普通に考えると意外に近くて身近な場所ですが、なかなか行っていない所ってあるもので、何と今回はその中から千葉の鋸山を見に(登りに?)行ってきました。
見た目が鋸の歯の様に凸凹している形状から通称でそう言われていますが、実際の名前は乾坤山というそうです。
乾坤という言葉を聞いて思い出すのは、お酒飲みには「乾坤一」という日本酒かもしれませんが、それも語源は同じく『乾坤一擲(けんこんいってき)』という言葉になります。
乾は天の意味、坤は地の意味、一擲はサイコロを投げる(放る)の意味で、解説すると天地を賭けて勝負する(博打する)という事になります。
その言葉を知ったのは、学生時代に好んで読んでいた中国の歴史小説の漢の劉邦と楚の項羽の戦いの中に、圧倒的な強さの項羽に対して何度も追い詰められた劉邦が、今しか勝てるチャンスが無いかもしれないと無謀にも強敵に挑む時の状況を『乾坤一擲の大勝負をかけた』と表現されていました。
その戦いはもともと項羽の部下だった韓信(韓信の股くぐりという逸話がある人です)他が、項羽は強くても部下を引き付ける力が無く、逆に劉邦は戦いは弱くても部下からの人望があって、韓信などの有力武将が劉邦側についた結果大逆転した楚漢の戦いの1場面で出てくる言葉でした。
今でも情景が浮かぶような言葉としての乾坤一擲のなかの乾坤が私のイメージです。
この戦いからは他にも『四面楚歌』や『虞美人草』など有名な言葉が多く残っています。
さてその乾坤山、どうしてその様に凸凹になったかというと、この山はほぼ凝灰岩から出来ていて、採掘の方法としては地下掘りする必要なく露天掘りで良質の石材を採掘できたことから、掘り易い場所を渡り歩くうちに凸凹の堀口になってしまったものと思います。
石材の場合は良い丁場(採掘場)の条件の他に、消費地までの搬出・移動の問題がありますが、ここはすぐに東京湾であり、また川便も充実していることから採掘後の運搬にはかなりの利便性があったものと思います。
そして大消費地が東京、横浜など身近に存在し、ここ鋸山の石は「房州石」と名付けられて横須賀港の港湾設備や靖国神社、早稲田大学構内などの石工事に多いに使われたようです。
凝灰岩はわが社の創業アイテムである松島石(野蒜石)や以前訪問し記載した栃木の大谷石、静岡伊豆の若草石などと同じで比較的柔らかかった為、機械化が始まる前の幕末や明治大正時代に大いに採掘していた様子が分かります。
採掘していた石工たちが掘り出した後に観音像を浮き出させた百尺観音や、足元の下を掘ってしまってまるで空中に突き出たステージになった地獄覗きなど、今では観光地化しています。
時代は下って建築利用石材の硬質化(花崗岩や安山岩などの硬い石が好まれるようになった)や環境保護などもあって1985年(昭和60年)の採掘を最後に以後掘られることがなくなったのは我われの松島石とほぼ同じ頃でした。
この鋸山、標高は329.5メートルで登山ルートも複数あり、初心者トレッキングには最高なのですが、実は頂上までのロープウエイもあり舗装路もあるので車でも行けます。
今回は車で行ったので苦労なく頂上からの景色を視覚と疲れない体で堪能する事が出来ました。
帰りは、こちらもなかなか行っていなかった東京湾アクアラインを通って海ほたるのパーキングに立ち寄り、あさりの塩ラーメンという地元グルメを今度は味覚と空きっ腹な胃袋で堪能してきました。


