社長ブログ

第146回 「ポンペイ遺跡 1」

    ポンペイは以前からどうしても見てみたい場所の一つでした。

    今からおよそ2000年前の紀元79年8月24日午後1時にヴェスヴィオ火山が噴火し、その12時間後には大規模な火砕流によってポンペイの街は完全に地中となり、更にその上に火山灰が積もり忽然として地上からその存在が消えてしまいました。

    ローマや他の地域からの救援もあったように記録にも残っているようですが、多くの救援者も被災しもはやどこに何が在ったのかも分からない状態で、それから1700年間完全に地上から忘れ去られた場所でした。

    それが1748年に火山灰の下からかなり原状に近い形の建物群や生活の痕跡、時に高熱で瞬間に固まった人体や、各種金属類など1700年の眠りから目覚めて起きだしてきたようにその姿を現し始めました。

    現地に行ってびっくりするのはその規模です。

    最初の発掘から300年近く経っていますが、街全体は97ヘクタールあると言われ、その区域は にエリア分けされています。(ほぼ終了したエリアは 、 、 と 、 の半分位)

    ところが発掘完了はまだその半分くらいであり、完全にその姿が出て来るにはさらにしばらくの時間が必要との事です。

    当時のポンペイは非常に文化的にも進んでおり、海防・商業都市としての街の門や各種宮殿、商人の大邸宅、居酒屋、パン屋、クリーニング屋、共同浴場など庶民の生活まで分析できるような遺跡がたくさん残っています。

    その理由は火山灰が空気を遮断し、金属類を錆から守ったことや、壁画の中のフレスコ画と火山灰の成分とで劣化させるような化学変化を来さなかったことなどラッキーな面もありますが、何より建造物が石であったこと、街の道路も、テーブルも、パンの窯も、風呂も石であった事が現世に残せた大きな理由です。

    特にポンペイで有名なのは、床や壁に飾っていた大理石のモザイク画です。

    これが至る所から当時のままで出土し、そこから当時の社会、風習、人々の暮らしなどを類推する一級の出土品になったものです。

    その中には世界中の中学生、高校生が教科書等で見るあの人のモザイク画もあるのですが、それは次回に致します。

    第146回 「ポンペイ遺跡 1」

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