2005年の5月にアメリカのビジネス状況視察のため、シアトル、サンフランシスコなど西海岸へ行ってきました。
何事も狭い見解から判断するのではなく、広く世間を見渡して、自分の仕事の参考になる事を探そうと日頃から思っていました。顧客満足度の高い有名なデパートや世界を征したスターバックスの戦略や、もちろん石に関する情報も仕入れようと思っていました。
特にこの時は、サンフランシスコ郊外の民営墓地を訪れる機会に恵まれ、きれいに整地された芝生の上に建つ、デザインの豊富な色とりどりの墓石を見ることができるだろうと期待して向かいました。
ところが、ようやくたどり着いた霊園は、列こそまっすぐに並んでいるものの、芝生の状態はデコボコだし、墓石は単純で貧弱な物が多く、斜めに倒れかかっていたり、半分は土に沈んでいる物があったりと、予想に反してあまりきれいに見えませんでした。(写真1)
墓石のデザインも参考になる物はなく、しばらくは唖然と眺めるしかありませんでした。
しかし、よくよく考えてみると、アメリカは日本と違い土葬が多く(死者復活を信じるキリスト教の影響)、実際に芝生の土を掘り返し、埋葬して、また土をかけ、芝生を植えるやり方では、長い時間で土が押されたり流れたりして、傾いてしまうのは、やむを得ない事で、日本の様に遺骨が大地に還るほんの少しを除いて、まるで住宅の基礎のようなガッチリした土台のある所とは全く観点が違ってくる事に思い至りました。
この近くには、何十カ所という墓地があったので、何かもっとヒントになるものはないかと、道路を渡って次の霊園へ向かいました。そこは、中国系の人の墓地で、最初の墓地よりは大きめの墓石と何より土台となっている石が大きく、こちらはあまり傾いているお墓は少なかったようでした。
何より感心したのは、さすがに中国系だけあって、真っ赤な石(インド産ニューインペ)が大半を占めていました。(写真2)
ここまで来たら、何とか我が同胞の日本人墓地はないかと探し歩きました。途中にイタリア人墓地やギリシャ人墓地と標記された看板もあり、ようやく見つけたのは最初の霊園の丘からちょうど反対側の山裾の中腹でした。
確かに入口には日本人墓地と英語、そして日本語で書かれ、こちらは白と黒の石が多く使用され、何より敷地を囲む外柵があり、玉砂利が敷かれ、そして火葬された遺骨の入る所がはっきり見てとれました。(写真3)
墓碑を見るとはるかに昔、日本からやって来て、アメリカ国籍を取り、今では三世・四世の時代となっているにも関わらず、魂の眠る場所は遠い故郷の日本方式です。この感覚というのは、何も日本人ばかりでない事は、ここに来る途中のイタリア人墓地や中国人墓地を見てもわかります。
国境や国籍を超えても、死後の住まいというものに対する感覚は共通しているのではないでしょうか。自分たちの血の中にある永い年月、先祖から受け継ぎ、培われてきたある共通の想い。人は皆、そこに辿り着き、故郷のお墓と似たものを作るのではないでしょうか。
手向けるお線香は持ち合わせていなかったですが、夕暮れの下、両手を合わせ、同胞の想いにお参りさせていただきました。


