何事にも行ってみないとわからない事や、現地で初めてわかる事などがたくさんあります。
今回は青森県鰺ヶ沢町を通った時に偶然見かけた『赤い靴の像』について書きたいと思います。
誰でも知っている事ですが、赤い靴は野口雨情作詞の童謡で以下のような歌詞が続きます。
赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに 連れられて 行っちゃった
横浜の はとばから 船に乗って 異人さんに 連れられて 行っちゃった
今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国に いるんだろう
赤い靴 見るたび 考える 異人さんに 逢うたび 考える
この歌をモチーフにした女の子の像は、当然その波止場である横浜の山下公園にある事は知っていましたが、なぜ偶然通りがかった青森県鰺ヶ沢町で赤い靴の像があるのか全く理解出来ないまま、写真だけは撮ってきました。
鰺ヶ沢町と云えば大相撲の舞の海関の出身地であり、相撲が有名なのは知っていましたが、その像の石碑にある赤い靴のモデルの父親の鈴木史郎という人の出身地である事、更にはその鈴木史郎さんてどんな人なのかも含め全く知らない事が記載されており、逆に興味を持つようになりました。
調べた事を非常に簡単にまとめると、静岡県出身の岩崎かよさんがお母さんで、その娘きみ(明治35年7月15日生まれ)が実在のモデル。岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り鰺ヶ沢出身の鈴木史郎と結婚。きみが3歳の時鈴木夫妻は北海道の開拓生活に入り、娘きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにした。
やがてヒュエット夫妻は本国に帰ることになるのだが、その時きみは結核に冒されておりアメリカに連れていくことが出来ず、東京麻布の孤児院に預けられ9歳で亡くなったという。
母かよ及び義父の鈴木史郎もきみはヒュエット夫妻と共にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、札幌で親交のあった野口雨情にその話をしたものという。
しかし実際には、かよは孤児院にいて母親に会うことも叶わず短い生涯を終えていた。
幸いにも母は生涯その事を知らず、アメリカに渡った娘を思っていたという。
そんな話がこの童謡の裏にあるとは本当に知らない事ばかりです。
また横浜と鰺ヶ沢の他に、赤い靴の女の子の像はアメリカカリフォルニア州サンディエゴ市、静岡県日本平市、東京都麻布十番、北海道留寿都村、北海道小樽市、北海道函館市とそれぞれその物語の登場人物にちなんだ各地にあるそうです。
鰺ヶ沢の家族3人の像は、中国産白御影の小たたき仕上げに、インド産赤御影の本磨きのアクセントで、なにか暖かい家の中の畳の上で3人が暮らしている(本当は無かった事だけれど)ほのかな雰囲気の像でした。
悲しい物語ですが、それを知りえたのも現地に行って興味を持ったからだと、つくづく感じました。


