前回号で紹介した豊臣秀吉の本当のお墓である豊国廟ですが、今でも訪れる観光客は非常に稀で、京都駅からそれほど遠くないにもかかわらず乗ったタクシーの運転手さんが、
「はて、豊国廟?どこでしたかね。」
「今まで20年、運転手やっていますが行ったことが無くて、、、、」
と、そんな状況です。
実際には京都駅から程近く、三十三間堂や智積院という観光名所から直ぐ近くです。
敷地は京都女子大のキャンパスと隣接しており、女子大に通う学生は皆そこで曲がりますが、そのまま真っすぐに行くと山門があり、小さな受付があります。
豊国廟の管理者が豊国神社社務所となっており、お墓の管理は神社が行っています。
そこの管理の方はお一人で土木作業の格好をされて周辺の作業をされておりました。
489段の階段から先は拝観料100円(京都ではビックリするくらいの安さ)をお支払いして見学しますが、その方が秀吉公のお墓を見た後、右の奥に行って景色を見てください、他では見れない景色が広がりますと言われました。
頂上で巨大な五輪塔(再建された秀吉のお墓)を汗だくで見た後、言われたまま右奥に行くとそこは京都でも1,2位の観光地、清水寺の全貌です。
清水寺を上から、そして正面から見れるのは実はここしかないです、隠れた絶景ポイントですと管理の方が言っていた通りで、清水の舞台とそこに集まる観光客の群れが壮大な絵画のように一望できます。
知る人ぞ知る?(地元のタクシー運転手さんも知らなかったので、知る人しか知らない?)絶景で、山頂を通る風にしばし階段を上った汗を乾かしながら見とれてしまいました。
階段を下りて又戻ってきたら、先程の土木作業の格好の方は作務衣に着替えてにこやかに話しかけてきました。
「この奥には秀吉の子、秀頼公の子供の國松公(秀吉の孫)のお墓も再建されてあります、ご覧になってください」
「少し離れていますが、豊国神社もご覧になると面白いですよ」
まさに、一日数組?の参詣客だからこそ会話してくれる社務所の方と思いました。
勧められたからでは無いですが、秀吉つながりで京都国立博物館の並びにある豊国神社も回りました。
秀吉の座像が正面で迎えてくれましたが、これも徳川時代には無かったもので幕府崩壊後の明治期の物でしょう。
ここで驚いたのはこの敷地は旧方広寺大仏殿跡地で「方広寺」と言えばかの有名な家康が秀頼達にいちゃもんを付けて大阪冬の陣夏の陣のきっかけとなった方広寺鐘銘事件の方広寺という事です。
「国家安康」「君臣豊楽」の8文字が家康を分断し、豊臣を君主として楽しむ と言うのがけしからんという事で まるで悪代官のこじつけから豊臣氏が滅んだその歴史的な事物そのものです。
何とその鐘のレプリカが隣の方広寺(旧方広寺とは規模が十数分の一の敷地)境内に、家康のこじつけを後世に糺すように吊るしてありました。
その8文字の箇所は白く文字を浮き出しており、歴史好きの観光客は皆その文字を拡大して写真に収めていました。
その後、旧方広寺の広さを、おそらく現方広寺敷地⁺現豊国神社敷地⁺現京都国立博物館敷地までが同じ外構の石垣であることから、自分勝手に想像し豊臣時代の方広寺大仏殿がそのまま建てられて残っていたら、奈良の大仏、鎌倉の大仏と合わせて京の大仏として残っていたのかもしれません。
歴史に「もし」は無いですが、残された石垣に「想像」は広がりました。


