著名人のお墓第2弾です。
前回は3枚目の写真について回答無いままでおしまいにしました。
「中濱萬次郎」で分かったでしょうか?
個人的にはすごく興味があり、劇的な一生を送った賢人だと思っています。
俗称の「ジョン万次郎」と言えば理解が早いかもしれません。
簡単にジョン万次郎の生涯を記載します。
・土佐の中浜(今の高知県土佐清水市)の漁師の次男として生まれ、14歳の時に遭難し無人島「鳥島」に漂着
・アメリカの捕鯨船に助けられるも鎖国中の日本に戻れず仲間はハワイ島に降ろされるが、万次郎の聡明さや気が利くことに感心した船長が養子としてアメリカ本国に連れ帰る
・マサチューセッツ州フェアヘーブンでバートレット校で高等数学、測量術、航海術など学び首席で卒業したと言われている
・ゴールドラッシュで湧くカリフォルニアで資金をためてハワイにいる漂流仲間を助け琉球経由で長崎に戻る
・生まれ故郷の土佐藩では、藩校の教授となりアメリカの実情を教授し、坂本龍馬や後藤象二郎、三菱を創立した岩崎弥太郎などに影響を与えた
・その後幕府に招聘され、日本人初の太平洋横断の咸臨丸に軍艦教授所の教授として乗船
・客として乗ったアメリカ海軍のブルック海軍大尉に記録でも、「艦長の勝海舟は船酔いで艦長室から出てもこず、日本人の中で操船や物事が出来るのはジョン万次郎くらいなものと言われる
・明治維新後にヨーロッパに使節団として派遣され、ニューヨーク経由で帰国する時に養父であり恩人のホイットフィールド船長に再会を果たす
・アメリカと日本の懸け橋となり、日本の幕末に大きな影響を与え、決して有名ではないが大きな功績を残した賢人
と、ざっと生涯を見てみました。
そんな歴史があの墓石に詰まっていました。今回は雑司ヶ谷霊園から日暮里駅前の谷中霊連園に移動します。
ここは都営霊園と寛永寺や天王寺などの寺院墓地が複雑に絡み合って一体化した広大な墓地公園になっています。
墓域の大きさも時間もバラバラでぶらぶら歩いていると迷子になりそうです。
今回の最初の写真はどなたかの一族の墓地と思いますが、中央正面には壮大な五輪塔が建っています。
五輪塔というのは古いお墓の形で、特にこの五輪塔は昔のスタイルで建てられています。
インドの五大思想をもとに作られてお墓の下から地・水・火・風・空の5つが石の部材となって重なっています。
それぞれの石には梵字で下から「ア・ヴァ・ラ・カ・キャ」と読んで意味は上記と同じく「地・水・火・風・空」の事です。
なかなか味のある一族の墓所でした。
二枚目の写真は鳩山一郎・妻薫の墓です。
第52代、53代、54代の総理大臣で息子は鳩山威一郎、孫は鳩山由紀夫第93代総理大臣です。
ここも、この敷地には鳩山家の歴代の夫婦墓が並んでいますが、きわめて普通の形で普通の大きさでした。
鳩山由紀夫氏もこの墓地が終の棲家となるのでしょうか?
最後の写真は、地続きの寛永寺墓地の中の徳川慶喜のお墓です。
この人の一生とその歴史的役割を語るのは、司馬遼太郎の「最後の将軍」という小説に譲りますが、明治維新のスタートとなった大政奉還は発案者の坂本龍馬と実行者の徳川慶喜の共同作業(二人は会ったことも無く、慶喜は坂本龍馬の名前も知らなかったが)によるもので、慶喜が大政奉還をしたと聞いた龍馬は敵である慶喜の為に「公よくも断じ給えるものかな、我、誓ってこの公のために一命を捨てん」と声を震わせて言ったとあります。
慶喜は徳川幕府を潰した将軍ですが、日本を外敵から守った英傑であるという見方もあります。
この最後の将軍の墓所に向かって思わず手を合わせて冥福を祈りました。


