自主的にこの3回分のみ公開をストップしました。
 この分、書き替えはせずに欠番とさせていただきますので、ご了承とご理解をお願い致します。

2006/02/24
第8回 「アメリカの墓石事情」

 2005年の5月にアメリカのビジネス状況視察のため、シアトル、サンフランシスコなど西海岸へ行ってきました。
 何事も狭い見解から判断するのではなく、広く世間を見渡して、自分の仕事の参考になる事を探そうと日頃から思っていました。顧客満足度の高い有名なデパートや世界を征したスターバックスの戦略や、もちろん石に関する情報も仕入れようと思っていました。
 特にこの時は、サンフランシスコ郊外の民営墓地を訪れる機会に恵まれ、きれいに整地された芝生の上に建つ、デザインの豊富な色とりどりの墓石を見ることができるだろうと期待して向かいました。

 ところが、ようやくたどり着いた霊園は、列こそまっすぐに並んでいるものの、芝生の状態はデコボコだし、墓石は単純で貧弱な物が多く、斜めに倒れかかっていたり、半分は土に沈んでいる物があったりと、予想に反してあまりきれいに見えませんでした。(写真1)
 墓石のデザインも参考になる物はなく、しばらくは唖然と眺めるしかありませんでした。
 しかし、よくよく考えてみると、アメリカは日本と違い土葬が多く(死者復活を信じるキリスト教の影響)、実際に芝生の土を掘り返し、埋葬して、また土をかけ、芝生を植えるやり方では、長い時間で土が押されたり流れたりして、傾いてしまうのは、やむを得ない事で、日本の様に遺骨が大地に還るほんの少しを除いて、まるで住宅の基礎のようなガッチリした土台のある所とは全く観点が違ってくる事に思い至りました。

 この近くには、何十カ所という墓地があったので、何かもっとヒントになるものはないかと、道路を渡って次の霊園へ向かいました。そこは、中国系の人の墓地で、最初の墓地よりは大きめの墓石と何より土台となっている石が大きく、こちらはあまり傾いているお墓は少なかったようでした。
 何より感心したのは、さすがに中国系だけあって、真っ赤な石(インド産ニューインペ)が大半を占めていました。(写真2)
 ここまで来たら、何とか我が同胞の日本人墓地はないかと探し歩きました。途中にイタリア人墓地やギリシャ人墓地と標記された看板もあり、ようやく見つけたのは最初の霊園の丘からちょうど反対側の山裾の中腹でした。
 確かに入口には日本人墓地と英語、そして日本語で書かれ、こちらは白と黒の石が多く使用され、何より敷地を囲む外柵があり、玉砂利が敷かれ、そして火葬された遺骨の入る所がはっきり見てとれました。(写真3)

 墓碑を見るとはるかに昔、日本からやって来て、アメリカ国籍を取り、今では三世・四世の時代となっているにも関わらず、魂の眠る場所は遠い故郷の日本方式です。この感覚というのは、何も日本人ばかりでない事は、ここに来る途中のイタリア人墓地や中国人墓地を見てもわかります。
 国境や国籍を超えても、死後の住まいというものに対する感覚は共通しているのではないでしょうか。自分たちの血の中にある永い年月、先祖から受け継ぎ、培われてきたある共通の想い。人は皆、そこに辿り着き、故郷のお墓と似たものを作るのではないでしょうか。
 手向けるお線香は持ち合わせていなかったですが、夕暮れの下、両手を合わせ、同胞の想いにお参りさせていただきました。

2006/02/17
第7回 「当社創業の石」

 当社の社名、松島産業株式会社や墓石小売りショールーム、まつしまメモリーランドの由来になる「松島」は、地名でもありますが、もうひとつ当社創業時の唯一の商品「松島石」からも来ています。

 松島湾沿岸一帯の地層は火山灰が堆積してできた凝灰岩からなっています。この凝灰岩層に若干の土が覆い、その上に松の木が生えているのが、松島の風景となっています。
 この凝灰岩は軟石と呼ばれ、非常に柔らかく、風化や浸食の大きい石です。松島湾に浮かぶ島々が波の作用で大きく抉られて、その岩肌がむき出しになっているのは、よく知られる景色です。
 また、有名な観光地「瑞巌寺」の境内には、修行僧が掘ったと思われる穴や凹みが至る所にありますが、あれも全て凝灰岩の岩肌です。

 この松島湾一帯から産出される凝灰岩の石の事を『松島石』と呼びます。当社は、この石を採掘し、関東、関西、遠くは九州まで販売していたのが、会社としての始まりです。
 この石は前述したように非常に柔らかいため、容易に加工でき、加工機械のない昔から重宝されてきました。極端なことを言えば、何の道具がなくても爪でも掘ることが出来るくらいです。(爪はモース硬度2.5、凝灰岩は1 2、ちなみに大理石は4 5、御影石は6 7、ダイヤモンドが最高の10の硬さです)

 用途としては蔵や門塀の材料となったり、耐火性があるのを利用して暖炉や焼却炉に使われたり、また薄く挽いて装飾用に貼ったりと一時は販売先も大きく広がりました。
 ただ、同じ凝灰岩の仲間でも、栃木県の大谷石や秋田県の十和田石、静岡県の若草石等、人気と知名度の先行する石のシェアが大きく、そのうちに大理石や御影石を扱うようになるに従って、あまり重要視されなくなってきてしまいました。

 決定的だったのが、昭和53年の宮城県沖地震の時で、当時の施行方法にも問題があったのですが、民家の石の塀がほとんど倒れてしまい、松島石の需要はほとんどなくなってしまいました。
 当時は既に現在の基礎となる大理石や御影石が本業となり、松島石の比率は1割もなかったので、そのまま取り扱いを減らしてゆき、数年前に完全にその扱いをストップしました。
 当社創業の石ではありますが、凝灰岩という風化の早い柔らかい石であったため、時代の中で消えてしまった石であり、特段の感傷もなく私自身の頭の中からも、ほとんど消えかかっていました。
 しかしながら、改めてその石の存在と意義について考えさせられる事に、つい最近出会う事となりました。

 凝灰岩の風化は20年 30年、長くもっても100年くらいと思っていたところ、奈良県の明日香村で見た高松塚古墳の石室は全て凝灰岩から出来ていました。7世紀後半の物と言われているので、千三百年以上も前の石です。四方の壁と天井には、極彩色の絵が残され、当時を語る貴重な資料として、全国的に脚光を浴びました。
 現地に行って、初めて気づいたのですが、それが当社の創業の石と同じ材質であり、しかも千三百年経った今でも風化しないで、貴重な歴史を現代まで守り伝えたのが、凝灰岩であった、という事実。

 まるで家族や先祖を誉められたような、なぜか自慢したくなるような気分で、古墳の絵を見つめました。そして帰ったら、もう一度松島石の在庫の石を見てみようと思いました。

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