昨年、日本全国47都道府県の最後の訪問県である高知県を訪れたことにより、全国すべて行ってきたような気持ちでいましたが、なんと今回初の隠岐国(昔はここも単独の行政区)へ行く事になり、自分自身まだまだ未踏の地が多いことに思い至りました。
そういう意味では佐渡島や淡路島を除けば、壱岐島や対馬島にもまだ行く機会がなく、それぞれ昔の壱岐国だったり対馬国だったりしたので、離島に関してはまだまだ行けてないところが多いです。
今回は、グループ会社の仕事での訪問で、滞在時間はわずか数時間でしたが、のんびりと観光なども出来ればよかったと思います。
なかなか隠岐の事を知る機会もなかったのですが、改めて調べると大きく島は四つあって、前(本土側)の三つの島(知夫里島、西ノ島、中之島)を島前、奥の一番大きな島(隠岐の島)を島後と言い前後に呼び分けています。
それぞれに行政区が違い、地夫里島は知夫村、西ノ島は西ノ島町、中之島は海士町、隠岐の島は隠岐の島町(旧西郷町)と言うようです。
人口は島前島後の4島全部でも19,000人余り、漁業と観光で成り立っている町です。
実は行く前から多少は土地勘は持っていました。
司馬遼太郎が亡くなって、歴史ものの新刊を読めなくなって久しい時に、知人から紹介された飯嶋和一という人の歴史小説が面白く、この隠岐の島後を舞台にした「狗賓童子の島」という小説で隠岐の島の地図と一緒に話を進めていく読み方で、大体の感じは持っていました。
また、何といっても流刑の島としての印象も強くここで生涯を終えた後鳥羽上皇や、或いはここから脱出してその後さらに活躍した後醍醐天皇など隠岐は歴史とともに存在してきたと感じています。
更には、石屋としてはこの島から産出される黒曜石の事も紹介する必要があるかと思います。
黒曜石というのはガラス質の多い火山岩で、色はほとんど黒色のため黒に耀(ガラスで輝いているため)の字で本来は黒耀石と言いますが、今は曜日の曜で黒曜石でも通ります。
ガラス質であることから、脆さはありますが割った断面は切れ味のいいナイフや剃刀のようで、石器時代から手斧や矢じりの材料とされてきました。
そして、このための良質な産地は日本国中でも数カ所しか存在せず、全国でも北海道、栃木県、長野県霧ケ峰周辺と並んでこの隠岐の島の黒曜石は良質なため盛んにほかの地域から求められました。
面白いことに同じ黒曜石でもその成分分析をすると、どこの産地のものがどこまで流通していたか、発掘された石器を調べるとわかるようでその検証もなされています。
また、この石は世界中いろんなところで同質のものがあり、世界史的には石器時代ばかりか、青銅や鉄器文明を経ずに、南アメリカのアステカ文明などは15世紀までこの黒曜石が最高の武具として存在していたということです。
隠岐の黒曜石は、山陰地方はもとより、山陽地区、近畿地方、一部四国や北陸まで渡っていたというのでこれも面白い研究だと思います。
隠岐は本土から流されてくるだけでなく、本土へ輸出して広めたものもあるという事実にもう一度振り返ってみることも必要かもしれないですね。


